会いたくて | ナノ


-ふたりのその後- シズネの所見


「もぉー」
「何ですか、その牛みたいな声は」

朗らかな陽気に平和という文字が滲んだある日のこと。
数羽の鳥がぱたぱたと羽ばたき木の葉は気持ち良さそうに風に吹かれ、雲はのんびりと空を泳いでいた。
長閑を絵に描いたような日々が第四次忍界大戦後新たな火影となったはたけカカシのもと築かれ、それは里の人々の心に平穏をもたらしていた。
なんて穏やか日々なのだろうか。
そんな言葉が近頃の木ノ葉では口癖のように呟かれている。
辛くも激しい戦を乗り越えたが故に手に入れた幸せだ。
平和を満喫してもしすぎることはないのだろう。
しかし、そんな幸せも先頭で陣頭指揮を執っていた火影には呟けるほど実感できるものではないようだった。
なにせ激務だ。戦争の後というのは往々にして物事が簡単に進むようでそうではない。人々が日常を取り戻すために苦心するように、火影は里の平和を築くために身を粉にするのだ。
人々が口を揃えて言う平和の基礎を固めるために、カカシはそれこそ死に物狂いでことに当たっていた。
どうしてそこまで頑張れるのか。
綱手とはまた違う火影としての姿勢に、シズネはそう問うたことがあった。
するとカカシはまるで己が戦争という引金を引いてしまったかのような哀愁漂う気配と、窓の外で騒がしく火影室にやってくるだろうナルトの声にふっと口元を緩め答えたのだ。
未来の火影のため、俺が手に入れた幸せを守るため、かな?と。
この時シズネは改めてカカシが影の字を背負うに値する人物であることを再確認したのだった。
そんな日々を過ごしすぎたせいだろうか。
執務机の上で何某かの不満を露わにする六代目火影の姿は、ここ最近の名物と化していた。
シズネは今日も今日とて机に頬杖をつくカカシを横目に、始まったかとトントンを抱えながら頭を悩ませていたのである。

「だって、ねぇ......」
「お子様ですか」

綱手からカカシの手助けとなるよう任を受けたシズネは、その事務処理能力を遺憾なく発揮するようにトントンを片腕に本棚を漁っていた。
まぁ何某かの不満が出てきてもおかしくはない。それだけの働きを今までカカシはしてきたし、それは誰もが認めるところでもあった。
しかしどれだけ認められようとカカシ自身の抱える悩みの解決とはこれまた無縁なのだろうことは、綱手という五代目火影に仕えたシズネだからこそ分かることであった。

「......もうすぐ来られると思いますよ」
「......!」

どうにかして機嫌なり不満なりを解消してもらわなければ仕事が捗るどころの騒ぎではなくなってしまう。
シズネは少し前からカカシに暫くしたら休憩をしようとか、お茶をどうぞと湯呑みを差し出したりしてみた。
けれど一向にカカシは頬杖をついたまま。今にも魂が抜けそうな放牧されきった牛のような声を溜息に混ぜている。
綱手が書類仕事を投げ出す直前の言動と重なるそれらに、シズネはこうなってはもう根本を解決しなくてはカカシが何も手をつけないことを悟った。
そして仕方がないとばかりに最後の切札を提示してみせたのである。
その言葉に、火影らしからぬほどカカシの顔が見事に破顔し崩れたことは言うまでもない。
飴と鞭。その両方を巧みに使い熟してこそ火影に仕えるに値する人間なのだ。
シズネはあからさまに変わるカカシの表情を見て苦笑と共に肩を竦めた。
と同時である。
トントントンと軽やかでいて控えめな、ノックにすら人となりが現れる音を耳が拾う。
忍としても数段シズネより優秀なカカシがその音を聞き逃すはずはなく、まるで犬や猫のようにすくっと首を正した。
けれど登場には些か早かったのか、ぽかんと意志を失った手は頬杖の形のまま固まっていたのである。

「はーい、どうぞー」

カカシの代わりにシズネが扉の向こうにいる人物を迎え入れる。
控えめに開いた扉の隙間から覗いたのは、まさしく今シズネが来ると宣言した最後の切札だった。
ひょっこりとまるで居心地の悪そうな苦笑を人好きのする柔らかな雰囲気に混ぜ込んで現れた女性。
それこそ、牛のような声を溜息に混ぜて頬杖をつくカカシの機嫌なり不満を一発で解消してしまう特効薬。もとい沙羅である。
沙羅は申し訳なさそうにシズネに頭を下げそっと火影室へと身を滑り込ませた。

「いらっしゃい、沙羅さん」
「こんにちは、シズネさん」

へらりと微笑む姿はまさしく春風にそよぐ桜を思わせた。
愛想も気立ても良い。何よりあの鬼神の如き勢いで対戦後の木ノ葉を立て直したカカシが、端から見てもベタ惚れという始末である。
火影就任当初は待ってましたとばかりに四方八方からやってくる見合いの話も後を絶たなかったが、近頃のカカシはその全てを”いいひとがいますので”と春の陽のように朗らかな微笑みで一蹴していた。
もちろん引き下がらない輩もいたが、そんな人々でも火影自らが足繁く通う甘味屋一休でその看板娘と話しているカカシの姿を見れば引き下がるほかないというわけである。

「沙羅」
「カカシさん!」

そして何よりカカシの呼び声に花がほころぶように微笑む沙羅の姿を見ると、皆が一様にこう思うのだった。
二人は幸せなのだと。
シズネはカカシが火影となってから誰よりも近くでその手腕と人となりを見てきたからか、カカシの言う"俺が手に入れた幸せ"とやらが沙羅を指していることは容易に察しがついた。
冷たく鋭く研ぎ澄ませた三日月のような瞳をしていた昔のカカシではない。
きっと沙羅がカカシにとって心身共に癒しとなる場所なのだろうと思うと、シズネは穏やかに愛しさを紡いでいく二人の邪魔にはなるまいと一つ咳払いをした。

「こほん」

ぴくりと肩を竦めた沙羅に対して、カカシは何食わぬ顔でかつての鋭い三日月の瞳を、まるで満ちた満月のように朗らかな温かさで満たしていた。
その微笑みの裏を読んだシズネは、握っていた火影秘書という手綱を緩めて一つ息を吐く。

「沙羅さん、ゆっくりしていってくださいね。火影様、休憩が終わったらちゃんと溜まった書類を片付けてくださいよ」
「はいはい。分かってるよ」

手をひらひらとさせる姿は一刻も早く沙羅と二人きりになりたいという表れであることを、シズネは沙羅が火影屋敷へと足を運ぶようになって直ぐに理解した。
邪魔をしてくれるなよ?と柔和な微笑みの下にはっきりとした主張を隠しているカカシに、シズネは在りし日の五代目火影を思い出し苦笑した。
今頃綱手様は何処で何をしているのだろうか。また勝てもしない賭博か、酒か。
帰って来た時が大変だとそんなことがふつと脳裏を過ぎったが、今は六代目火影の機嫌を直すことが優先だと思い出し、そっと火影室を後にするのだった。





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