Obliviator-忘却術士- | ナノ


02


地下3階にある魔法惨事部は魔法省の中でも割と地上に程近く、仕事柄個々の案件を持って仕事に出掛ける部署である。
もちろん大事となればチームを編成して対処に当たるが、それも多くて月に2、3件である。
よって、この部署は割と個々の能力を重視する場所であり、言ってしまえば”自由”という名の下拘束が緩い場所でもあるのだ。
もっとも”自由”である代わりに「仕事が出来る」というのが絶対条件であるというのを、就職難をくぐり抜けた仕事始めに先輩から散々口をすっぱくして言われたことである。

要は実力主義の世界だったのだ。

御陰で魔法省特有の規則規則規則という堅苦しい枠に縛られず息苦しさに泣きを見ることは無いが、同期で魔法省に就職した友人は地下6階の魔法運輸部で毎日永遠とデスクワークに励んでいるとの話を耳にした。

この時ばかりは魔法省なんて勤め先として全く眼中に入れていなかった自身が、ひょんなことから就職してしまった組織の硬さと、配属された部署の幸運さに苦笑を漏らすしかなかった。



そんなことを考えていたせいか、忙しなく人々が行き交う中で視界の端を見事なプラチナブロンドの髪が掠めた事に気付かなかった女は、声を掛けられて始めてその存在を確認することとなる。


「これはこれは、Ms.沙羅」
「……」

向かいから鷹揚に微笑みながらやって来た頭一つ高い男をすっと見上げる。
相変わらず血の気のない青白い顔がローブの黒に映えていた。

「Mr.マルフォイ 魔法省にご用ですか?」
「少し調べものをしていてね」

ここでさらりと真実を言わないところは流石ルシウスというところだろう。
または言うのも馬鹿馬鹿しいことを調べていたので言葉にする必要も無いということだろうか。
何故か長い付き合いとなってしまっている目の前の御仁の性格からして前者の可能性が高いことは言うまでもない。
人生プランの中でこんな男に出会う予定は微塵も折り込んではいなかったのだが、神はお許しにならなかったのか。
ホグワーツ入学という人生の全盛期をもって見事にプラン変更を余儀なくされたのだ。


ホグワーツ入学時、組分け帽子の長い小言に付き合わされた挙句に選ばれたスリザリンで一番に手を差し出してきたのがこの男だった。
何の躊躇いもなくその手を握り返したのが運の尽きだと自覚している今、もし過去に戻れるのならあの時の自身に拳骨を加えてやりたいところである。
無理な話だが。

純血主義の徹底ぶりは組分け三日目で嫌というほど理解し、マグルが魔法使いより劣っているという差別主義者であるという現実も嫌々ながら知ったのだ。

よってこの男にあまり良い感情は持っていない。

しかし、こんな男の中にも好きな部分がほんの一片だけあるのだ。
それが処世術の上手さである。
力ある者に従いつつ、自身の身の安全を第一とする考え方はどこか人間の本来の姿を表しているのではないかと思える部分であり、気に入っている部分でもあるのだ。
ただし、この一片についてだけである。
こんな考え方や生き方をしようとは全く思っていない上に、他の部分については正直関わりたく無いとさえ思っているくらいだ。
趣が否に傾いている以上態度もそれなりになるのが必然。故に現在までこうして互いに一方通行のコミュニケーションを行なってきたのである。

「お疲れ様です。では、私は仕事がありますので」
「Ms.沙羅、ときに今夜一緒に食事など如何かね?ドラコも喜ぶ」

態度上は“仕事があるので急いでいる”だが、一方通行のコミュニケーションを取ってきた仲である。
そんな、態度を察しろなんていう細やかな芸当が出来る訳もなく、男は漆塗りが施されたような上等な杖で沙羅の足を止めた。

「お誘いは嬉しいのですが、生憎仕事が立て込んでおりますのでまた今度にさせて頂きます」

「あの事件かい?」

あの事件。
隠すような事でもないし、第一新聞のトップニュースになった程の事件だ。
ルシウスが知っていても何の不思議もない。
魔法省に出入りしているなら尚更である。
車がふらふらとマグルの世界を飛んでいるという通報が入った時点で、マグルに目撃されている可能性があったのだ。
実際目撃されておりその記憶修正をしたのが魔法惨事部の面々である。

例のごとく新聞を見て駆けつけた私にもその火の粉は飛んだ。

結果、マグル界にはそれほど大きな被害が出ることなく事なきを経たが、問題は乗っていた加害者の目的地であるホグワーツの柳の巨木である。
車が激突した後、暴れ柳にぼこぼこにされたとか…。
話では暴れ柳にも甚大な被害が出ているらしく、治療にはそれ相応に時間が掛かるとのこと。

勿論、ルシウスはこの事件の内容を把握していたのだろう。


「えぇ、まぁ。これからホグワーツに行かなければいけないので」
「そうか。ホグワーツに……」

何やら思案を始めたらしいルシウスはあらぬ方向へ視線を泳がせ、微かに口角を釣り上げたのだ。
この男の特徴である皮肉めいた視線だ。
見つめている先にあたかもホグワーツがあるような気になる。

微かな笑みが、いやに印象に残った。

「ですので、今回は遠慮させていただきます」
「そうか。また今度来るといい。君ならば歓迎するよ」

この男の差別主義は純血とマグルだけにあらず。
というのを何となく思い出させられる出来事だった。多少なりとも気に入っていなければ声すらかけないだろう。
そういった点では、何が男に気に入られたか分からないが学生時代からお気に入りリストに入れられていたようだ。
もしかしたら原因はホグワーツ時代から幾度となく言われてきた、東洋の魔女という点について興味を引いたからだろうか。
御陰で変ないざこざに巻き込まれることもなく今日を迎えている。

皮肉めいた視線を外し、再び視線を合わせた男は沙羅の少しウェーブの掛かった艷やかな黒髪を一房手に取り、そこに軽く口付けた。
驚くことはない。
学生時代からルシウスが行なっていることであり、当時は特に気に止めることもなく享受してしまっていたのだ。
後になって寒気を覚えたが、一度受け入れてしまうとどうでもよくなってしまうのが私の悪い癖だろう。
一時期その行動を見ていた友人がルシウスとの根も葉もない噂を校内にばらまいてくれたことがある。
その時ばかりは黙っているわけにはいかなかったが、当のルシウスは平然とした顔で校内を闊歩していた。
それを見てからか、この男と噂になろうが事実無根である以上なんの問題もないという結論に達し、静かに傍観を決め込んだのだ。
噂とは面白いもので、当事者が騒がなければ風の様に過ぎ去って行く。
今回の場合当事者がルシウスという変に注目を集める人物だったこともあり、風の様にとまではいかないものの、いつしか綺麗さっぱり噂は消え去っていた。
有難いことに。
周りが騒いだとしても、自身が浮つかなければ何の問題もないのだ。
まぁ、噂を誇張して誇張して囁いている人達にとっては当事者の無言程つまらないものはないのだろう。
結局友人もばらまいた挙句、私の態度を見てどうでもよくなったのか、日々の話題が自身の好きなバンドの話へと転換されていったのだ。
都合の良い友人である。


そんなことを思い出しているさなかだったからか、ふと髪に隠れた耳から鼓膜、果ては脳に入り込んできた言葉に思考を止められることとなった。

「Ms.沙羅、君は私のお気に入りだ。覚えておいてくれたまえ」
「……」

驚くほど近くに感じるルシウスは、その唇に不敵な笑みを称えている。
言葉を失うには十分であった。
目の前をプラチナブロンドが自身の黒髪と交ざり合って離れていく。
妙に汚いと感じたのは今しがた聞いた台詞に助長されたからであろう。
この男にとって私という人間の立ち位置がどういうものであるかをホグワーツ時代から考えてきたが、一向に分からない。
よってこの言葉の意図するところも計り知れないのが現状である。

「Mr.マルフォイ、御冗談を」
「冗談に聞こえるのかな?」
「えぇ。ナルシッサ先輩が聞いたら泣きますよ」
「問題無い」

当然のように言い放つ男の顔に、遠い昔とまではいかないものの仲良く純血結婚したナルシッサ・マルフォイの影が覗いた気がした。
彼女もこの男と同じく美しいブロンドの髪を撫でつけており、蒼白で高慢な顔が特徴的であったのを覚えている。
学生時代、同じ寮だったが彼女と会話を弾ませる機会は殆ど無く、細身の魔女であり知り合いの従姉であるという情報しか持ち合わせていなかった。
ナルシッサの性がマルフォイになったということも、彼らが卒業してホグワーツの先生達が立ち話に華を咲かせていた時に小耳に挟んだ程度だったので、それ以上深く関わる瞬間が無かったのだ。

もちろん、深く関わりたかったわけではない。


「では、またの機会に寄らせていただきます。」
「あぁ、待っているよ」

この答えに満足したのか、この男はあくまで高慢な態度のまま漆塗りが施されたような上等な杖を引いた。

やっと解放される。

こんな所で油を食っているのを見つかりたくはないもので……

まぁ、見つかったとしても今回の場合はルシウスを盾にすればいいだろう。
なんてことを考えながら、引かれた杖の先に出来た道へ一歩を踏み出す。

すれ違いざまに男から微かにコロンの香りを感じ、私は苦笑気味に口角を上げた。




嫌いじゃない。と―――――





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