会いたくて | ナノ


会いたくて


月日の流れは早すぎて、追いかけるだけでも精一杯だった。
はたけさんが火影様として就任してから、木ノ葉の情勢はみるみると回復していき、里は落ち着きを取り戻している。
生きていくことに必死だった私たちにも、少しずつ心に余裕ができるようになっていた。
それは吹く風の心地良さに目を閉じたり、見上げた先の桜が桃色の花弁を降らせていたり。
戦争の傷跡を時間の流れがゆっくりと、静かに埋めていくような気がした。

「沙羅ちゃん、よく頑張ったね」

見上げた新しい一休の前で、兵蔵さんはそう言って私の肩をぐっと力強く握った。
その力強さに言葉以上のものを感じて胸が熱くなる。
戦争の終結間もなく、兵蔵さんは数人の大工さんを連れて一休へと足を運んでくれた。
完成させてあげられなかったのが心残りだったと言い、一休の再建を優先してくれたのだ。
全壊とはいかぬもののダメージを受けていた建物は結局大幅な修繕を要した。
そして今日、晴れて一休に完成の二文字を掲げることが出来たのだ。

「本当に、ありがとうございます」

なんとお礼を言ったらいいのか分からない私は、自分のもう一つの命を生まれ変わらせてくれたことに頭を下げることしか出来なかった。
そんな私に、兵蔵さんは「いいってことよ。また美味い団子、食わせてくれな」そう言って微笑んだのである。
私は沢山の人に助けられている。それを肌身をもって感じていた。
大戦が終結をみた日。私は確かに穏やかな夢を見ていた。
もう微かで朧げにしか覚えていないけれど、幸せだと感じる夢を見ていたのだ。
けれどこうして新しい一休が完成をむかえて、それを実感すると、私の見ていた夢は夢でしかなかったような気がした。
向き合うべき今に向き合って得た幸せこそ、何よりもかけがえのないものなのかもしれない。
ぼんやりと一休の店内を見回せば、内装こそ少しばかり違ったが一休独特の空気は相変わらずそこに漂っていた。

「お帰り」

机を一つ一つ撫でてみたり、柱にそっと触れてみたり。厨房に立ってみたり。
見回した全てが新しい一休の命だと、吸い込んだ空気ごと肺に一休の全てを取り込んだ。
見晴らしの良い席は、私の我儘を聞いてくれたのか兵蔵さんはそのままの造りを真似てくれている。
そんな席に座って窓の向こうに散る桜を見れば、はたけさんと出会った日が蘇る気がした。
就任式以降、はたけさんの姿は見ていない。
生きているのだから心配するようなことはない。
そう思えど、会いたいと一度口に出してしまった気持ちは日に日に増していくばかりだった。
はたけさんが守ってくれている木ノ葉の里。その安心感はまるで母親の腕に抱かれているかのよう。
しかし、抱かれているばかりで抱き締め返してあげられないことが私の胸を苦しくしていた。
いつの日かこの場所にはたけさんを呼んで、お結びを食べてもらう。
私が大戦後胸に抱き続けている目標だ。
もう随分と会っていないはたけさんの面影を探す。
この場所ではじめてお結びを食べてくれた日。私はこんなにも嬉しいことがあるのだと知った。
腕を枕にして机に伏せば、あの日に帰れるような気がしてそっと目を閉じた。
考えないようにしていた日々の疲れが押し寄せ、新しい木材の香りがまるで眠れと言っているかのようである。

はたけさんに会いたくて、会いたくて。

私はあの日の面影でもいいからと、そっと意識を手放した。



「......ん」

寝てしまったと自覚があるせいか、目覚めた時窓から覗く月明かりにも別段驚かなかった。
むしろはたけさんの髪色に似ているなと、一人微笑んだほどだ。
結局夢を見ることはできず、勿論はたけさんの幻影にすら会えてはいない。
ぼんやりと淡く光りながら、その輪郭をはっきりと描いている月明かりにはらりと舞う桜が照らされていた。
私の好きな光景だ。
まるで導かれるように店先に出れば、見上げた桜は私を迎えてくれるように一層花弁を舞い散らせる。
覗く月は、はたけさんの柔らかな髪色を思い出させた。
はたけさんに出会ってからだ。
はたけさんに出会ってから、毎日に小さな発見と驚きと、底知れぬ悲しみを抱きながら前を向く勇気。そして当たり前の挨拶にこれ以上ないほどの幸せがあることを教えてもらった。
全部、全部。
はたけさんが私に教えてくれたものだ。
仰ぐ夜桜の影が霞んでいく。
はたけさんが大戦に行ってしまった日から絶対に泣くまいと決めていたのに、今になって込み上げてくる悲懐に涙腺が緩んだ。
目頭に溜まっていく涙を零さぬように桜を睨んで見せれば、桜はそんなことをしても無駄だと言わんばかりに甘い香りを風に乗せて私を取り巻いた。
夢のような光景に耐え切れなくなった涙が一筋頬を伝う。

「......カカシさん」

はじめて呼ぶはたけさんの名には、どうしようもない恋着と寂寥感が滲んでいた。
このまま人目も時間も憚らず涕泣してしまおうか。
そんなことを思いながら、またはたけさんの姿を求めて月を仰ぐ。
瞬間、まるで何かを引っ張り上げるような小夜風が吹き抜けて行った。
思わず瞳を閉じる。髪が攫われてさらさらと散った。

「沙羅......」

聞き間違いだと思った。
風が囁いた幻聴だと思ったのだ。
それでも瞳を開けたのは、それだけ私がはたけさんを求めていたから。

「!」

声がかろうじて届くほどの距離に、月の光を受けたはたけさんが立っている。
嘘だと思った。
夜桜と月が嘆く私に見せた幻影なのだろうと。
けれど幻影だと思っていたはたけさんは、私の大好きな優しい穏やかな顔をしてもう一度、沙羅と名を呼んだのだ。

「......っ!」

嘘でも幻影でも幻聴でもない。
私が求めてやまなかったその人が目の前にいる。
駆け出すことに、これ以上の理由は要らなかった。
花弁は私の一歩を促すように背を撫でていく。
地を蹴った足は真っ直ぐに愛する人の元へと駆け出し、伸ばした手はしっかりと大切なものを抱いたのだ。

「カカシさんっ!」

飛び込んでくる私を、はたけさんはしっかりと胸に抱き留めてくれた。
温かな温もりが、より一層私の瞳から溢れる涙を促す。
縋るようにこれ以上ない力で抱き着けば、はたけさんは小さく息を吐いて私をそれ以上の力で掻き抱いた。
とくんとくんとどちらのものとも言えぬ鼓動の音は、私たちが生きていることを教えてくれる。きっとそれは私のものであり、はたけさんのものでもあった。

「遅くなってごめん」

降って来る言葉の柔らかさに胸が否応なく締め付けられる。
謝ってほしいなんて微塵も思ったことのない私は縋りついた手に一層の力を込め、そんな言葉を聞きたいのではないと主張する首をやわやわと振った。
第四次忍界大戦を生き抜いて、火影様として木ノ葉の里を守り、そんな中で会いに来てくれた。
その事実が何よりも大切で愛しくて、ごめんなんて言葉をこれ以上言わせたくない私は溢れ出る気持ちをそのままに口にしていた。

「会いたかったです......」

心の何もかもを曝け出して言葉にするには、これ以上のものは存在しない。
涙に嗚咽しながら呟けば、見上げたはたけさんの右目は小さな皺を作りより一層微笑みの色を濃くした。
あやすように頭を撫で付けられれば、母親の腕の中で安心する子供のように心は落ち着きを取り戻していく。
耳元に寄った吐息が吐き出す小さくて、それでいて確かな言葉は私にまた一つ幸せを実感させた。

「ただいま」
「おかえりなさい」

抱き締められる腕の力強さと耳元で囁かれる言葉は大戦の最中で私がもっとも聞きたいと願っていたものに他ならない。

「たくさん、たくさん。聞いて欲しいことがあるんです」
「うん」
「謝りたいことがあるんです」
「俺も」
「それで、」

そっと花弁が触れるように近付いて来るはたけさんの顔を、私は一生忘れることはないのだろう。
唇に触れる温かさに込み上げて来る感情の意味を今すぐにでも言葉にして伝えたくなった。
月夜に伸びる影が一つに重なっていくように、私たちはこれからきっとたくさんの言葉を重ね、日々を重ねていくのだろう。

世界は、私たちが思うよりも困難が多い。
きっと涙を流し悲しみに暮れ、耐え忍ぶ日の方が多いかもしれない。
それでも、吹く風が色を失わないように。咲き誇る桜の美しさが色褪せないように。
世界はいつも変わらずに私たちの周りにあるのだ。
そして手を差し伸べてくれる人の温かさに気付くように。
愛する人を抱き締められる幸せに涙するように。
繰り返される毎日に少しの幸せを見つけることが出来たなら、それはきっと人生において何ものにも代え難いものになっていくのかもしれない。

ただ、あなたに会いたくて。





next