水魚の交わり | ナノ


04-08



覚悟はしていた。

城と運命を共にする覚悟。

体裁良く言ってみたものの、大して何かがかわるわけではない。
壮大な背景も、武勇も、名誉も、富も、何もかも、私にあるわけではないのだから。

城の崩落、死亡者1名。

騒がれるのは前記ばかりで、好都合なことに後記の人物は所謂余所者。
村人から犠牲者がでなくて良かったねと、そう囁かれるに留まることだろう。
それどころか、村は子供が帰ってきたことへの歓喜に溢れかえり、今や城主のいない城のことなど話題にすら上がることなく忘れさられるに違いない。
そんな極端でありながら中々に的を射た結論に至るに関しては、語るべくもない。
残された手段がこれといって考えつかず、限りある手段すらも実行困難であるからに違いなかった。

カンッ、カンッ

重い鎖を引っ張る手は疲れと底冷えのする冷たさでもう感覚がない。
いつの間に爪が折れたのだろうか、皮膚を裂いて流れ出る赤が、爪を染め、ドレスの袖を染めた。
ズキズキと痛む頭は朦朧を連れてくる。
その所為なのか、単に非力なだけなのか、
ベッドの脚をへし折ることも、
ベッドを持ち上げ鎖を外すことも、
ましては固く閉ざされた扉を開けることなど、
成し得ているはずも無かった。

体が氷の様だ。

昨日は確かに熱で火照っていたはずなのに。
肉体の熱という熱が全て奪われ、もう指先を動かすことすら億劫に感じている。
もう大分時間も過ぎてしまった。
この部屋から出ないことには、見つけてもらえる望みも薄いだろう。
もう頭も正常に働いているとは思えない。
そんな思考回路で考えだせることなど、到底くだらない妙案ばかりで、
しかしその妙案に乗ってしまう程に、正常な判断力というものが今の私には欠落している。
するりと己の末期を見定める。
この誘われる様な眠気に身を任せ、重たい瞼をゆっくりと伏せる。
それだけで、この底冷えのする苦痛が終わるのだ。
最期が溺死でなくなっただけ、救われた気分だった。
たった先程、幾分か前の事、
部屋から出ようと、生き延びようと足掻いていた私は影に潜る。
その最期すらも、私らしいとひと蹴りしてしまえる程に、私は死に対して従順になりつつあった。

カンッ、カンッ

鎖を引く力が段々と無くなって、耳をつん裂くカネの音が弱々しく部屋に消えていく。
硬直しかけていた指がふと鎖から離れ、
途端重石を掛けられたかのように体が床へと沈んでいった。

どさり、

鈍く重たい音と共に床へ倒れこめば、硬く冷たい床がそれでいいのかと私を強く揺さぶる。
けれどその問い掛けを受け止められるほどの力が、私には残っていなかった。
揺さぶられた肩に確かな痛みを感じても、地に這った体からじわじわと熱を奪われても、
私を奮い立たせようとした床に応えようと起き上がることは無かった。

腕が重い、瞼が重い。

体が重い。

カツ、カツ

もう私に問い掛けをするものは誰もいない。
奮起を促した床ですら、今や冷たい眠りへと私を誘う。
生を渇望させる何かが、なくなってしまったのだ。


これ以上頑張らなくても、

もういいんじゃないだろうか。

ぼやける視界が頭の思考を遮っていく。

瞼がゆっくり、ゆっくりと、
焦れるように落ちていった。

カツ、カツ

カツ、カツ

視界が完全な暗闇を映し出そうという時、

カツ、カツ

遠くから、一つの靴音が聞こえた。

誰だろう。

一人分ということは、あの医者だろうか。

カツ、カツ

ほんの少しばかり急いたような足音が、不定期に立ち止まっては近づき、立ち止まっては近づき。
だんだんと近づいてくる。
彼が生きてここに来るということは、城の崩壊はまだ先のことなのだろうか。
もしこの部屋に用があったとしたら、
それは一体どんな用事だろう。

きっと碌でもないことに違いない。

もう少しで気を失えるのに。

頭を殴られるのだろうか。
それとも首を絞められるのだろうか。
それとも銃で撃たれるのだろうか。

それとも。

それとも、それとも。

遅く回る意識とは裏腹に、刻一刻と足音は近づいてくる。
遂には扉の前で、それは止まり、
扉を押さえていた木の板が呆気なく外された。

ああ、何処かへ隠れなくちゃ。
気を失うまででいい。
何処か、私が隠れられる場所に逃げなくちゃ。

ずりずりと体を動かしてみても、ちっとも進みはしない。
ただそれでも、手足はもがくように鈍い動きを繰り返していた。

ギギギ、ゴゴゴ、

鉄が引き摺られる音と、蝶番の軋む音。
床に刻まれた扉の轍を辿って、開けなければと意気込んでいたそれがズルズルと音を立て開いていく。

カツ、カツ

開かれた扉から中へと侵入してくる足音。
冷徹なそれが地面に伏せた耳によく伝わってきた。
少しの呼吸の後。
一瞬だったか、一秒だったか、一分だったか。
確かに空白の時間が存在したと認識できたその後に、音は再び動きだした。
その音は、空白の後に私との距離を足早に詰めてくる。

ああ、もうダメだ。
あと数分、あと数秒、
あとちょっとで、意識を失えたのに。

ふるりと睫毛が震え、ほんの少しばかり浸っていた視界をぴたりと閉じた。
時期にやってくるであろう痛みに、鈍い恐怖を抱いた。

しかし、気怠い体に襲ってきたのは想像していたものよりもずっと優しい衝撃。
私の傍らで鳴り止んだ足音と共にやってきたのは、のそりと持ち上げられる浮遊感。
突然現れた何かによって、私の上半身は持ち上げられていた。
くたりと力の入らない腕やら頭やらが重力に従うものだから、心臓ばかりが無闇矢鱈に叫んでいるような錯覚に陥る。

一体誰が、そんなに急かすのだろう。

とくりとくりと動いていたそれが、正常を思い出したとばかりに、声を上げる。
取り戻そうと慌てて鼓動を始めたそれは、驚くほど速く感じた。
重い瞼をうっすらと持ち上げ、光を取り込む。
ぼやぼやと揺らいでいた色は次第にあるべき場所へと留まり、
やがて目の前の人物を映し出す。

屈強な体格に、鋭い目付き。

赤く灯る瞳は剣呑を漂わせ、眉間には深い皺が刻まれていた。
それが彼のデフォルトなのか、はたまた不甲斐ない私に対する呆れなのか、
しかしそれを瞬時に判断出来るほど彼のことを知らなければ、またそう言った他人の機微に頭を回す程の余力が今の私にはない。
そんな私に今現在認識できるのは、彼がどうにも不機嫌そうな顔立ちをして私を抱き起こしていることだけであった。





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