Obliviator-忘却術士- | ナノ


03


そびえ立つ城は主の威厳や荘厳さを備え、訪れる相手にその力を見せつけているようだった。
まるで、「我が領域に悪意ある者近付くな」とでも言うように。
そうすることが生徒達を守るためであると気付いたのは、この城を出て忘却術士として世の中の危険と対峙したその瞬間である。
我ながら過去の思考とはいえ、己の考えの浅さに苦笑が漏れた。

また仕事とはいえ久しく踏み入れていなかった城に足を向ける事に、何故かほんの微かに胸がざわめいた。
理由は、分からない。

とにかく魔法省魔法参事部の人間として今回の事件についての書類を届けにきたのである。
その任務は最優先事項にしなければならないため、過去に思いを馳せることや微かにざわめく胸に気を取られている場合ではない。
だが、先程恨めしいぐらいに美しいブロンドの髪を持つ御仁に絡まれた事実があることは紛れもない真実である。
あの時間を返してくれたならと考えてしまう辺り、自身の中でのあの男の立ち位置が分かってしまう。
やはり無駄なことに思考を持って行かれてしまう前に、この城の主と会うことが必要らしい。

この城の主は、既に私が敷地内に入っていることなどお見通しなのだろうから。



「あの子達、随分と派手にやりましたね」
「……珍しい客人じゃな」

振り返った半月眼鏡のレンズに、自身の黒髪と黒曜石のような瞳が映った。

時刻は午後4時を回っている。

「魔法省魔法参事部より、今回起きましたフォード・アングリアについての報告書を持って参りました」

相変わらずその淡いブルーの瞳を細めて笑うこの城の主たるダンブルドアは差し出した封筒を受け取り、細い瞳を更に細めて流し読んだ。
まるで、書いてある事などお見通しだといわんばかりに。
それとも、フォード・アングリアを飛ばしたことなどダンブルドアにしてみたら子供の悪戯で片付いてしまうのだろうか。
彼の場合、後者の可能性が高い。
そう思う根拠は無いが、強いて言うなら七年間という人格形成の一部の時間を彼の元で過ごし、偉大な魔法使いとして尊敬してきたからか。
結局のところ、彼がどのような人物であるかなど未だに理解してはいないのだ。
これから先も理解しきることは出来ないだろう。

ただ、彼がどれ程ホグワーツに愛を持って接しているかは、ホグワーツ時代この目にしたことが真実であると信じている。

故にホグワーツを心から誇りに思った。

彼が校長でいる間は、この城は堕ちることなど無い。
と、そうただ無条件に思ったのだ。

そうこう思案しているうちに、彼は読み終わった書類を噛み合いの悪い木製の引き出しに仕舞った。
そろそろガタがきたかの。なんて独り言が聞こえる。
この人がこういうところに魔法を使わない人だと知っているからか、そんな人格の一面に触れることで昔から好きだと毎回の様に思うのだ。

時間が経てば朽ちる。
朽ちること無きものは己の意志のみ。

そう学生時代に彼が語った言葉は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
城で学んだのは基礎知識から高等魔術なんかのAtoZではなく、彼の誇り高いこの意志ではないかと思うのだ。

「確かに受け取った。そうじゃ、久しぶりに老いぼれの茶に付きおうてはくれぬかの?」

優しげな瞳がこちらを向く。
お茶の時間には些か遅い気もするが、彼は意気揚々と準備を始めた。水を注すのは気が引ける。
アーサーからの誘いを断ったこの身はこの先フリーであるという条件を加味した上で、私は彼ほど鷹揚にとはいかぬものの、付き合うべく瞳を細めた。
ルシウスの誘いを断ったことはこの際忘れることにする。

「私、珈琲しか飲めませんが、それでよろしければ」

もちろん、ささやかな注文は忘れない。彼がそれを気に留めないと知っているから。
以前、友人とお茶をしていたところへ姿現しでもしたかのように突然彼が現れた事がある。
現れた途端に、「何やら良い匂いがするの。」と言いながら私の手に持つカップの中身を覗き込んだのだ。
そして同じものを手にして一口口を付けると、やはり老体には刺激が強いと言ってさっさと紅茶に変更したのだ。
このお茶会で、紅茶より珈琲が好きであると話して以来、彼とお茶を共にする際は何も言わなくても目の前に珈琲が出てくるようになったのだ。
それも、香り高い一級品と呼ばれるような珈琲が。

「勿論じゃよ」

当たり前のように笑うのだ。



数分後、爽やかなカモミールの芳香に香ばしく淹れられた個性的な芳香が互いに手を取り損ねてダンスを始めた。
まるで初心者のワルツだ。
しかし、久しぶりに言葉を交わす彼との時間に、練習を重ねた踊り手は調和という術を身に付けた。
何ともちぐはぐな香りに、名残惜しささえ覚え始める。

コトンという音で砂時計を逆さにしたダンブルドアは、ふと視線をこちらへ寄こした。目が合う。

机の上でさらさらと落ちる砂時計だけが正確に時を刻む。

しかし、お茶を淹れ終わった後に逆さにされた砂時計に何の意味があるのかなど、この時の私には想像することが出来なかった。

彼は優雅にティータイムを楽しんでいる。
あれから一言も発していなく、ただ無言の空間だけが永遠と続いていた。

不思議な空間だった。

だからだろうか、不意に彼の口から出てきた人物の名に、カップを持ち上げる手が一瞬止まる。

「セブルスには会ったかの?」
「……いいえ」

そのまま口を付けられなかったカップはカチャンとソーサーに戻された。
薄く笑う自身の顔が珈琲の黒に反射する。

「あの日以来、会ってはおらんということじゃな……?」

いやに重苦しい空気が流れ始めた。
名残惜しさを覚え始めた香りさえ、もう生命活動を維持するための空気という位置付けと化した。
こいう空気は、苦手だ。
再びカップを手に取り、今度は然も有りなんといった風情で一言口にする。

「お互い、忙しいですからね」

口から出た言葉は誘いを断るための常套口であり、とても便利な言葉だった。
しかし、酷く陳腐な言葉にも聞こえる。

「……それなら、良い知らせじゃ」
「良い知らせ……ですか?」

目の前で悠然とティータイムを楽しんでいるダンブルドアがちらりとドアへ視線を向けた。


何故か、良くも悪くもないざわざわとした気持ちが胸を走る。
この城に足を踏み入れた時の感覚が蘇ってきたように感じた。

例えば、そう。

忙しいという言葉に託けて、会わなくなった旧友に会うような……


「そろそろ来る頃じゃ」
「……」

何も言えなくなった私の代わりに、真っ白な砂が全て落ちきったことで彼に合図を送っている。
今更になって机に置かれた砂時計の意味を理解し、愕然としたのだった。


「ダンッ……
「校長、我輩に何か御用……


慌てた呼びかけに被せるように現れたのは、紛れもない。


私の、友人だ――――





next