08-02
「あの、何かご用でしょうか?」
おそらく彼だろう視線の主に気を取られていたせいか、柔らかな声が自信に語られているものだと気付くのに、僅かな時間を要した。
なにせこの場所では、私は部外者なのだから。
「……?」
右肩に温かい手の温もりを感じ、こんな所で部外者に声を掛けて来るという親切極まりない行動をしている人物を確かめるべく、振り返る。
「教員室でしたらご案内しますよ?」
振り返った先にいたのは、黄色いネクタイをしっかりと締めたハッフルパフの生徒だった。
すっと通った鼻筋に、黒髪と淡いグレーの瞳を持った世に言うハンサムな顔立ちをしており、ハッフルパフらしい生徒像の完成形のような少年だ。
彼は振り返った私に、これまた御丁寧に自身をセドリック・ディゴリーだと名乗った。
「ありがとう。でも用はもう済んだわ。ダンブルドアから決闘クラブをするっていう話を聞いたから、覗きに来たのよ」
「そうだったんですか」
少年は申し訳なさそうに頭を掻いた。
その仕草が妙に似合っている。ハンサムなだけでなく可愛くもある、ということだろうか。
「私の時代はこんな事しなかったの。だから、ちょっとした興味ね」
「え?ホグワーツの卒業生なんですか?」
「えぇ、もう何年も前の話よ」
目を丸くした少年は、懐かしげに呟く私の言葉に耳を貸していた。
視線は決闘クラブを見つめている。
生徒達の溢れんばかりの意気込みや興奮が、遠目で観戦を決め込むこちらにまで伝わってきた。
次の瞬間。
目も眩む様な紅の閃光が視界を走ったかと思うと、セブルスの向かいにいたロックハートの姿が消え、代わりに見事な音を立てて壁に激突していた。
「――――御見事」
見事な武装解除の術がロックハートを捉え彼を吹き飛ばしたのだ。
魔法の切れは相変わらずといったところらしい。
久しぶりに真直に見る旧友の魔法は、切れを増し寧ろ洗礼されている様にも見えた。
吹き飛ばしたセブルスは満足げにその口元を歪めていた。
余程鬱憤が溜まっていたのだろう。
自身の希望する役職を何処の馬の骨だか分からない飾った男に取られ、挙句の果てに助手をしているのだ。
無理もない。
だが、セブルスの性格上そんな男の助手を引き受けるものか?と考えを改めた時、彼らしい根暗な発想にたどり着いた。
きっと、決闘クラブの助手という立場を使ってロックハートをこてんぱんに叩きのめすつもりではないのだろうか、と。
いや、それしか考えられなかった。
「相変わらず、容赦ないわね」
「あの、スネイプ先生とお知り合いなんですか?」
「えぇ。同期……同僚ってやつかしら」
さも当然のごとく言ってのけると、隣で同じように観戦していたディゴリーは驚いたようにこちらを見つめた。
何か可笑しなことを言っただろうか。
「涼城さんって、……スリザリンだったんですか?」
「あら、スリザリンっぽくなかったかしら?」
おどけたように言ってみせると、彼は御馴染みの頭を掻く仕草と共に申し訳なさそうに呟いた。
「いえ……ただスネイプ先生と同期で同じ寮生だったというのがちょっと考えられなくて」
「そう?まぁ、あの頃から彼はあんなだし。私もこんなんだったから、スリザリンぽくないとは言われたわね」
「スネイプ先生は昔から……」
「あんな感じよ。ただ………」
――――――もう少し愛想が良かった。
そう言おうとして、私の言葉が止まった。
言葉に出すことを躊躇ったのだ。
考えてみたら、自分の前では彼はごく自然に振舞ってくれている。
昔とは違い、変わることを余儀なくされてしまった私達だが、会話の空気は変わっていないつもりでいる。
実際、ホグワーツ時代を思い出すことができる程に、彼との時間は心地の良いものだった。
だから、もう少し愛想が良かったなどと言えるはずがない。
「……涼城さん?」
「……!ごめんなさい。ぼーっとしちゃって」
感傷に引き込まれていた自分に気付くと、意識を再び目の前で繰り広げられている決闘クラブへと集中させた。
ディゴリーはとても空気の読める察しの良い生徒らしく、それ以上私とセブルスについての関係を聞いてくることは無かった。
聞かれたらまずい関係でもあるまいに、それ以上追求されない現実にふぅと息を吐いた。
その理由を、私は知らない。
そんな中で生徒達の興奮気味の声色が恐怖の悲鳴に変わったのは、直ぐ後のことだった。
何事かと目を細めると、壇上には親に似て羨ましいぐらいの金髪を持つマルフォイと、クシャクシャの黒髪に眼鏡をかけた少年が対峙していた。
眼鏡の少年の前には、蜷局を巻いた蛇が今にも襲いかかろうと言わんばかりにゆらゆらと蠢いている。
その蛇に向かい少年は視線を外すことなく見つめ合っていたのだ。
そしてあろうことか、私達大人ですら予想の範疇を軽く飛び越していく出来事が目の前で起こり始めた。
言葉を失うとはこういうことである。
あのセブルスですら、驚愕に目を見開いていた。
空気が冷たくなり、大広間に反響するように言葉成らざる言葉が響いた。
空気が抜けていくような、そんな言葉。
背筋を冷たいものが駆け抜けて行く。
これは、蛇語。
戸惑い、ざわめき、そんな混沌とした中でいち早く現実に戻ってきたのは、セブルスだった。
彼は少年の言葉で従順になったように頭を垂れる蛇を焼き払い、その冷たい視線に困惑の色を滲ませ探るような目をしていた。
――――困惑。
その言葉が、何よりもこの場を表現するのに相応しかった。
周りがヒソヒソと小声で囁きあっている。
壇上で自分の行なったことに戸惑いを覗かせている少年には、不吉な話し声にしか聞こえないだろう。
そんな少年の袖を見知った赤毛のロンが引き、外へ連れ出そうとしているようだった。
後ろからふさふさした栗毛の髪に褐色の瞳をした女の子もついてくる。
「……あ」
ズンズンと人垣を掻き分けこちらへ向かってくるロンが、居るはずのない私を視界に捉えると、その足を止めた。
引かれている少年も、後ろから急いでついてきた女の子も外に出ることに無我夢中だったのかロンの背中に突き当たって止まった。
目を丸くしてこちらを見つめてくる。
ふわりと舞った少年の前髪から、稲妻の傷跡が覗いた。
これは。
「沙羅さ……
「早く行きなさい」
「……」
酷く冷たい視線を送ってしまった気がする。
が、その対処がこの場では一番正しい対処であることも分かっている。
彼らは自分達に何が起こっているかを把握しきれていないで戸惑っているのだ。
だから他人から投げられる奇異の視線も理解できない。
そんなところだろう。
今は、落ち着いて状況を理解する場と時間が必要なのだ。
出て行った三人が残していった空気はけっして良いものではなかったが、そこはナルシストの彼がいる。
この空気を打破してくれるだろう。
そう期待を込めて見つめると、予想通り彼はこの場の空気を読まないという術を使って乗り切ってくれた。
少し株を上げようか。
――――いや、止めておこう。
強引にお開きとなった決闘クラブにより、生徒達は我先にと大広間を出て行く。
これから何が始まるかなど、予想がついた。
学生特有の噂話の校内闊歩である。
この分ではダンブルドアの耳に入るのも時間の問題であろう。
ダンブルドアが見せたがっていたのか、そうでなかったのか分からない「決闘クラブ」が終われば私が此処にいる用は無い。
帰ろうか。
「Ms.涼城、どちらに行かれるのですかな?」
最近聞くようになった低いバリトンの声色が、大広間を後にしようとした私の足を一瞬にして止めた。
なんと力のある声だろうか。
「Mr.スネイプ、今日は随分とご機嫌ね」
「何の話ですかな?」
「彼を吹き飛ばせた事が余程快感だったのでは…と」
顎で女生徒に囲まれているロックハートを指すと、目の前のコウモリはフッと鼻を鳴らし、「違いない」と呟いた。
「で?私はもう用が済んだから帰る所だけど、何か用?」
「また校長に謀られたか」
「……」
先程予想していた言葉がこれ程正確に自分の耳に入ってこようとは思っていなかったためか、くつくつと笑いが込み上げて来てしまったのだ。
「……」
当然、彼は怪訝そうな顔でこちらを見つめる。
彼が何故私の足を止めたのか。
小さな自惚れと、彼の性格からして何となく言いたい事は分かった。
だから、私から切り出してみることにしよう。
「ごめんなさい。少し思い出し笑いよ」
「……」
「気にしないで。それより、これから時間ある?」
「我輩は研究に忙しいのですが?」
「じゃあ休憩にしましょう」
「……」
我ながらかなり強引に押し切った感は否めないが、彼が何も言わないので付き合ってくれるという答えとして受け取ることにする。
この嫌味のない強引さは魔法省で同僚のメープルを参考にしてみたつもりだが、大丈夫だろうか……。
キャラではないことは、この際目を瞑ることにする。
頭一つ高い男の顔を伺うように覗き込むと、彼は一言さらりと呟いてさっさと自室へ向かうべく足を進めて行ってしまった。
私が慌てて彼の後を追ったことは言うまでもない。
*
「――――良い茶葉が入ったのでご馳走しよう」
嫌味か。
「えぇ。美味しい珈琲を楽しみにしてるわ」
ちぐはぐだ。