会いたくて | ナノ


前触れ


任務が終わったある日のこと、俺はふと一休へ足を向けた。
別に何か用があったわけではないが、きっとそこに沙羅がいるだろうと思ったのだ。
ふと思い出しただけ。
任務で里外に出ることも多い身だが、木ノ葉に帰って来れば仲間がいることに安心した。
ガイの暑苦しさもナルトたちの賑やかしさも、帰る場所がそこにあることを教えてくれた。
けれど最近ではもう一つ。木ノ葉に帰って来たと安堵感を感じられることがあった。
それが沙羅の存在だ。
本人は全く気付いていないと思うが、沙羅は俺に小さな幸せは道端に花が咲いていることに気付くように、目を向ければ沢山あるのではないかと教えてくれた。
一休が潰れてしまったことで満身創痍になりながらも一心に前を向こうと努力する姿は、手を差し伸べたくなるほどに健気で胸が締め付けられる。
愛おしい。そんな長い間遠ざかっていた感情。
ナルトたちを見守る気持ちとはまた違うそれは、ゆっくりと。しかし確実に水面に栄える花筏のように積もり広がっていった。
流していた涙の美しさも、花が芽吹くような微笑みも。
木ノ葉の里でしか出会えない。
俺はそんな出会いに心が平静を取り戻していくのを感じ、無意識に里に帰って来たという安堵を求め沙羅がいるだろう一休へと足を運んでいたのかもしれない。
一休が再建をはじめたという噂が耳に入って来たのはかれこれどれぐらい前だろうか。
そんなことを考えながら、きっと沙羅ならば忙しくも微笑みを絶やさずに動き回っているのだろう。それが容易に想像出来てしまい、知らず知らずのうちに口元が緩んだ。
しかし一休へ近付けど近付けど、人の賑やかしさが伺えないことに首を傾げる。
今日はいないのかもしれない。そんなことが頭を過った。
一休へと辿り着けば、そこには積み上がる木材と立ち入り禁止の立札。
やっぱりいなかったか......と落胆にも似た小さな吐息が溢れる。
木材で敷地を囲われたそこには、精緻な設計が施されるのだろう印が幾つもある。
此処にまた沙羅の命とも言える新しい一休が誕生するのか。
そんな感慨に耽る思考で、まだまだ仮組み途中の一休を見上げた。
少しずつ、けれど着実に物事が進んでいる。
沙羅の努力が、一休という木ノ葉の老舗の形を取り戻そうとしているのだ。
俺も頑張らないとね。
努力に感化された思考が明日への活力を得るのと同時に、沙羅が無理をしていなければいい。そんなことが頭を過ぎった。
沙羅の努力や思考回路は、いつも誰かのため。
それを感じていたからか、どこか危なっかしく見える時もあった。
誰かのため。
その行為は素晴らしいが、それが身を滅ぼさないともかぎらないのだ。
誰かのために心身を削っても、沙羅自身はそれに気が付かないだろう。あの子はそういう子だ。
俺が知る限りの沙羅はとても真っ直ぐで、まるで春に咲かなければいけないと言わんばかりの桜を彷彿とさせる。
だからこそ、気付いた時にはその枝から桜が散り朽ちていることにも気付かないのだ。
少しずつ冷たくなっていく風が仮組みの一休の間を吹き抜けていく。
伸びた影に今日は会えなくても仕方ないと諦め踵を返そうとした。
悪い想像は、良くない未来を連れてくる。
方向を変えた足を引き止めたのは、悪い想像が連れてきたような、思いがけない一言だった。

「沙羅ちゃん、大丈夫かしら……」

2人組の女性がそこにはいて、ひそひそとまるで此処で何かあったような口振りに耳をそばだてる。

「ほんと、建物の下敷きになるなんてね」

散り朽ちた桜が倒れる。そんな映像が浮かんだ思考は足に迷いなく信号を送っていた。

「あの、此処で何かあったんですか?」

近寄れば2人組の女性はまるで井戸端会議の新たなターゲットでも見つけたように俺を輪の中へと招き入れた。

「此処に一休ってあったでしょ?そこがね、再建をはじめたのよ」
「なんだけど、今日のお昼ぐらいだったかしら?一休を切り盛りしてた女の子が建物の下敷きになったのよ」

悪い想像は、良くない未来を連れてくる。
どうしてそんなことになったのかとか、仕入れられる情報は数え切れないほどあったはずなのに。
その時の俺は、全くもって忍らしくもなく沙羅の居場所を聞き出し木ノ葉病院へと駆け出していたのである。
後方で俺の慌てように驚きながらも、可哀想にねと連呼する女性たちの声が耳元で木霊した。

忍とは。を体現する気もない足取りで病院の廊下をずんずんと突き進む。
建物の下敷きなんて物騒な言葉に肝が冷えた。
おいおい、大丈夫なんでしょうね。
胸元を急くざわざわとした感覚。
声密かに囁き合われ、今も耳元で木霊する「可哀想にね」の五文字が意識せずとも憂いを連れてきた。
さっきまでは会えなくても仕方がないと思っていたのに、今はこの気掛かりを取り去るには沙羅の無事を確かめる他ないと思っていた。
沙羅に会わなくては。
その心だけで突き進み、受付で流れるように聞いた病室を目の前にする。
少しばかり乾いた口元と上下した胸は、俺のまごうことなき焦りの象徴だった。
マナーのノックも無く扉を開ければ、そこには看護師の女性と共に目を丸くする沙羅の姿。

「は、はたけさん……?」

耳に馴染む声が出迎えたことにふっと安堵する。
しかしベッドの上にいる姿に、大事であったのだろうことは明白であった。
つかつかと思いのままに歩み寄り沙羅を見下ろす。真っ白なベッドに上半身だけ起こして座る姿に、この前とは逆だな。なんてことを密かに思った。

「建物の下敷きになったって聞いて」

聞き及んだまま告げれば、沙羅は違うと言わんばかりに手をぶんぶんと振った。

「あ、いえ。建物の下敷きなんて大袈裟なことではないんです」
「何言ってるのよ、木材の下敷きになったんだから大事に決まってるでしょ。あなた忍じゃないんだから」

テキパキとベッド周りのあれやそれを片していく看護師の女性がすかさず言葉を挟む。

「男の子を助けられたからって、あなたが怪我したんじゃ意味ないのよ」

男の子?
ふと挟まれた言葉に疑問が湧く。
まさかだよなと過るのは、一休の前で考えた悪い予想だ。

「男の子?」
「そうなの。この子自分が大変な目に合ったっていうのに、助けた男の子の心配ばっかりなのよ」

悪い予想は、良くない未来を連れてくる。
自分の花弁が散っていることも気付かぬまま枯れ朽ちていく桜の木。
沙羅の怪我は男の子を守って負ったのだろうことは想像に難くない。
けれど。けれどそれは、沙羅が怪我をしてまでやらなくてはいけないことだったのだろうか。
誰かのためというのは美徳だ。美しい。
しかし美徳なれど、それで我が身を滅ぼすのも本望だとでも言うのだろうか。

「でも、本当。男の子が無事で良かったです……」

きっと。
きっと俺がその場に居たならば、沙羅と同じことをするのだろう。
だからこそ、沙羅がしたことは正しいと思うし、男の子も助かったのだから良かったと言うべきところなのかもしれない。
しかし沙羅は忍でもなければ、ましてや屈強な男でもない。
一歩間違えれば命の危険すらあるのだ。

沙羅はそれを分かっていない。

呆れにも似た吐息が看護師の女性の溜息に溶け込む。
見下ろした瞳がどこかこちらを申し訳なさそうに伺う視線とぶつかった。

「まぁ、あなたも明日には退院出来るんだから、他人の心配なんかしてないで大人しくしてるのよ」

その言葉を聞くなりホッと胸を撫で下ろしているのだろう表情。
ちらりと覗く微かに眉根を寄せる仕草は、沙羅自身も気付いていないだろう癖だ。
周りに心配を掛けていることを申し訳なく思う表情。
分かりやすいそれは、俺に沙羅がどういう人間かを教えるパーツの一つだった。

「だそうですので、私は大丈夫ですよ!」

だからこそ、こうしてへらりと作られる笑みがまた俺のためであることも知っている。
誰かのため。
美しいまでの精神は見習うべきものなのかもしれない。

それでも。

ギプスと包帯でぐるぐる巻きにされている右足へと視線を移す。
痛々しいまでのそれと作られた笑みが、沙羅の行き過ぎた精神を物語っているような気がした。

桜は、己の花弁が散り朽ちていることに気付かない。
もし気付いたとしても、きっと沙羅ならば喜んで誰かの幸せのために花弁を降らせるのだろう。
朽ちることを知りながら。
ちりりと、胸が疼いた。

「明日、迎えに来るから」

向けられた微笑みの意味を、俺は十二分に理解している。
だからこそ、その微笑みが齎したものは初めての苛立ちだった。

散っても尚、君はそれを幸せだと言うのだろうか。





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