04-05
「ありがとうございます」
あの子も、随分と明るくなった気がします。
日も暮れ始めるかという頃、寒空の下を優しげな笑みを湛えた町医者と並んで歩いていた。
互いにニコニコと笑い合っているが、実のところそうでもない。
彼が何を考えているかなど知ったことではないが、私について述べるならば内心ため息ばかりであった。
お宅訪問に訪れ、私だけ門前払いされるだろうと予想し、安心しきっていたのがいけなかったのだろうか。
流石は評判の自称町医者である。
言葉巧みに誘導し、物語暗唱会を開催する手筈をとんとん拍子に取り付けてしまった。
語り部は勿論ながら私で、全く用意も準備もしていなかった私は、キラキラと期待に目を輝かせる幼女を前にして、無い頭を必死こいで動かすハメになった。
今は酷使した脳と舌を休めたくてしょうがない。
よって彼との会話を楽しむ余裕も、受け答えする余裕も無いのが本当のところであった。
「流石は、物書きをされている方々ですね」
適当な相槌にもめげず会話を嗜む男はぽつりとそんなことを呟く。
幼女の話から脇道に逸れたそれに、変わることなく愛想の良い笑みを返せば、負けじと笑う彼と目が合った。
「そんな童話があるなんて知りませんでした」
何処の地方に伝わる童話なのですか?
一見何も不思議な所などない感想に、ぴくりと眉が動く。
真実物書きであったのならそのヨイショに乗ってやらないこともないのだが、いかんせん「藪を頭に抱える物書き」の使用人である私には、到底乗れるものではなかった。
ましては発祥元など告げられるわけもなく曖昧な返事でお茶を濁す。
いくら自称町医者と名乗る男相手であろうとも、まさか違う世界の童話だとは、口が滑っても言えまい。
童話を話したのは失敗だっただろうか。
「それにしても、とても興味深い童話でしたね」
今回の世界での仮宿が視界に映り、無意識に足を速めた時、後ろでポツリと呟かれた言葉にはたと足が止まった。
それはどういう意味で言っているのだろうか。
白鳥と七面鳥を間違えたアヒルの親の視覚或いは識別能力についてのことを言っているのだろうか。
それとも動物界にも美醜の概念が存在していたことを言っているのだろうか。
それとも苛めという言葉を自然界の言葉で置き換えるならば、単なる弱肉強食という言葉でおさまってしまうのだということを言っているのだろうか。
それとも。
「見かけで判断してはならない」
例え知っている相手でも、
無闇矢鱈について行ってはならない。
今回の失踪事件の犯人が、
町の中の誰かだと、
貴方はそう考えていらっしゃるのですね。
今回の失踪事件と、童話の教訓を上手く結びつけて子供に注意喚起を促すとは、流石だと。
彼が私を褒めた。
パチパチと、手袋越しの拍手が鈍く耳に刺さる。
手放しで喜んでいい言葉だとは思っていない。
私は知っているのだから。
犯人が誰で、
どんな奴で、
どんな目的を持っているのか。
そして、私が犯人を知っていることを、
彼は気づいてしまったのだと、
私はこの時になってようやく、
自分の犯した失敗に気づいた。
ぞわりとした感覚に身を震わせながらユックリと振り返る。
なんて失態を犯してしまったのだろう。
咄嗟のこととはいえ、他の童話もあっただろうに。
「別に、そんなつもりじゃ…」
震える声を絞り出し、引き攣る筋肉を叱咤して笑顔をつくる。
全身からみるみる血の気が引いていく感覚を感じながらも、精一杯の虚勢を張った。
これが彼らの犯した失態なら、きっと何とかできたのかもしれない。
しかし私は違う。
なんの力も持たない弱っちい人間で、誰かが私に殺意を持てば、いとも簡単に殺されてしまうような人間なのだ。
まさか、この国で命の危機を感じるとは思わなかった。
まだ安全だと思っていたのに。
「あれぇー、紅葉ちゃん」
カイル先生と一緒だったんだー。
いないから心配したよ。
和かな笑みを湛える彼に怖気付いて半歩体が下がった時、背後からそんな呑気な声がした。
音が付く程に勢いよく振り向けば、仮宿から旅人たちが出てきているところに鉢合う。
どうやら彼らの方が一足早く帰路に着いていたらしい。
何やら物書きが言っているが、それどころではない私は、向かってくる彼らに走り寄り、
体格の大きい、すっぽりと隠してくれそうな同じ使用人である彼の背後へと回る。
とかく逃げなければ、隠れなければ、なんて思考が体を動かした。
ぞわりとした感覚が静まり始め、ホッと息を吐いたのも束の間、私は失態に気付く。
こんな対応を取っては、本当に私が犯人を知っているとバレるではないか。
判断の欠如から起こった二次災害に、またしても絶望的な思考が脳を支配した。
「…おい」
突然の行動に不審がる旅の一行。
彼らを宥めすかす町医者。
そんな中で上から降ってきた低く落ち着いた声だけが、私の耳に届いてきた。
視界を広げても、耳に集中しても、
町医者の声も、それに頷く彼らの声も、
まるで上手く聞きとれなかった。
聞こえるのは自分に降ってきた、
おい、なんていうぶっきらぼうな呼び声のみ。
しかしそれも段々と遠退いていく。
視界をぐっと上に向け、呼び声に答えようとしても、自分の出した声すら耳に届かない。
見下げる彼が何か言っている。
肩を誰かに掴まれた。
大きい手が、骨の浮き出た貧弱な体を握り潰そうとしているみたいだ。
ズキリとした痛みが走る。
けれど上手く反応できているかもわからない。
痛い、と。
声を張り上げ主張できているだろうか。
だんだんと視界が白い靄に包まれていく。
狭まっていく視界に映るのは、大男の驚いたような顔と、何かを伝えようと動く口。
それを最後に、視界は白く染まる。
少女、意識混濁。