Obliviator-忘却術士- | ナノ


11


年を明け一春が過ぎた頃、予期せぬ出来事が魔法省を駆けた。


上が騒がしい。
そう思ったのはつい最近の事だ。

そして、魔法省によくルシウスが出入りしていると気付いたのもつい最近だ。
あの金髪が視界をちらつくたびに、言いようのない不安が心を駆けた。
漠然とした姿の無い不安とは、人の心の中心を占めるのが実に上手い。
気にしていない素振りをしてみても、頭の隅に追いやった気になっているだけでそれを意識している間は結局中心で胡座をかいて居座っているのだ。
明確であれ不明確であれ、不安要素を持つ人間なら全ての者に言えることだろう。
勿論、この私にも。
おかげでこの数週間は頭の中心で胡座をかいていた不安という御仁に定期的に情報を与えていたせいか、ブラック珈琲に砂糖を二杯なんていう暴挙に出ていた。
体重が増していたらあの金髪に後ろから呪いをかけてやろう。
そんなくだらないことを考えていた矢先、美味しくも無い砂糖入りの珈琲を飲んでいた効果か、私の脳がバラバラのピースを強制的に組み合わせていったのだ。

何かが起きると踏んだのは、そんな砂糖の効果に苦笑いを零したある日の午後のこと。
案の定、その御仁の正体は調べなくても直ぐに判明した。

ある日を堺にルシウスの姿が魔法省から綺麗さっぱり消えたのだ。
元々、頻繁に出入りしている人物ではなかったが、ここ最近はやけに熱心に何やら上役と話をしているようだった。
どんな話をしているかなんて考えたくもないと思ってしまうのは、きっと昔からルシウスという男を知っているからだろう。

今は語りたくもない。

その姿が消えたのだ。
金髪が視界の端を掠めないことに気付いた時には、消えたルシウスの代わりに想像もしていなかった人物の名が魔法省を駆け巡った。

“ダンブルドア、校長の任降りる”

何故か、乾いた笑いしか出てこなかった。

「聞いた?」
「何を?」
「あれよ!あれ」

同僚のメープルがお気に入りのチーズケーキと紅茶を持ち、珈琲一杯を啜る沙羅の前を陣取った。
白銀の髪がさらさらと揺れる。
紅茶と珈琲の香りがちぐはぐに漂い始めた。
最近、この香りが多い。
そう思うだけで、どこか居心地の良さを感じていた。

「これね……」

読んでいた日刊予言者新聞の一面をパサリと机に置く。
そこには今魔法省を駆けるダンブルドアの名が写真と共に掲載されていた。
メープルが覗き込むようにして一面を流し読むと、最後にこの記事を書いた記者の名に目を止め、その眉間に皺を作った。
記者はあのでっち上げ文章を平然と記事にし、公然と世の中に出すリータ・スキータ。
今回の文章も例のごとくである。

「どう思う?」

どうって?とは聞かない。
メープルが何を意図して問いかけてきたかは、目の前の記事とこの魔法省で起こっていた出来事とを照らし合せれば一目瞭然だからだ。

「まぁ、ルシウスの仕業でしょうね」

名前を口にした後、まだ湯気の立つ珈琲を飲もうとして片頬を苦々しく吊り上げた。
当たり前のように口にした私に、メープルは「だよねー」と合いの手を入れる。

「上の方が騒がしいと思っていたから何かと思えば……」
「何考えてんのかしら、ルシウスのやつ」

ぶつぶつ言いながら白いケーキに銀のフォークを突き立てる姿は、あまり見栄えの良いものではなかった。
相変わらず、分かりやすい。

彼女、メープル・ストーンとはホグワーツ時代の友人であり、現在魔法省魔法ゲーム・スポーツ部に勤める大まかに言うと同僚だ。
ようは世に言う腐れ縁という仲である。
ホグワーツ時代、彼女は否応なく注目を集める人物だった。
一瞬暑苦しいとも思った程なのだから相当だったのだろう。
とにかくいつも話題の中心にいた。
クディッチの試合ともなれば我先にと先陣を切るようなタイプだったため、私と共にいるところを他人が見ると不思議な組み合わせだったらしい。
確かにそうだったかもしれない。
グリフィンドールとスリザリンの生徒が二人仲良く木陰で語り合っていれば異様な光景に見えただろう。
しかし私達の場合、グリフィンドールやスリザリンなど、寮に縛られることはなかった。
そして言われ慣れてしまった東洋の魔女という現実も気にせず彼女は付き合ってくれた。

嬉しかったのだ。
そんな些細なことを嬉しいと感じたのだから、私も所詮人の子である。
それがとても心地良く、メープルの側が私の居場所の一つだった。
いつの日だったか、彼女もそう語っていたのを覚えている。
なんだかお互い青臭い青春を過ごしていたと笑い合ったのは記憶に新しい。
とにかく、ホグワーツ時代妙な友人関係に巻き込まれることもなく日々を過ごせたのは彼女の御陰もあるのだろう。

感謝している。

私は指通りの良さそうな白銀の髪を見、机に置かれた新聞を再び手に取り読みかけの記事に再び目を通し始めた。

「大方、ダンブルドアを退陣させてホグワーツを純血の魔法使いで溢れさせたいんじゃないのかしら?彼の考えそうなことね」
「何それっ!今時古い考えしてんのねー」

新聞片手に珈琲を飲みながら乾いた笑みと共に言葉を紡ぐと、「有り得ない!」という盛大に馬鹿にしたような声が返って来た。
白銀の髪が大きく揺れる。
メープルの返答をもっともだと思うのは、この魔法界では大半人物の賛同を得るだろう。
今時純血である魔法使いの方が少ないのだ。
マグルの両親から生まれた子供の中にも素晴らしい才能に恵まれている生徒は多い。そのような才能を育ててこそ、魔法界の未来の発展に繋がることだと思っている。
まぁ、学校教育についてここまで魔法界という大きな枠で物事を捉え語るとは、昔の私からしてみたら夢にも思わないことだろう。
それだけ考える事に深みが増したということであり、良い事なのだろう。
いろんな意味で。

「……とりあえず暫くは様子見かしら。私達が何を言ってもお偉いさんは相手にしてくれないでしょうから」
「そうだよねー。そうするしかないかー」

最後のチーズケーキがメープルの口に運ばれる。
残った紅茶をぐっと飲み干すと、何故かほっと一息する声ではなく、大きな溜息がこちらに押し寄せて来た。

「人の目の前で盛大に溜息つくのは止してちょうだい」

新聞越しにツッコミを入れると、メープルは顎を机につけて「だってー」とぼやき始めた。何があったというのだろうか。

「何か、悔しいじゃない?」
「悔しい?」
「そう」
「何故?」

その考えに辿り着いたメープルに、読み終えた新聞を綺麗に畳みながら問いかけた。


「何故って……大臣達の中にはルシウスに脅されたって訴えてる人達もいるみたいだから」
「脅された?」
「そう」

ルシウスが大臣を脅してまでダンブルドアを退陣させた事にもおどろいたが、メープルがそんな極秘事項のようなことをさも平然とばかりに知っている事実にも驚いた。

「メープル、あなたそんな上役と関わりなんてあったの?」
「ううん。父親のつて」
「あー、あなたのお父さんって大臣秘書だものね」

秘書がそんな軽々しく娘に内部事情を話しても良いものかと思ったが、これは内部告発をしているのではないかとも思った。

「メープル、この話他に知っている人は?」
「いないと思うわ。大臣達と父さんみたいな秘書。その人達の間だけじゃない?」
「そう……」

魔法省内で何が起こっているのかは大体把握することが出来た。
そして、ダンブルドアが退陣せざるをえなくなった背景も読み取れた。
どうするべきか。

「どうしたの?」
「いいえ、何でもないわ」
「そう?じゃああたし戻るわ。仕事溜まってるし」
「お疲れ様」

手を振って戻って行くメープルに、軽く手を振り返す。
メープルが何処まで気付いているかは分からないが、この推測を話すには早いと思った。
多分ダンブルドアのことだからその辺についてはぬかりなく調べ上げていることだろう。
しかし、一応知らせるべきという選択肢があることも確かだ。

ダンブルドアに……。


それもそうだが、今ホグワーツとあの少年を守っている、あの男にも。





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