会いたくて | ナノ


いのち


覚悟の行方を探す私の前にも、誰の前にも。時だけは正確に刻まれていくのだ。

ペイン襲来。
あの惨劇を、後の人々はそう呼んだ。
晴天麗らかな午後の日差しのもと、大きな地響きと揺れに何事かと思った時には悲鳴が木ノ葉を飛び交っていた。
一瞬にして辺りを漂うむせ返るような煙の香りに、人間としての本能が警告を鳴らす。直ぐさま祖母を連れ辛うじて避難所へ逃げ込んだことで助かりはしたが、事件の収束を経て待っていたものは想像よりもはるかに深刻な事態だった。
死んだ者が生き返る。そんな奇跡や禁忌に近い、何か人ならざる者の力が働いたような歓喜渦巻く里の中で、私は現状を飲み込むことに精一杯だった。
事件は万事収束した。死んだ者も生き返った。
万々歳。
その報告を経て戻った私の目の前にあったのは、ついさっきまで笑い声と甘く香ばしい香りに満たされていた一休の見るも無残な姿だった。
祖母や私の”命”ともいうべきお店である一休が、跡形もなく崩れ去っていたのである。
破れ落ち、土埃塗れになった暖簾。四肢が真っ二つに折られた椅子や、建物の下敷きになり唯の板と化した机だったもの。食器だと辛うじて分かる破片は、お店の周辺あちらこちらに散乱していた。
そして、祖母やもっと前の代から注ぎ足し使われてきた秘伝の、あの甘じょっぱいタレを入れた壺もまごう事なき被害を受けていた。
鈍い音を立てて割れたのだろう壺からは、時を刻んでその色を濃く深く味わい深いものにしてきたのだろうタレが水溜りのように広がっていた。
硝煙の香りとタレの香ばしくも甘い香りの混ざる何とも言えない匂いが漂っている。
その現実を直視して、私は愕然とするしかなかった。
辺りを見渡せば家屋が倒壊しているのは一休だけではない。里の中被害の度合いはまちまちだけれど、全壊した家屋や絶妙なバランスで崩れを免れ半壊している家屋。
一休だけではない被害の状況に、不幸を背負ったのは自分だけではない。そう思いはすれど、戦地の残り香と目の前の現実が私に全てを飲み込む余裕を与えてはくれなかった。
それだけ、心が切迫し緊張に肩が怒っていたのである。
まだ外は瓦礫が散らばり危ないからと祖母を避難所で待機させたまま一休へと赴いたが、この場所へ祖母を連れてくる勇気は勿論無かった。
お店の看板を守る事が出来なかった不甲斐なさに唇を噛み締め、ぼろぼろになった暖簾を握り締めることしか出来なかったのである。

暫くして、背後の空気が揺れ動き良く知る人物の気配を感じた私は、そこにあるはずの一休の面影を見つめながら言葉を零していた。

「潰れてしまいました」
「……すまない」

横に並ぶ銀髪が何とも言えない香りを纏ってそよぎ言葉を運んでくる。
そっと気付かれぬように見やれば、一休の惨状を見つめる表情はアスマさんを亡くしたと告げた時のそれに似ていた。
微かに寄る眉間の皺。その表情に胸がちくんと痛む。
里を守るために最前線で戦っていたはたけさんたちの方が辛いはずなのに。危険を乗り越え里を守ってくれた人に、私は一休が潰れたと告げ謝罪を口にさせてしまった。
本当に言葉にするべきは、こんなことではないはずなのに。

「どうしてはたけさんが謝るんですか?」

戦ってくれてありがとうございます。
里の皆を守ってくれてありがとうございます。
そう言葉にして伝えたいはずなのに。
口は思いとは裏腹に、するすると言葉を紡ぎ出していく。まるで、今喋ることを止めてしまえばとんでもないことを口走りでもするかのように。

「はたけさんは里のために戦ってくれました。お店は潰れてしまったけれど死んでしまったわけじゃないので、またいつでも始められます。それに……

ふわり。
気付いた時には、生っぽい戦地の香りが私を抱き締めていた。
怒る肩も、口からするすると溢れ出る言葉も、本当は悲しみに込み上げてくる震えを誤魔化すため。
命が助かったと人々が歓喜に沸く中で、そうじゃないと声を張り上げたいがためにきりりと歯が軋む。
助かったことを喜ぶべき。そうなのかもしれない。
けれど私は、喜びに勝る悲しみや申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。

「もういいよ」

耳元に囁かれるマスクでくぐもった優しい響き。まるで辛いと叫びたい心を、丸ごと包み込んでくれるかのような人の温もりが布越しに伝わってくる。

「もう、泣いていい」

そう鼓膜から心へと囁かれた呟きに、気付けば頬を一筋涙が伝っていた。張り詰めていた緊張の糸が、更にぎゅっと抱き締められる腕の強さにぷつりと切られていく。
私はまるで幼子のように、痛いぐらい押し付けられた胸に縋り付いて泣いていた。詰まる胸に声を押し殺そうと食い縛る歯。閉じた瞳の奥に広がる闇のような海。立たない爪を立てて握り締める、涙を吸い込んだ木ノ葉のベスト。息の使い方すら忘れる程の感情に溺れるようにして、私はひたすらにこの悲しみが凪ぐ瞬間を温かな胸の中で耐え続けていた。

ペイン襲来。
あの時、確かに人は奇跡とも言われる力によって生き返った。
けれど、人が起こした争いで身勝手に壊された建物は生き返りはしないのだ。
争いに巻き込まれるだけ巻き込まれ、壊され。挙げ句の果てに神をも超える力の恩恵すら与れない。
一休もその一つだ。
昔から木ノ葉の里で人々に癒しを提供してきた風情ある外観。先代からある頬の落ちるような秘伝のタレも、使い込まれた食器や家具も、全て亡くなってしまった。
私が守るべきもう一つの命とも言える一休は、あの時死んでしまったのだ。

押し殺しても漏れていく声に、こめかみがズキズキと痛み出す。
その痛みの波に誘われたのか、ふいに紅さんの言葉が打ち寄せてきた。
『覚悟しておいた方がいい』
力強く脳内を揺らした言葉の意味を、もしかしたら私はこの時初めて理解したのかもしれない。
愛する自分の一部になった命が失われる感覚。それを受け止める覚悟を持てと。

それでも、この時の私にはまだ覚悟が足りなかった。
一休が亡くなったという現実を受け止めることに精一杯であり、覚悟の有無を問える状態では無かったのだ。
勿論、はたけさんに対しても。
正常な思考能力を失った私は、ただ抱き締められる力強さに甘え零れ落ちる涙を止められずにいた。
ぐしょぐしょに泣き腫らした瞳のまま、全てを分かっているよと言わんばかりの腕に抱かれていたのである。

今は、側にいてくれるだけでいい。
それだけで十分だった。





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