会いたくて | ナノ


どうしてきみは、


素っ気なかったか......。
そんな反省をしたのが丑三つ時。
なかなか寝付けないままぼんやりとしていたら、気付けばあっと言う間に鶏が囀った。
いつもの俺らしくない行動は、きっと沙羅を驚かせたかもしれない。
ただどうしても瞬間的に湧いて出てきた苛立ちを宥めることが出来なかったのである。
本当に、俺らしくない。
沙羅のことになると、頭のネジが一本二本と吹き飛んでいく気がした。
誰かをこんなにも気に掛けたことが久しいからかその距離感を取りあぐねてもいたし、心の拠り所にしようとしている自分にも驚いた。
ただ、沙羅の側は安心出来る。
それだけはまごう事なき事実として俺の中に根付いていた。
大丈夫。反省はした。
もう素っ気なくしたり、沙羅を驚かせるようなことはしない。
ベッドからのそりと起き出せば、板の間の冷たさが冷静になれと訴えていた。
紳士らしく。いつも通りの俺でいればいい。
なぁに、沙羅の自己犠牲の精神は今にはじまったことじゃない。
少しは注意しなさいと、ナルトたちを嗜めるように告げればいいだけのことである。
そう何某かに言い訳をした俺は、約束の通り沙羅を迎えるため再び木ノ葉病院へと足を運んだのである。
後に待ち構えている、己の制御出来なくなりそうな心など露ほども知らずに。

「やぁ」

今度は礼儀正しく病室の扉をノックする。
声を掛けた沙羅がぴくりと反応するものだから、昨日の対応がまずかったのかと再びの反省。
出来るだけの柔らかな笑みを浮かべれば、その顔からふっと緊張が解けていく。
弛んだ糸のような反応にこちらまでホッと息を吐いてしまうものだから、妙な距離感は保たれたまま。

「すいません。来てもらっちゃって」
「いいのいいの、俺がしたくてしてるんだし」

なんとかいつもの距離感に戻ろうと、沙羅の頭へと手を伸ばす。
滑らかな手触りの黒髪とずいぶんと小さな骨格に、やっぱり自分よりも非力な女の子なのだと感じた。
大丈夫。優しく、優しく。
まだ心に苛立ちの火種が燻っていたとしても、灰を被せれば問題ない。

「じゃあ行こうか」
「はい」

沙羅がベッドから腰を上げる。
そのひょこひょこゆらゆらした足取りに思わず手を差し出せば、申し訳なさそうにそっと手と手が触れた。
杖を借りたり、俺の腕を掴んでなんとか辿り着いたのは木ノ葉の大通りから三本程外れたあまり人通りの多くない場所にある小さな戸建ての並ぶ住宅街の一角。

「此処です」
「此処?」
「はい。お店が潰れてしまったので祖母は病院に預かっていただいて、私は一時なので此処を借りて暮らしています」

聞こえ良く言えばシンプルな、悪く言えば質素だろうそこに案内された俺は、沙羅の部屋は何処だろうかと目配せする。
きっと沙羅のことだから一休を建設するまでの間己の身一つが寝起きする場所だからと、あまり立地や何やらには拘らなかったのだろう。
らしいといえばらしいが、もう少し治安の良い場所を選んでくれても良かったような気もする。
なんたって此処らは人通りの少ないことでも有名だが、スリなんかが横行しているという噂が絶えない場所でもあった。
大通りからたったの三本。されど三本外れたそこにはきっと沙羅が出会ったことのない危険があるはずなのだ。
しかしだからと言ってこの場所から今すぐ引っ越した方がいいなんて非常識なことは言えない。
燻っていた埋み火が灰の中でちりちりと音を立てた。

「で?沙羅の部屋はどこ?」
「二階の右から二番目の部屋です」
「じゃあ階段上らないといけないわけね」

するすると視線が沙羅の部屋を捉える。
さぁ、どうしたものか。
瞬間的に現状を鑑みた結論が思考を過るのと同時に、視線は沙羅の怪我をした右足へ。そして手にした荷物へ。
まるで生まれたての子鹿のような足取りで歩いて来たことを考えると、目の前の階段を前にやっぱりこの方法が一番安全且つ的確だと判断した俺は、こちらを伺うぱちぱちとした瞳に鞄を抱えるよう言ったのである。

「じゃあ、沙羅はこれを抱えててね」
「え?」
「よいしょっと」
「わっ!」

想像通りの声が上がることに口元がにんまりと緩む。
ぎゅっと無駄な力が入った体を抱き上げれば、その鞠のような軽さに驚いた。
女の子を抱き上げたことは幾度となくある。
それこそ任務も入れたら数え切れない。勿論羽根のように軽い女の子もいた。
しかし、中身から軽い鞠のような女の子は今まで抱き上げたことがなかったのである。
一瞬どきりと胸が荒い音を立て、その音に慄いたのか、肩甲骨に動揺が走った。
それが伝わったのか、沙羅が瞳を開けた気配を感じる。
きょろきょろと視線を彷徨わせ、自分の置かれている状況に口をぱくぱくと開閉するだけ。
その驚きに出会ったおかげで少しばかり動揺の落ち着いた俺はすたすたと一段一段にしっかり足をかけていく。

「あのっ!」
「んー、何?」

途中掛けられた声音に、あーきっと沙羅のことだからまた申し訳ないとか考えているんだろうなと思った俺は、迷うことなく沙羅を抱く手に力を込めた。
怪我人なんだから申し訳ないとか思わなくていいし、もっと人を頼るべきなのだと口に出そうとしたが、案の定閉口した小さな唇に少しは沙羅も分かっているのかもしれないと思い言葉にすることはしなかった。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

するりと溢れた言葉が耳心地良く雲を掴むようにふわりと微笑めば、どこかくすぐったそうな表情で家へと招き入れられる。
その姿が俺を喜ばせているなんてきっと沙羅は気付いていないんだろうな......なんてことを思いながら招かれるまま扉をくぐった。

「どうぞ、散らかってますけど」

ひょこひょことバランスを取りながら手荷物を玄関脇へと置いた沙羅は、やっぱり招く側として俺をソファーへと促す。

「ちょっと待っていて下さい。お茶を淹れるので」

いそいそと一休でやるように台所へと向かおうとする足取り。相変わらずのらしさとひょこゆらと一歩を踏み出していく姿にやっぱり呆れが胸を漂う。
どうしてきみは人のことばかりなのだろうか、と。
そんなことを考えていたからか、体は正直なようで思わず沙羅の行く手を阻んでいた。
おまけに口からはするすると言葉が溢れ出ていく。

「いいよ、そんなこと」
「でも......」

違和感を持たれそうなほどの笑みをたたえて目尻を下げる。それぐらいしなければ沙羅が引かないことを知っているからだ。
ちらちらと仰ぎ見る視線はどうしたらいいのかという迷いで揺れていた。
だからこそ後一押しとばかりに言葉を重ねる。

「沙羅はゆっくり座ってなさい。俺が代わりにやるから」

ナルトたちの我儘を宥めるような口調で沙羅の肩を抱きくるんと向きを変えさせる。
ずずいと押し向かった目的地は、俺が座るよう勧められたソファー。
あっという間に辿り着いたそこに、俺は沙羅が迷いに揺れている隙を突いてすとんと座らせることに成功した。

「でも!」

座らされた衝撃にはっとしたのか、瞳がくりんと見開かれる。
それでも沙羅の言い分を聞く気のなかった俺は、抗議の声にも耳を貸さず手をひらひらと振った。
お願いだから、人に頼ることを覚えてほしいと心の中で願ってみる。

「いいからいいから。あ、台所借りるねー」

向かった台所は、やはりきちんと整理整頓が行き届いている。必要最小限の物しか置かれないそこは、どこか自分の家によく似ていた。
調味料が並べられている順番が一緒だったりして少し心が躍ったことは秘密だ。
少し前までは接客する側とされる側という立場だったが、今こうして沙羅の家で、それも台所なんかに立つことになるなんて想像もしていなかった。
家は人の体内だ。内側だ。
家主本人と言ってもいい。
他人に見せられる部分と見せられない部分の共存する場所。
そこに招き入れられたことは、想像以上に俺の機嫌を良くしていた。
鼻歌でも歌えそうな心地になったところでちらりと背後を伺う。
案の定大人しく、なんてことをしていてくれそうになかった沙羅は、ソファから腰を上げようとしていた。
まだまだ完治には至らないだろう足の痛みに眉が寄る顔を盗み見て、またこの子は......なんていう呆れとも言えない溜息が口元を漂う。

「こーら。沙羅は怪我人なんだから大人しくしてて頂戴よー」

ちょっとでも沙羅が動いただけで心にざわざわと荒波が立つ。
その荒波の原因に心当たりがあるからか懇願をそれらしく見せぬよう告げれば、沙羅は逡巡したようにふと視線を床へと落とし、すとんと腰を下ろした。
そんな何でもない動作一つに安堵するのだから、俺も大概過保護かもしれない。
カステラがあったことを思い出したらしい弾む声が後方から聞こえてきた時は少しは気持ちが持ち直したのかと、ほっと息を吐いた。
それほどまでに、沙羅の一挙手一投足は俺の心を揺らし続ける。
こんなにも揺れて、揺れて。
どこまでが俺の中に芽生えた本当の心か分からなくなってきそうだった。
カステラを切り分けて、紅茶を淹れて。
背後の様子を伺って。
もしかしたら、この時から。いや、もっとずっと前から、俺は沙羅を気にしすぎていたのかもしれない。
だからこそ、心を宥め紳士的な自分であろうとしたにも関わらず後に口をついて出てきてしまった言葉に思わず息を飲むはめになったのだ。
まさか自分があんなことを考えているとは思ってもいなかったのだから。
しかし、この時の俺はそんなことなど知る由もない。
何故なら期せずして得た沙羅と共に同じテーブルでお茶が出来るという僥倖に、無くした家庭の温かさを取り戻した気がして欣幸の至りだったのだから。

「はい。お待たせ」
「すいません。お客様なのに」
「気にしなーいの」

小さな頭を撫で付けてやれば微かにはにかむ姿。
兎とか、子犬とか。
そんな小動物を可愛がるような愛護の精神が芽生えてきてしまいそうな気がして、くすりと微笑んだ。

「美味しそうなカステラだね」
「そうなんです!この前近所の方にお土産で戴いたんですけど、凄く美味しくて。兵蔵さんたちに差入れしようと思って自分でも買ってしまいました」
「兵蔵さん......って、あの名匠の?」
「はい。はたけさんも知ってるんですか?」
「まぁね。響く音一つで木の葉舞い、積み上げた蔵木ノ葉の砦...ってね」
「兵蔵さんって、そんなに凄い方だったんですね......」

まさか一休の再建をあの名匠が請け負っているとは思ってもいなかった俺は、カステラやお茶をテーブルに並べながら昔聞いた名匠の姿を語る。
片方が既に窪んでいるソファに腰掛ければ、沙羅は苦笑にも似た笑みを浮かべた。

「用意してもらった私が言うのもなんですが、どうぞ召し上がってください」

言葉に甘えて、いただきますと手を合わせる。
黄金色のカステラを頬張れば、ほろりとした甘さが口内に広がった。
まるで今の気持ちみたいな甘さだ。なんてロマンチストみたいなことを考えられたのは、側に沙羅がいたからかもしれない。
少しクサイな。なんて内心苦笑を漏らす。
すると、そんなことを考えていた俺の顔をじっと見つめる視線に出会したのだ。
何かを見られている。
その何かは分からなかったが、ただ。
ただその真っ直ぐと見つめられる視線は、この上もなく擽ったいものがあった。

「ん?なんか俺の顔に付いてる?」
「へ?!あぁ、すいません」

思わず声を掛ければ、沙羅はまさかといったように慌て出す。
くるくると万華鏡のように変わる表情はいつにもなく俺を楽しませた。

「カステラ、どうですか?」
「うん、美味いよ。俺でも食べやすい」

落ち着かぬままカステラを頬張る姿に、やっぱり愛しさが増して胸に柔らかな日差しが差し込む気がした。
日頃の荒んだ心をそっと解してくれるような温かさである。
テーブルに並んで同じものを食べていれば、まるで家族のようだと遠い昔の親父との思い出がふと頭をよぎった。
いつか、もし誰かと一緒になるのだとしたら。
親父と過ごしていたように、優しい心で食卓を囲める相手がいい。
例えば、そう。
沙羅と、とか。
未来を、幸せを想像するなんて、自分には烏滸がましいことだと思っていた。
けれど、沙羅と出会い想像せざるを得ない程に、小さな幸せに気付かされてしまった。

「あの、私の顔に何か付いてますか?」

ふと俺がした問いとまるっきり同じものが小さな花弁のような唇から紡がれる。
きっと同じ質問をしたなんて気付いていないのだろうなと思い、少しばかりおかしくなった。
やっぱり、沙羅の存在は俺に色々な感情を教えてくれる。
それでも、今はまだ告げることは出来ない。
告げたとしても、きっと沙羅の心には今一休以上のものが入らないのだろうことを知っているから。
だから今は、こうして隣でカステラを食べられるだけで幸せなのだろう。
残りのカステラを口へと放り込みながら、そんなことを考えていた。

「じゃあこれ片付けるから」
「そんな、そこに置いといて下さい。私後でやるので」

絶対沙羅は腰を上げると確信していた俺は、もう手懐けることを覚えてしまった獣医のように微笑む。
沙羅はこの笑顔に弱い。

「いいのいいの。俺がしたくてしてるんだから。沙羅はそこでじっとしてなさい」
「本当、何から何まですいません」

少し温かさを増してきた水で洗い物をてきぱきとこなす。
もしこの後俺がいなくなれば、きっと沙羅はいつも通りに自分が自分がと動き出してしまうのかもしれない。
そう思うと、また再びちくりと胸を針が差すような心地がした。
全てを終えて帰ろうとすれば、玄関までの見送りだけは譲れないとばかりに、またひょこゆらとバランスを取りながら歩いてくる。
あぁ、危なっかしい。
手を貸したい。
そんな風に危惧しながら見つめていた。
見つめていただけで、手を貸さなかったのだ。
俺はこの時の自分を後になって後悔したし、まさか己の中にある沙羅への正しい気持ちに気付くきっかけになるとは思ってもいなかった。

「危ないっ」
「!」

ぐらりと沙羅の体が蹌踉めく。
土足の足が廊下への一歩を踏み出した瞬間、目の前で沙羅がべたんと膝と手を付いたのだ。

「大丈夫?」

廊下へと踏み出してしまった一歩を引いて、履物を脱ぎ駆け寄る。
駆け寄った先で見たものは、沙羅の恥ずかしさと力ない空笑い。
あははと空気を縫う乾いた声が寂し気に耳に届いた。

「本当、すいません。なんか、上手くいきませんね。色々」

その呟きは、まるではらりと落ちる花弁そのもの。

「頑張ろうと思っていたんですけど......」

桜が花びらを散らして、己が傷付いていることに初めて気付いた音。
ぱちぱちと、胸の奥で炎が爆ぜる音がした。
それが灰の中に隠して埋めて、宥めすかしていたものだと知ったのは、俺の口からぽろりと言葉が溢れた瞬間だった。
深い深い溜息とも呆れともつかぬ何かが、肺の奥底からどす黒いものとして気管を犯していく。
まるで日差しの瞬きを拾って閉じ込めたような瞳がこちらを見上げていた。
沙羅の唇が俺の名前を象る気配に、それ以上は言葉にさせたくなくて言葉を紡ぐ。

「当たり前だよ」

それはあまりにも冷たくて、素っ気なくて。
沙羅と会う前に決意した紳士的な俺はあっと言う間に成りを潜めた。
沈黙が廊下を支配して、さっきまでの温かさをすーっと取り去っていく。
驚きに固まる沙羅を右目で縫い止めて、溜息を吐いてやる。
びくりと肩を跳ねさせる姿に、怯えさせていることは明白だった。
けれど、この時の俺は紳士的を脱ぎ捨てた、ただのはたけカカシになっていたのである。

俺は、沙羅に頑張りすぎないでほしい。
出来るなら危険なことはしてほしくない。
もっと言うのであれば、どこかに閉じ込めて危険から遠ざかっていてほしいのだ。

「頑張っても、そんな急に上手くいくわけないでしょ」

沙羅の瞳が微かに潤んでいく。
泣かせたいわけじゃない。
怯えさせたいわけじゃない。
ただ、俺は沙羅が大切なのだ。
大切すぎて、大切すぎて。
何ものからも傷付いてほしくないだけなのだ。
けれど、それが自己満足であることも知っている。
何ものからも傷付かないなんて綺麗事であることを。
だが、それならば沙羅には知っていてほしいのだ。
沙羅の側には俺がいるということを。

どうして。
どうして。

どうしてきみは俺を頼ってはくれないのだろうか。
どうしてきみは自分を犠牲にするのだろうか。

どうして。
どうして。

どうしてきみは。

渦巻く悲憤に体を乗っ取られそうになりながらも、沙羅の意に添うような返事に最後の怒りにも似た引き金を踏み止まる。

「それじゃあ、俺は行くけど。大人しくしてなさいよ」

悪くした空気に申し訳なさの罪滅ぼしに沙羅の頭へと手を伸ばす。
我ながら偏狭な態度しかとれないことに辟易するが、今はこれが限界だった。
反応が返ってこないことに、もう此処にはいられないと感じて沙羅の家を後にする。

苦衷に足取りが重かった。





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