会いたくて | ナノ


進んだ先で


厄介なことになった。
漏らした溜息が、まるで足元の蟻んこにでも吸われていきそうである。

ペイン襲来。
その傷跡も癒え切らぬまま、今度はサスケ抹殺の命が下った。
忍界が慌ただしい渦の中へと放り出されていくことを肌で感じながら、それでも教え子を抹殺することに抵抗を示した俺はナルトと共に撤回を申し出た。
ナルトの真っ直ぐな言葉と誠意で事なきを得たが、次いで降って湧いて来たようにダンゾウが死んだ後任として次期火影への推薦が言い渡されたのである。
この俺に。
厄介なことになったと溜息を漏らさずにはいられなかった。
過去を振り返っても、自身に誇れるものなど皆無に等しい。いつだって後悔ばかりを背負って生きている俺に、果たして里を守り支える火影など務まるのだろうか。
そんな疑心暗鬼が身体中を渦巻いていたが、緊急事態に首を縦に振らなければいけないことも何となくだが察していた。
とぼとぼと夕陽に照らされ輝く河川敷を歩きながら、これから待ち受けているだろう困難にやはり溜息を吐く。

「溜息ばかり吐いていると幸せが逃げちゃいますよ」

何度目かも分からぬ、人に言えぬ悩みを溜息に吐き出した俺の後ろ姿にかかる声。
振り返れば、あのペイン襲来から顔を見ていなかった彼女が夕陽の柔らかな光に包まれ佇んでいた。靡く前髪を抑えながら微笑む姿に、知らずのうちにこちらまでもが頬を緩めている。

「やぁ」

タッタッと小走りで近付いてきた彼女はピタリと目の前で止まると、いつものように「こんにちは」と瞳を細めた。その温かな挨拶に久しく食べていない一休のみたらし団子を思い出す。
加えて泣き腫らした彼女の幻影が見えたことは秘密だ。
あの日腕の中に収めた彼女は今にも消え入りそうで、こんなにも儚い存在なのだということを痛感させられた。
お店を継いで一人名店の看板を守り続けることは容易ではない。そんな彼女の大切な居場所を壊してしまったことに、どうしようもなかったとはいえ心が痛んだ。
ぐしょぐしょに瞳を腫らし、漏れる嗚咽を噛み殺す姿に耐え切れなくなり抱擁を強めれば一層彼女の瞳からは涙が零れていった。まるで涙を絞り出しているような気分になったが、今ここで彼女の側を離れれば後悔する。そう直感していた。
あの日の涙は、また一つ俺の後悔として一生忘れることはないのだろう。

「はたけさん?」

幻影に映った過去を無意識になぞっていた俺の視界に、朗らかに笑んだ彼女がひょっこりと顔を出す。
あぁ、やっぱり笑顔の方がいいな。なんて思えば、口からは自身も想像していなかった言葉がぽつりと飛び出していた。

「似合うね」
「?」
「笑顔」

マスク越しの少しくぐもった声ではあったが彼女にはしっかりと届いたようで、首を傾げたと思ったら次の瞬間にはまるで林檎のように頬を赤く染めていた。
びっくり。なんて言葉が良く似合いそうだ。
俺も、まさかそんな直接的な表現を自身がするとは思ってもいなかった。可愛いものを可愛いと。綺麗なものを綺麗と。似合うものを似合うと。心のままに言葉にすることなど久しくなかったからか、それこそ少しこそばゆい様な歯がゆいような心持がしてむずむずとした。

「えーっと……こんなところでどうしたの?」
「あ、はい!」

頬を掻きながら方向転換を図った話題に、彼女は弾かれた様にして乗っかってきた。きっと、驚きで問われるままに答えているのだろう。落ち着きを取り戻しつつある頬の赤みに、もったいないなんて思ってしまうのは彼女に対する贔屓目なのか、それとも名付けてしまってもいい胸を温かくする感情故なのか。
俺がそんなことを考えているとは露知らず、彼女は鮮やかに染まりゆく空を見上げ語り出したのだ。
これからの一休をどうしていくべきか迷っていることを。

「そっか……」

長話をするつもりなど無かったはずなのに、気付けば彼女と二人流れゆく川のきらめきをぼんやりと見つめながら腰を下ろしていた。
ふわりと清潔感漂う香りが鼻孔をくすぐる。それが以前温泉で感じた彼女の香りであることに気付くと、少年のようにそわそわし出す自分がいることを感じて苦笑せざるを得ない。
ガキじゃあるまいし。

「はたけさんも、こんな所でどうしたんですか?」

まるで私の話は終わりですと言わんばかりにくるりと雰囲気を変え問い掛けてくる彼女。その瞳が何かを心配しているような色を帯びていることに気付いた俺は、直ぐさま過去の出来事を思い出す。
彼女に縋り付いた、迷子の自分を。
そんなものを思い出したからか、きっと彼女は俺が何かに悩みまた迷宮で迷子にでもなっていると思っているのかもしれない。
実際次期火影に、なんて予想すらしていなかった展開が降って来たために悩んでいないと言えば嘘になるが。
心配はかけたくない。
彼女は優しすぎる故に自己犠牲的なところがあるから。
俺の前では、甘じょっぱいタレの香りを纏ってふわりと微笑んでいて欲しいのだ。

「ちょっと厄介なことになりそうだけど、でも大丈夫でしょう」

何の根拠も無い大丈夫。それでも、この時の俺は次期火影になんてものに溜息を吐いていたことすらなんてことないような気がしてしまったのだ。
それはきっと、絶望に打ちのめされ涙に濡れていた彼女が目の前で笑っているからに他ならない。
辛くないはずはないのに、必死に前を向こうとしている姿が俺の背を押すのだ。
並んで夕陽を見つめていれば、厄介事も夕陽のように綺麗に見えてしまうような気がした。

「そうですね」
「ん?」

横でうんうんと頷き、何かを納得する彼女に視線をやる。
くるくると表情を変える姿は、まるで天気のようで見ていて飽きがこなかった。

「はたけさんなら大丈夫です。絶対!」

うん。と、まるで自分のことの様に息巻く彼女に笑みが零れる。
その柔らかそうな目尻が下がった笑みで言われると、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だった。

「絶対大丈夫、か……」

これも励ますための根拠の無い大丈夫なのだろう。
そう思い、それでも励まされる幸せに心が陽だまりのように温かくなる。
しかし、彼女はいつも俺の想像を上回っていった。
根拠の無い大丈夫。そう切り捨てた言葉に、そっと手を差し伸べ拾い上げてみせたのだ。

「私、はたけさんといて分かったことがあるんです」

きらきらと水面に反射する夕陽のように、その言葉達は俺の胸を打った。

「はたけさんは、人のことをとても大切に出来る人なんだなって」
「……」
「それに、悲しみを知っています」
「悲しみ?」
「はい」

迷いなく断言される言葉を飲み込み切れなかった思考が、阿呆のように同じ言葉を繰り返す。彼女は、俺が無きものとして切り捨てた大丈夫に根拠を提示してみせようとしたのだ。
その真っ直ぐな瞳に慄いたのは、自分のこれまでの後悔が水面から照りつけるきらきらとした輝きに救われるものではないと無意識に目を逸らしていたからかもしれない。

「人を亡くした悲しみ。大切なものが壊れて亡くなってしまう悲しみ。はたけさんは私がどうしようもない悲しみに暮れた時、そっと寄り添っていてくれました」

あの涙に暮れた日を思い出したのか、微かに恥ずかしそうに顔を俯ける仕草。それを可愛いな、なんて思う暇も与えられぬ程に、俺の心はざわめいていた。

「だから私、少しずつですけど前を向こうと思えてきているんです。全部、はたけさんのお陰です」
「……」
「そんなはたけさんだから、きっと……いいえ。絶対大丈夫です!厄介なことも乗り越えられます!」

幾度となく見てきた彼女の笑顔が、今日この瞬間ほど眩しく見えたことは無かった。
そうだ、この笑顔に俺は今まで助けられてきたのだ。
彼女の、人を思いやる気遣いに。
考えれば考えるほど、思考を埋めるのは彼女の温かな笑顔ばかり。
薬をくれた時も、お見舞いに来てくれた時も、アスマの死に動揺し行くべき道を見失いそうな背を押してくれたあの時も。
気付けばその笑顔で、俺は支えられてきたのだ。

「それじゃあ、沙羅も大丈夫だね」
「え?」

思わぬことを言われたとばかりに瞳を大きくする姿に、リスの丸い瞳を思い浮かべまたほっと心を温かくする。

「俺も、いつも沙羅の優しさと笑顔に助けられてきた。だから大丈夫」
「!」

はっと息を飲んだ彼女に微笑み返せば、ぱっと俯いたその顔が夕陽よりも赤くなる。その得も言われぬ幸せな光景に、やはりどうしようもない愛しさが込み上げてきた。
彼女は、気付いてくれているのだろうか。

大丈夫という言葉の力を借りて、そっと名前を呼んでいることに。





next