会いたくて | ナノ


まほうつかい


両親の御墓参りにはたけさんに会って以降、私はぽつりと「ダチが死んだ」と呟かれた言葉を頭でぐるぐると反芻していた。
どんな別れを経験してしまったのだろうか。
そんな聞くことの憚られる内容をお団子を作り、お茶を出し、お結びを握りながら考え続けていた。
同病相憐れむ。なんて言葉を持ち出したくはないが、同じような辛さを体験してしまった者としてはお節介と言われようと手を差し伸べたくなってしまうのが道理だろう。
何故か、という理由付けなどいらない。
私はあの瞬間から、はたけさんのことをもっと知ってあげたくなっていたのだ。
そんなことを考えながら仕事をしていたせいかもしれない。久しぶりにふらりと現れた紅さんがお団子を食べながら零した言葉に目を見開き、手にしていたお盆をするりと腕から落としそうになってしまった。

「はたけさん、入院されてるんですか?」

落ちそうになったお盆を抱え直し問い掛ければ、紅さんはお茶をずずずと飲みながら「そうなの」と美しい唇を苦笑へと形作った。

「心配要らないわよ。ただの疲労らしいから」

その言葉を聞けば普通なら安心するのだろう。しかし私は、急に胸に鉛のような重しがのしかかってくるのを感じたのである。
それは”ただの疲労”が、私たちの”ただの疲労”とは似ても似つかぬものだと理解しているからだ。
気付いた時には、紅さんからはたけさんが入院している場所を聞き出し、ありきたりな果物の籠を片手に木ノ葉病院へと赴いていた。
迷惑は承知の上である。
それでも、はたけさんが無事でいることを確かめずにはいられなかったのだ。
烏滸がましくも、支えになりたい。
はたけさんのことをもっと知りたい。
そう考えた故の行動だった。

トントントン

扉の向こう側の気配を探り、深呼吸を一つ。
左手には果物の籠と右手には慌てて走り書いた病室番号のメモを持ち、相手からの返事を待つ。
病院独特の消毒液の香りが立ち込める閑静な廊下は、普段甘だれのお団子を作りお結びを握る環境にいる身にとっては臭覚から慣れない場所だった。

「どうぞ」

ややあって聞こえてきたのは、少し掠れ気怠そうなはたけさんの声。
その声に、姿は見えなくても急激な安堵感が襲いほっと胸を撫で下ろす。
がらがらと病室の扉を開ければ、私を見留めたはたけさんの丸く見開かれた瞳と出会した。

「こ、こんにちは」
「あ、あぁ」

まるで見たこともない生物にでも出会ったかのような反応をする姿にお見舞いに来たのは軽率だったかなと心配したが、はたけさんが直ぐに「どうぞ入って下さい」とあの柔らかな声で告げるものだから、私は遠慮しつつも好意に甘えそっと病室に足を踏み入れたのである。

「お加減はいかがですか?」

足音少なくベッドへと近付く。
寝ていたはたけさんがわざわざ起き上がろうとするものだから、私は慌ててその動きを制した。

「少し、無理をしすぎました」

あははと小さく苦笑する姿に、やはり優しい人なのだと再確認する。
お見舞いに来た側を心配させまいと気遣っているのだ。
自分が病人だというのに。
その自己犠牲的優しさに、私は少しばかり苛立った。
病人を前に苛立つなんて失礼も甚だしかったが、はたけさんには自分の気持ちを押さえ込んでほしくはなかったのだ。
傷付いた時は休んでもいい。
お見舞いに来た人間の顔色など窺わずに、言いたいことを言えばいいのだ。
人間には、そんな時間も必要なのだから。

「はたけさん、今して欲しいことってありますか?」

突然の問いに、ベッドに仰向けたままのはたけさんは再び目を丸くする。
持ってきた果物籠をサイドテーブルに置いた私は、目線を合わせるようにベッドサイドに置かれた椅子を引き寄せ座り、丸くなった瞳を覗き込んだ。
顔の半分以上がマスクに隠れているだけあって表情の全てを読み取ることは出来ない。
けれど視線から逃れるようにして窓の方へと動いた瞳に、困っているのだろうことは想像に難くなかった。

「突然こんなことを言われて困るのは分かってるんです。でも、はたけさん優しいから……」

自分のことを一番に考えてほしい。
そう言葉に出来なかった私は、今して欲しいことを聞き出して叶えてあげる他なかったのだ。
時計も無い病室には当然のように静寂が訪れる。
互いの微かな息遣いだけが漏れ聞こえていた。

「病院食ばかりじゃ堪えるんです」
「え?」

静寂に落とされる雫のような声が、病室に波紋のように広がっていく。
はたけさんを見やれば、その視線はしっかりと私の瞳を捉えていた。

「涼城さんのお結びが食べたいです」

はっきりと口にされた願いは、私の心を宥めていくには十分な威力を秘めていた。
苛立ちも困惑も、何もかもが凪いだ水面のようになってしまう。
はたけさんの願いを聞いて寄り添ってあげたいと思っていたはずなのに、気付けば私が嬉しくなるような一言をもらって心を温かくしている。
どこまで行っても優しいその対応に、私はどこか負けを認めざるを得なかった。
優しさではこの人には敵わないのだと。
そもそも勝負するものではないのだが、心を納得させるには負けという形を取るのが一番簡単だったのだ。

「じゃあ、早く治さないといけませんね。私、はたけさんの退院のお祝いに美味しいお結びをご馳走します」

そう力強く宣言すれば、はたけさんの目元には私の知る慈愛に満ち溢れた皺が寄っていた。

「楽しみにしてるね」

その答えがまた一層私の心を温かくしていくことを、きっとはたけさんは知らない。
心に乗っていた鉛のような重しが少しずつ取り除かれていくのを感じた。

「はい。そのためにも、早く元気になってくださいね」
「はい」

まるで生徒のように返事をするはたけさんに、くすくすと笑みが零れる。
しかし、ふと体の力を抜くような息を吐き出す仕草にさっと血の気が引いた。
そうだ。はたけさんはまだ安静が必要な病人なのだ。
浮かれ初めていた思考に溜息を吐きたくなる程に辟易とする。
これだから私は昔から駄目なのだ。
好きなことにばかり目を奪われて、調子に乗る。
お見舞いに来たはずなのに、病人を疲れさせては元も子もないではないか。
自分の行いがはたけさんを疲れさせていたと思うと、今すぐにでも椅子から立ち上がって病室を去りたい気持ちでいっぱいになっていた。
しかし、そんな私の気持ちすらもはたけさんは察していたのだろう。
膝の上で申し訳なさにぎゅっと握り締めた手に、そっとベッドから差し出した自身の手を重ねたのだ。
幾度も指先を切ったのか、つるりとした皮膚が手の甲をなぞる。
人の温もりに、握り締めた手の力が解かれていった。

「来てくれてありがとう」

ふわりと被せるようなその言葉一つが、どれだけ私の心を救ったことだろう。
柔らかな瞳のはっきりとした物言いに、胸の奥から何かが込み上げてくるのを感じた。
私にとって、はたけさんは魔法のような人だ。

優しい、優しい魔法使い。
私は、そんな優しい魔法使いに何を返してあげられるのだろう。

きっと、出来ることなどほんの僅かなことしかないのかもしれない。
それでも、私にはたった一つだけ出来ることがある。
美味しい、美味しいお結びを握ること。
今はそれだけを考えて、はたけさんが元気になることを祈っていよう。
そう手に感じる温もりにそっと瞳を閉じた。





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