さくらとおむすび
樹齢何年かも分からぬ桜の木を少し恨めしく思い見上げることが、ここ最近の日課になっていた。
幼い頃から毎年気付くと目の前にはらりひらりと花弁が舞い、空を仰ぐと視界一面が桃色に染まっているのだ。一休に寄り添う様に佇む桜は近所で名物となり、毎年花見と称して店先で酒盛りをする人たちもいた。
もちろん高台から望める桜群には遠く及ばないが。
しかし、幼い頃からの刷り込みのようなものもあり、一休の桜は里で五本の指には入るだろうと自負している。
「……はぁ」
そんな桜を恨めしく見上げることになっているのは何故なのか。
それは、重力に逆らうことなく反転した桃色の世界が原因であった。
自負したのはいいものの、毎回この自然の理を片付けるのは一手間なのだ。箒を片手にザッザッと花弁をかき集める行動を数日と続けている。
多分、はたけさんと最後に会ったあの日以降ぐらいからだろうか。
「やぁ」
「……」
そんなことを考えながら一人掃き掃除に勤しんでいたせいか、その第一声を見事に聞き流していた。
「こんにちは、涼城さん」
「はたけさん!こ、こんにちは!」
名を呼ばれたことにびくりと肩を跳ね上げがばりと振り返ると、そこには今まさに思い描いた人物が佇んでおり、これまた驚いたのである。
彼と出会う時は何故かいつもびっくりしていないか?と感じるのは偶然ではないだろう。
「これから任務ですか?」
その問いかけに、彼は今帰ってきたところだと告げた。よく見ると忍服の所々に汚れや擦り切れている部分が見受けられる。
「でしたら少しお休みになっていきませんか?良いお茶を仕入れてあるんです」
履きかけの花弁をそのままに、私は暖簾をさっと潜りはたけさんを迎え入れた。
少しばかり強引だったかと思ったが、彼は勢いに押されたのか少し背を丸めて再び一休の暖簾を潜ったのである。
「どうぞ」
窓から桜の望める一角に設置されたテーブに座る彼に、お茶とみたらし団子を差し出す。
ゆらりと湯気が空気を縫った。
「これは……」
「サービスです」
「……」
お茶と共に置かれたみたらし団子に視線を釘付けにする彼。
ふと湯気の先に彼の眉間に寄る皺を見つけた私は、なかなかお団子に手を出さない姿にまさかを予感した。
「もしかして、みたらし団子お嫌いでした?」
恐る恐る尋ねると、彼は目尻を下げて「いや、まぁ……」とから笑いを浮かべたのである。頭を掻く仕草から本当に苦手なのかもしれないと悟った私は、さっとみたらし団子をテーブルから下げた。
そして唐突に思い至ったのである。
もしかしたら、この前のお団子大食い対決も相当無理をしていたのではないかと。
「はたけさんって、甘い物自体苦手でしたか?」
問いの答えはなんとなく聞かなくても察することが出来たが念のため尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。
「食べれないわけじゃないんだけどね」
苦笑する彼を見て、ならば何故ガイ先生との対決を受けたのかと思わなくもないが、そこは永遠のライバルとして受けないわけにはいかなかったのだろう。
その姿にくすりと笑みを溢した私は、そうだと提案を口にした。
「でしたらお結びなんていかがですか?」
「お結び……?」
はてなを浮かべた彼は目を点にしてこちらを見上げた。
「えぇ。最近忍の皆さんのためにと思って初めたんですけど」
そう言って彼の視線から逃れるように、近くの席でお団子を片手にお茶を啜る老人に目をやった。
老人は祖母の代から毎日のように顔を出してくれる人だ。確か書店を営んでいると言っていたか。
定番のみたらし団子を美味しそうに食す老人に、今日のお団子も良い出来だと頬が緩む。
しかしはたけさんの視線がこちらを向いたままであることに気付き、更に言葉を足した。
「あ。でもそれじゃあ本格的な食事になっちゃいますね」
頬を掻く仕草は昔からの癖だ。
幼馴染に「お前は照れるとよくそーするよな」と言われたのが気付くきっかけだったと思う。その行為が照れ隠しの表れであると指摘されるまで気にも留めていなかった私は、気付いてしまうと気になりだしてしまうたちなのか暫く心を無にしようと一人悶々としていた。
しかし幼馴染や友達、両親。更には祖母にまで「変な顔してどうしたの」と一様に言われてしまい、泣く泣く心を無にする訓練は呆気なく終わりを告げたのである。
同時に照れ隠しに頬を掻く仕草は別に変なことではないと気付き、以来現在に至るまでその癖は私の中に今も根付いている。
もしかしたら、先ほどの彼の頭を掻く仕草も、同じようなものだったのかもしれない。
「いや、ちょうど腹が減ってたんだ。貰ってもいいかな?」
提案にするりと乗っかった彼の返事を聞くやいなや、私は「直ぐにお持ちします!」という掛け声と共にお昼時で賑わう店内をさばくようなスピードで厨房へ向かった。
掃き掃除が終わってから握ろうと思っていた御飯がふっくらと甘い匂いを漂わせている。
よし。と気合いを入れて握ったお結びが割り増しで大きくなったのはご愛嬌だ。
具も鮭に昆布に梅と別段変わり種はないが、その方がいいとお客さんからの指摘もありこの形で落ち着いている。
お皿に三つ並べて足早にテーブルへ届けると、彼は前回の薬同様目尻を下げ緩やかに微笑んでくれた。
その笑顔に、やはり私の心はふわりと暖かくなる。
まるで道端に咲く一輪の花を見つけた時のような気持ちだ。
あまり見つめては失礼だろうと思ったが、初めて振舞うものに対する評価を気にしないわけにはいかなかった。
おかげで彼がお結びを口に運ぶまで、そわそわと視線をあちこちに彷徨わせるはめになったのだ。
「うん。美味い」
あぁ。褒められるとはこんなにも嬉しいことだったのか。
そのぽつりと呟かれた一言が私には何よりものご褒美だった。
常連客やガイ先生、新規のお客様など誰に言われても嬉しい一言ではあるが、彼に言われるとどうにもむずむずとしたものがせり上がってくる気がする。
父や母、祖母に褒めてもらった時に近い感覚がした。
「お口に合ったようで、良かったです」
お結び三個をぺろりと食すスピードに呆気に取られながらも、またぽりぽりと頬を掻く。
「美味かったよ。これぐらいで足りる?」
そう言いながら、彼はポケットから小銭を数枚取り出した。テーブルの上にかちゃりと置かれる音がする。
年季の入ったメニュー表にはお結びなどという文字は一文字も入っていない。勿論金額など書いてあるはずもなかった。
「あ。今回は代金の方は結構です」
「え」
「私が強引に誘ってしまった部分もありますし」
苦笑するこちらに尚も「でも」と食い下がる声。
「でしたら、今度ははたけさんの生徒さんも一緒に遊びにいらして下さい。腕によりをかけて美味しいお結びとお団子を用意して待っていますから」
その言葉に観念したのか、今度は彼が苦笑しながら「じゃあまた」と言って席を立った。
次の任務があるからと一休を後にする背中に「また」と告げると、ゆるりと左手が上がる。
次の瞬間には、舞う花弁の隙間からその姿はぱったりと消えて無くなっていた。
集めたはずの花びらが無残にも方々へ散っていることに気付くのは、消えた影を見つめてから暫く経ってのことである。
「……あ」
溜め息一つに桜を見上げる。
不思議と、恨めしくはなかった。