Obliviator-忘却術士- | ナノ


12


「お願いね」

漆黒の羽に紫暗の瞳を持つフクロウが、蒼穹の世界を飛んで行く。


―――――――いつしか、蒼に消えた。




地下室に埋もれた研究室には、絶えずして薬品の匂いが立ち込めていた。
今に始まった事ではないが、今日はとりわけその香りがキツイ。
ただ、此処の住人である大きく真っ黒なコウモリは平然と薬草を刻み、ぐつぐつと煮え滾った大鍋に入れ、その鋭い瞳で中を睨んでいた。
何を作っているかなど常人には分かるまい。
このコウモリはそれが口癖だった。
神経を研ぎ澄ませ、大鍋から漂う香り。色。手触り。その全てに神経を集中させている。
真っ黒なコウモリは、自身の世界に没頭しているようだった。

コンコンコン

「……」

真っ黒なコウモリは聞こえていないのか、聞かぬふりをしているのか。
その手を休めることなく作業を進めて行く。
沈黙が降りた。

が。

コンコンコン

「……」


コンコンコン コンコンコンコン!!!

「……。分かったから、静かにしろ!」

怒声が響いた。
コウモリは作業の手を止め、つかつかと一直線に窓に向かって歩いて行く。
その目は怒りと呆れが覗く。

「まったく、あいつは毎回タイミングが悪い」

溜息と共に迎え入れられた来訪者は、漆黒の羽に紫暗の瞳を持つ風変わりな同期の相棒だった。
銜えた手紙をしっかりとコウモリに渡す。
渡し終えた同期の相棒は、窓の淵をテクテクと歩いていた。
飛び立つわけでもなく、ただそこで何かを待つように淵を行ったり来たりと繰り返しているのだ。
当然、窓を閉めようとしたコウモリと視線がかち合うのは道理。

「……」
「……」

「……はぁ」

コウモリは手紙を身近なテーブルに置くと、背を向け薬瓶の並ぶ棚に向かい、一つの瓶を取り戻って来た。

「お前はあの女そっくりだ」

同期の相棒は瞳をキラキラさせて瓶の中に釘付けだ。呆れたコウモリは、それでも呆れを超えたのか苦笑を漏らしながら瓶の中からウネウネしたものを取り出す。
風変わりな同期が、「彼はこれが好きなの」とコウモリが実験する為に用意しておいたミミズを横取りしたのは一ヶ月程前とつい最近だ。
それからというもの、何故かミミズのストックだけは以上に多い。
あの女が持ち込んだり、まだストックがあるにも関わらず何時もより少し多く買ってしまったり。
時には多くて授業にも使おうとした事がある程だ。
仕舞には手紙や届ける物がなくてもやって来るようになった風変わりな同期の相棒。
何か悪循環に嵌っている気がしなくもないが、来てしまうものはしょうがない。
今回は手紙を送るという本業をこなしただけ良しとしよう。
“食べたら帰れ”と言わんばかりの視線を受けた同期の相棒は、コウモリに背を向ける。
その顔は満足気だった。
満腹になった身体で主人の元に帰ろうと飛び出そうとしたその時、低く深い声がそれを呼び止める。


「待て」
「……」

首だけを器用にコウモリに向けると、その次の動作を待った。

「これを持っていけ」

さっと投げられる鈍い色を放つ物体。
そして、さらさらと走り書きした小さなメモ。
風変わりな同期の相棒は絶妙なバランスでそれを口に銜える。
しっかりと受け取ると、今度こそ薄暗い研究室を飛び出し、気持ちの良さそうな空へ羽を広げて戻って行った。

「……」

嵐が去った様な気持になったコウモリは、本題である手紙をやっとの思いで手に取った。
その少し肉の付いた神経質そうな手でテーブルにあるペーパーナイフを手に取り開けると、羊皮紙に綺麗に纏められた文字が目に飛び込んできた。

あいつらしい。

と思ったのは忘れることにする。
中にはこう記されてあった。


親愛なるセブルス・スネイプ様
ダンブルドア校長の退陣について。
調べたところ、ルシウスが大臣を脅したっていう噂が流れてるの。
まだ推測の域を出ないけど。
知らせておくわ。

追伸、ムーンはダイエット中なの。

沙羅 涼城


「……」

校長についての噂はスネイプにもちらほらと入ってきていた。
しかし、確証が得られていないため動くための切っ掛けが無かったのだ。
あの魔法省務めの風変わりな同期が知らせて来たのだからある程度の信頼が置ける情報であることは間違いない。
あの女の言う通り、まだ何もかも推測でしかないが、調べるに値する情報だということは確かであろう。

ただ、今回の手紙で何よりコウモリの気を引いたのはあの「ムーン」という同期の相棒だった。
先程嵐の様に来て去って行った後ろ姿を思い出す。

“ムーン”なんて名前だったか……と。

確かあの女がこの部屋に相棒を連れて来た日、聞いたような気がする。
紫の月がムーンの瞳の色だった。
だからムーンと名付けた……と。
夢々しいのか、そうでもないのか。
正直その辺りの指標を持っていない自分には何も言えなかった。
ただ、その曖昧さがらしいとは思った。
あの女は飄々としているようで、何か物事の本質を見抜いている様な、不思議な感じのする女だからだ。

しかし……。


ダイエット中とは、予想外だった。





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