会いたくて | ナノ


うらおもて


駆け出した足が向かったのは小さな公園。
幾つかの遊具と小さな花壇が数個あるだけのそんなに大きな公園ではないが、近所の子供たちには人気があった。
小さい頃の私もこの公園にはお世話になった一人だ。
遊ぶ時も、両親の死から逃れようとした時も。私にとってこの公園は一種の避難場所だった。
だからこそきっと、逃げた足が私を連れてきたのはこの場所だったんだろう。
忘れ物なんて言って飛び出して来てしまったことを、きっと紅さんは不審がったかもしれない。
それでも、私にはまだあの瞬間はたけさんを視界に入れたままいつものように挨拶するなんてことは出来なかった。
陽だまりが近付いて来てくれるようで、その実影が私を見下ろしているのかと思うと足が竦んだ。

「弱いな......私」

呟くと余計に感じてしまう。こんなにも自分は弱い人間だったのだろうかと。
はたけさんと出会ってから、私の世界は思うよりも随分と広がっていたのかもしれない。
お団子とタレの甘じょっぱい香りしか見えていなかったのに。
忍の人たちと出会って、触れて。
自分とは違う世界に住む人たちに胸が締め付けられた。
両親の死を前に辛いと思いながら、同じように死と向き合うはたけさんを見てこの世界の無情さを感じた。
それでも、死と向き合ってきたはたけさんはこの世界で生きている。
お節介だとは分かっていたが、私に祖母がいてくれたように、私もはたけさんの側でそっと痛みに寄り添ってあげられる存在でありたい。
そう思っていた。
でも、たった一度の冷たい言葉が私にそれを迷わせる。
本当は紅さんが言うように、私は言葉が足りないのだ。
否定されることを恐れるばかりで何一つ口にしようとしていない。
はたけさんに、あなたは優しいという理想を押し付けているにすぎないのだ。
人間が皆聖人君子でいられることなどないと分かっているのに。
それでも、私ははたけさんの優しさに救われてきたし、包み込んでくれるような微笑みが好きだった。
だからこそ、その微笑みが消えて否定され、拒絶されることを恐れたのだ。
結局は向き合う勇気がないだけ。

「......はぁ」

堂堂巡りを続ける思考が鬱々と胸を漂う。
ぼんやりと公園を見渡せば、まだ小さな子供が体をこれでもかと使って遊具を登っていた。
ぴんと伸びきった四肢にふるふると震える体。
え......そう思った時には小さな子供の手が遊具からふわっと離れ、その体は時の流れに逆らうように目の前でゆっくりと落ちて行ったのだ。
どすん、と鈍い音が響く。

「蓮っ!」

すかさず駆け寄ってきたのは母親だろうか。
中途半端に浮いた腰がすとんと椅子に戻る。
大丈夫だろうか......。
そんなことを思っていた私の目の前で、その母親は泣き叫ぶ子供を見下ろした。
その瞳に、私は胸を射られるような心地がしたのである。

あの、冷たい瞳。

はたけさんが私に向けた、まるで冷たい水底で溶けない氷のような瞳だ。
目を奪われるその光景で、母親は更に私の想像もしていなかった行動を起こした。
ばちん。
人の少ない公園に響く音。
母親が振り上げた手で泣き叫ぶ子供の頬を叩いたのだ。
思わず驚愕に口がぽかりと開く。

どうして叩くのだろうか。どうして、あんなにも冷たい瞳を向けるのだろうか。

まるで私がはたけさんに向けた感情がそのまま繰り返しのように沸き起こってくる。
子供はただ遊んでいただけなのに。
そんな風に思えば胸がまたきゅっと締め付けられた。

しかし、見つめていた母親は私の目の前で次の瞬間涙に顔をぐしゃぐしゃにした子供をこれでもかときつく抱き締めたのである。

え......。

言葉を失った。
抱き締めた母親はまるで己が怪我でもしたかのように眉根を寄せて苦渋の表情を見せていたのだ。
掻き抱く腕は見ていた私でも分かるほどに力が入っており、子供を抱き潰してしまうのではないかと思う。
母親がぽつりと零した言葉は、どうしてと疑問を重ねる私にまるで風が吹くようにあっと言う間に答えを提示して去ってしまった。

「どうして危ないことばっかりするの!心配したじゃない!」
「......!」

心配した。
その言葉はもしかしたら泣き叫ぶ子供に届くよりも早く、私の胸に響いていたかもしれない。

心配していたから。

だから母親は子供にあんなにも厳しい瞳を向け、手を上げることすら厭わなかったのだ。

心配で、驚いて、我が子がこれ以上危ないことをしないために。
そう思った瞬間、はっと脳裏をはたけさんの氷のような瞳と言葉が過ぎった。

当たり前だよ。
頑張っても、そんな急に上手くいくわけないでしょ。

言葉に掛かっていた薄膜が一枚一枚剥がれていく、そんな感覚。
言葉には裏と表がある。
いつかどこかで誰かからそんな話を聞いたことがあった。
はたけさんの冷たい瞳。
あれがもし表だとしたならば、裏には。
はたけさんの氷柱のように胸を刺す言葉。
あれがもし表だとしたならば、裏には。
はたけさんの陽だまりのような微笑みの影を見たというのに、私は言葉に潜むものを知ろうとしていなかったのではないか。
もしかしたら......。
気付きなのかそうでないのか。
そんなことははたけさんに聞いてみなければ分からない。
けれどただ突き放されたと思うよりは、あの言葉には裏があるのかもしれないと思う方が救われた。
まだ怖いけれど、それでもはたけさんには影だけじゃない温かな面があることも知っている。
はたけさんは、ただ単に突き放すようなことはしない人だ。
そう考えれば考えるほど、はたけさんに会って言葉の意味を問い掛けてみたくなった。
答えを聞くのは身が竦むけれど、問い掛けるまでの勇気すら持てないよりはずっとましだ。
後は野となれ山となれ、である。
未だに泣き叫ぶ子供を小さな子守唄を歌いながら抱き上げる母親。その長閑な光景を目に焼き付けて、私は一休へと戻ることを決意した。
もしかしたら、まだはたけさんがそこにいるかもしれないと期待して。

しかし戻った私を迎えたのは、汗水流しながら一生懸命再建に尽力してくれている兵蔵さんたち大工さんだけだった。
はたけさんの姿は、まるで照る日に焼かれてしまったように姿形も無かったのである。





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