04-06
風邪。
どうやら私は、風邪をひいたらしい。
突然の意識混濁から目覚め告げられたのは、そんな病名。
別段驚きはしなかった。
寧ろ今まで体調不良にならなかった自分に驚愕さえしていたのだ。
慣れない環境に身を投じ、慣れない覚悟と決断を迫られ、挙句ずぶ濡れの状態で極寒の地に足を踏み入れる。
当然といえば当然の結果に、私は気の抜けた返事しか出来なかった。
「大丈夫、看病は俺たちがしてたから」
ベッドの縁に肘を立てへにゃへにゃと喋る男の言外に、そこはかとない押し付けがましさと気遣いを感じてかの人物を思い出す。
私が倒れた直前に怯えていた原因には近づかせなかったからと、そう告げられて、私は感謝よりも先に自身の身の危険を感じて身震いを一つした。
私が取るに足らない存在であると、正しく認識されていることを祈るばかりである。
「何かして欲しいことあるー?」
ぶるりと震え身を抱えた私に、男はそう問うてきた。
なんて言い方をする奴なのかと思った。
私がしたいのではなく、
貴方達がしたいの間違いではないかと。
彼らは聞きたいのだ。
何故、私が彼に怯えていたのかを。
熱に浮かされ惚ける脳みそは、他人の粗探しに忙しいらしい。
身震いをおこす程怯えているくせに、虚勢をはるようにして駆け巡る思考にいっそ吐き気さえ催しそうだと、俯瞰した別の思考が呟いた。
しかし、体は所詮思考の写しであり、特に何分割にも分かれているのであろう自分の脳みそを体が支配できるわけもなく、口元はずっしりと垂れ下がった。
「……」
口では告げず、ゆっくりと頭を振る。
答える気はないと、まるで言葉の通じない外人を相手にするかのように身振りで意思を伝える。
まぁ、仮に私が彼らに話したくて仕方がないとしても、私は話すことができないのだから、結論などどうだっていいのだけれど。
そう、話せないのだから、いくら思考したところで何が変わるわけでもない。
帰るために必要な対価。
話すことこそが、この旅をする為の私の対価であったから。
話せるものなら、とうの昔に話していた。
あり得ない出来事があり得る現実に身を置いているのだ。
私が夢見だと嘯いても、予知夢だと言い張っても、ましてはこれから起こりうる出来事を知っているのだと、
そう言ったとしても、彼らは受け入れただろう。
そうだと確信していたからこそ、あの時、阪神共和国で私の全てを話そうとしていたのに。
けれどそれは出来なかった。
他ならぬ私のせいで。
あの時のことはよく覚えていない。
あっという間で、あまりにも現実味がない。
途方もない恐怖に身をやつしていたのだけは、なんとなく覚えている。
兎に角必死だったのだ。
元の世界に帰ることに。
だからこそ、魔女に願ってしまった。
元の世界へ返して欲しいと。
対価を支払って。
しかし思い返せば、対価がこれで良かったのかもしれないと、今では思っている。
視力でも、肉体でも、心でもない。
ただの情報。
この旅が終わってしまえば不必要となるそれ。
それを忘れてしまうわけでも、消し去られてしまうわけでもない。
ただ口に出せないだけ。
私の中にはしっかりとその記憶が刻み付けられている。
なんて都合の良いことだろう。
対価がその程度のものかと考えると、何やら複雑な気持ちにもなるが、あの漠然とした恐怖は確かに本物だったと、そう言いきれる。
あの時の私は、己の身を、心を守ることに盲目だったのだ。
「そっかー。それじゃぁ、俺たちはそろそろ部屋に戻るね」
思考が深く潜っていたせいだろうか。
横から聞こえてきたのほほんとしたその声に、びくりと体を震わせた。
視界をあげればゆったりと微笑む男と目が合う。
こういう言い方をしては語弊を生むかもしれないが、私は彼らのこういった気遣いをそれなりに好ましく思っていた。
お節介が過ぎるほどに詮索好きなのは直すべきだとは思うが、決して無理に聞こうとしないその姿勢は、大変ありがたかった。
視線に含まれる疑心や警戒、その他諸々の多様な意味を孕んだそれに耐えられているのかと聞かれれば怪しいところであるが、口で問われない分、回らない頭を働かせる必要もないので、その点に於いてはありがたいことであった。
パタン
男衆が扉の向こう側へ消え、一息吐く。
次いで視線をぐるりと変え、同室の少女へと声をかける。
「さくらちゃん、私先に寝るね」
少女は私の声に答え、ちらと窓の外に視線をやった。
もうだいぶ夜も更けてしまったようだ。
雪の降る、何か起こりそうな夜である。
頻りに外を気にする彼女を一瞥し、寒さ故の身震いを一つする。
震えを誤魔化すように暖かい羽毛に包まれば、伝わる熱が体の異常を訴えるようにもわりと私を包んだ。
大丈夫。
私は今晩、ぐっすりと眠りにつくのだ。
朝になるまで1度たりとも、起きやしない。
そう、だから大丈夫。
たとえ隣の少女が窓から寒空の外へ飛び出そうとも、
私は気付けない。
気付かない。
ぼやけてくる視界の中でそんなことを呪文のように唱え、意識を沈めていった。
少女、眠る。