会いたくて | ナノ


花のかほりと


あの日から、はたけさんは一休に時たま顔を出してくれるようになった。
ある時は以前のように任務帰りの腹ごしらえであったり、約束通り生徒さんを連れてきてくれたり。
おかげで今まで出会ったことの無いタイプの人たちとも知り合うことが出来た。
彼女、夕日紅さんもその一人である。

「沙羅ー、いる?」

暖簾をはらりと潜ってやって来たのは、過酷な世界に身を投じているとは思えない美貌を讃える木ノ葉の忍だった。
初めて彼女が一休に顔を出したのは、確かアンコさんに連れられてやって来た時だったと思う。
陽気な姉御肌のアンコさんとはまた違うタイプだった。

「紅さん、いらっしゃいませ」

店奥のテーブルへ案内しようとすると、彼女はすっと右手で待ったの姿勢をとった。

「今日は沙羅を誘いに来たのよ」
「お誘い……ですか?」

予期せぬ言葉に首を傾げる。

「明後日私非番になってね。ちょうどアンコも休みらしいから温泉行こうって話になったのよ」
「温泉……」

木ノ葉一の湯屋、遠い昔祖母と行った一回きりの記憶が脳を掠めた。
確か黒湯を売りに美容と健康に特化した温泉として有名だったと聞き及んでいる。
もっとも、遠い記憶から引っ張り出してきた情報であるため、その温泉が忍御用達とは知る由もない。

「で、折角だから沙羅も誘おうって話になったのよ。確かその日は定休日よね?」

ちらりと遠くて見えもしないカレンダーに視線を送った。
月初めにぐるりと日付を囲い、小さな花の絵と命日という文字を記した記憶が蘇る。

「午前中に一つ済ませなくちゃいけない用があるんですけど、その後でもいいですか?」

申し訳なさそうに切り出す私に対して、彼女は快活に笑って答えた。

「全然問題ないわ。むしろ午後の方が有難いかも」

なんでも前日はアンコさん主催の飲み会があるのだそうだ。
一休に来てお酒を頼む人も稀なため、良く覚えている。
自身でも酒豪を語るだけのことはあり、お酒を次から次へと呷っては呑み干す姿が印象的だった。
よって、約束の時間は出来れば遅い方が良いとのことである。

「じゃあ丑の刻に現地集合ってことで」

そう言って約束を取り付けた紅さんは、綺麗なウインクを残して一休を去っていった。
直ぐに予定をカレンダーに書き加えようとペンを取る。
「……」
しかし命日と記した自身の少し丸みを帯びた文字を見つめ、どこか後ろめたいものを感じたこの手はなるべく小さな字で温泉と淡白にペンを走らせるだけに留まった。





「いのちゃん。いつもありがとう」

大きな百合の花束を受け取ったのは、生きの良い花を仕入れているという山中花店の店先である。
今日も一点の濁りもない真っ白な百合の花を手に入れることができた。
なるべく前日までに用意しようと心掛けてはいたが、昨日はやたらとお店が混み合った手前花を受け取りに来ることが出来なかったのだ。
綺麗に整えられた金髪が「ありがとうございましたー」と快活に私の背を押す。
そっと抱き抱えた艶やかな香りが、また今月もこの日がやって来たと実感させた。
突き抜ける青空に目を細め、流れゆく雲を追うように墓地へ足を進める。

所々から漂ってくるお線香の香りと花の匂いに導かれるようにして、両親の名が刻まれた墓石の前に膝を付いた。
骨も遺留品も何一つ入っていないお墓。
それでも見飽きることはない。
何故ならその名前を見るだけで二人に会うことが出来るからだ。
思い出の中でそっと優しく微笑む姿に胸中が温かみを増す。

幼い頃、二人は突然私の前から姿を消した。
何の任務をしていたかなど教えられもせず知ろうともしなかったが、ある日一休で働く祖母の元に木ノ葉の忍が書状を持って現れたのだ。
何故かその時現れた忍を見て唐突に両親の死を悟ったのを覚えている。
祖母が震える手で書状を読みながら泣き崩れる姿を、おやつの時間に食べていたお団子を片手に見つめていた。
不思議と涙は流れてこなかった。
その日以降、裕福ではないけれど慎ましやかに祖母と共に二人暮らしをしている。

しかし、突如として目の前から消えた両親の空間は、数ヶ月後不意に大きな悲しみとして押し寄せてきた。
それは幼馴染みと遊んでいた夕暮れ時のことである。
公園のブランコで遊んでいると、幼馴染みの母親が優しく手を振りながら迎えに来たのだ。繋がれた二つの手。
微笑みながら、今日の夕食は何が良い?と尋ねる暖かい笑顔。
その姿に母親の面影を重ねた瞬間、視界がぼやけぽたりと地面に染みを作った。
ぎゅっと心臓を掴まれた苦しさに耐え切れず、ブランコから飛び降り一休に向かって直走る。
背中から影を追って迫り来る赤々とした夕日から逃げるように。
息も絶え絶えにガラガラと乱暴に扉を開け、驚いた祖母へ飛びついた。
お団子の仄かな香りが余計に視界を歪めさせるので、これでもかと真っ白な割烹着に顔を擦り付けた。
祖母が全てを悟ったように力強く抱き締めてくれたことが私をひどく安心させたのである。
宥めるように背を撫でる少し硬い手に守られながら永遠と涙を流していると、そのまま疲れて寝入ってしまった。

それからというもの、こうして二人の思い出を手繰り寄せるために月命日には毎回花を添えに来ている。
時間が経てば経つほど墓石に向かう歩調が穏やかになっていくことに気付くと、全ては時間が解決してくれるのかもしれないと思うことができた。

「また来るからね」

二人を背に歩き出すことが、今はこんなにも簡単に出来てしまう。
それは二人がいつでも心の中にいるからだと信じることが出来るようになったからだろう。
忍であった両親が突如として私の前から消えたことは今でも胸が裂かれるような痛みを齎す。

それでも、そっと時間だけは流れて行くことをこの身は知った。

泣き付かれたあの日も、朝になればお腹が空いたし、祖母のお団子が恋しくなった。
朝が来れば夜にだってなるし、寂しさに飲まれそうになれば祖母の胸に飛び込んで安心を得ることを学んだ。
両親がいなくなってしまった分、祖母は私を抱き締める腕に力を込めてくれた。

ぽっかりと空いた胸の、その空洞を埋める術を時間が私に教えてくれたのである。



時間だけは、とても穏やかに流れていくのだ。





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