会いたくて | ナノ


開けられるはずの扉


「はたけ、さん......?」

沙羅の声が扉越しに聞こえる。
不安に揺れる何とも心許ない声音に胸が締め付けられた。
あの日から考え続けていたのだ。
会って、ちゃんと話をしなければいけないのだろうと。
けれど、沙羅のいない部屋の扉を前にしたり、第四次忍界大戦の流れに会うタイミングを逃したまま時が流れていた。
今もまだ沙羅に会うのは怖い。
あの日の出来事をどう告げたとしても、沙羅の瞳から涙が溢れないという保証はないのだ。
俺は、沙羅を泣かせたくないし、涙した沙羅を見たくもなかった。
たとえそれが身勝手なエゴだとしても。
それでも、大戦に忍界が飲まれていくのを目の当たりにすると、どうしようもなく嘗ての友や師が脳裏を過る。
今度は、俺の番かもしれないのだ。
俺が命を懸けて木ノ葉を、仲間を、愛する人を守る番。
誰よりも狡猾に生き残る術を身につけてきた自負はある。けれど、それは大切なものを守れると判断した時だ。
大切なもの。愛する人が危うくなれば、俺は命を簡単に差し出すかもしれない。
沙羅が安心して生きていける場所を守りたい。また、一休をはじめさせてやりたい。
そう嘘偽りなく思っていた。
それでも、だからこそ会いたくてもなってしまう。
もしかしたら、これが最後かもしれないと嫌な想像すらしてしまうのだ。
なればこそ、会って謝らなければいけなかった。
あの日沙羅を傷付けるつもりはなかった。知らぬ間に傷付いていく君を止めたかったのだと。
そう告げて、沙羅の心に宿ってしまった靄を払わなければいけないと使命にも似た気持ちが芽生えていたのだ。
それが己のためであると理解しながらも。
俺は沙羅に嫌われたままでいたくない。そんな子供じみた気持ちが、こんな夜更けに此処まで足を運ばせたのだ。
明日にはまた木ノ葉を去ることになる。
これが、最後のチャンスだった。

「沙羅、ごめん。そのままでいて」

開けられるはずの扉をグッと押し留める。
俺が扉を押さえていると理解したのか、捻られたドアノブは元に戻っていった。
開けようと押される力もない。

「はたけさん、ですよね?」

揺れる、揺れる声。
まるで暗闇で手を伸ばし俺を探すような声だ。
扉に片手をついてそっと言葉を零していく。
願わくば、愛しい沙羅の瞳から涙の一滴も溢れないようにと。

「そう。俺」
「......」

沈黙が痛いほどに肌を刺していく。
扉を開けて抱き締めたい衝動も、泣いてしまうかもしれない沙羅を見たくない臆病な気持ちも。何もかもが沈黙の前に腹の底へと押し込められていく。
俺は一言あの日のことを詫びるだけ。
あの日思っていた全てを告げて此処を去ればいいのだ。
それだけのはずなのに、口はいつまで経っても言葉を紡ごうとはしない。
きっと、この場所を離れたくないと思っている心があるからなのだろう。
冷たい扉に付いた手が拳をつくる。

「元気に、していましたか?」
「え......」

思わぬ一言に作った拳がやんわりと解かれていく。

「ちゃんとご飯は食べられていますか?寝ていますか?」

矢継ぎ早に紡がれる言葉たち。扉の向こうから投げられるそれらは不安に揺れながらも全て俺のために紡がれた言葉だった。
元気にしているか。ご飯は食べているか。寝ているか。
平穏な日々ならば全てが当たり前のように出来ていたこと。
その普通が問われる現状に、沙羅がどれだけ俺を案じていてくれているのかを悟る。
悟って、それ以上に愛しさが胸をついた。

「元気だよ。ちゃんと食べてるし、きちんと寝てる」

現実はそんな上手くいくはずはない。きっと沙羅だって気付いているはずだ。
それでも、嘘を吐きたかった。
この一言が少しでも沙羅の心から不安を取り除いてくれるのであれば。俺はいくらでも嘘を吐こうと、信念にも似た何かが芽生えた。

「沙羅は、元気?ちゃんと食べて、きちんと寝てる?」
「......はい。元気ですよ!ご飯もちゃんと食べてますし、夜はもうぐっすりです!」
「......そっか」
「はい......」

空元気に振り絞られる声に、沙羅もきっと嘘を吐く覚悟を決めたのだろうと悟る。
思い遣りの出来る優しい子だ。
俺が沙羅を気遣うように、きっと沙羅も俺が不安に思う要素を取り除こうとしている。

「沙羅、聞いて欲しいことがある」
「はい」

扉越しのもどかしい会話。
それでも、今の俺たちにはこの距離が丁度良いのだろうと思った。
きっと会えば歯止めが効かなくなるし、俺は沙羅を離してやれなくなる。
もしこのまま俺がいなくなるようなことがあった場合に、沙羅を繋ぎ止めたまま苦しませたくはなかった。
亡くなった人を想い続ける苦しさは、俺が一番良く分かっているからだ。

「あの日、本当は沙羅を傷付けるつもりはなかった。冷たく当たったのも、沙羅が自分を省みないで人のことばかり気遣っているから心配になったんだ。自分が傷付いても、きっとこの子はそれに気付かないのかもしれないと思ったらぞっとしたよ」
「はたけさん......」
「何より俺は、沙羅に傷付いて欲しくない。沙羅には笑っていて欲しいから」

願いの押し付けだと言われるかもしれない。
そよぐ風もない夜はやけに静かだった。

「俺は沙羅が大切だから。あの時、あぁして言うことしか出来なかった」

後悔の吐露。
ただ一つ報われたのだとしたら、それは伝えたい相手に告げられたことだろう。
返って来ない応えに、もしかしたら泣かせてしまったのかもしれないという予感が脳裏を過る。

「でも、良かったよ」

沙羅の息を飲む声が聞こえた気がした。

「......謝ることができて」

言葉にした口は想像以上に軽くて、ふっと笑みが零れた。
謝るということ一つを考え続けた時間に比べれば、告げる時間のなんと短いことか。
それでも、長いこと胸につかえていたものが抜けたことに安堵もしていた。

これで思い残すことは無い。

俺は扉からそっと手を離して地を蹴った。
気配など読めない沙羅が、それでも消える気配に勘付いたのか荒々しくドアノブを回す音が背後に聞こえる。

「はたけさん!」

そう闇に響いた愛しい声は、俺の心をどうしようもなく切なくさせた。





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