遣らずの雨 | ナノ


04-02



時間が刻一刻と過ぎていく中で、沙羅は人生で初めて時間を気にせずにいたことを、翌日自室のベッドの上で柔らかな朝日に照らされ目を覚ますことで気付いた。

昨夜はあれからシカクのテーブルで猪鹿蝶の武勇伝をチョウザが意気揚々と語り、いのいちが自身の愛する娘について愛おしそうに語った。

そして、何よりも印象的だったのがシカクがそんな二人を見ながらお酒をあおり、朗笑している姿だったのだ。
沙羅はもっぱら聞き役に徹していたが、退屈だと思う瞬間は無かった。
里の中でも抜群のチームワークを見せる猪鹿蝶は、もしかしたらこういった場で絆という目に見えぬ、しかし人間の間に存在する確かな信頼を築いているのだろうと感じた。
それを主張するように三人の耳元に光るピアスは、やはり沙羅の目には特別な物に見えたのである。


「さーて、そろそろお開きにしますか」


そう店内に響いた声を聞いても、沙羅は時間を確かめようとはしなかった。
後で考えてみても、その行動の原因は分からなかった。

ただ、この空間や空気、それらをもっと味わっていたいと感じたからかもしれない。

そんな沙羅の気持ちを代弁したかのような声がシカクのテーブルに向かってかけられた。


「シカクさん、もう一件行きますけど、どうしますか?」


先程少し挨拶にやって来た特別上忍の夕日紅である。
彼女は艶やかな容姿をしているわりに、さっぱりとした口調や雰囲気が周りから人気があるようで、彼女の周りにはいつも誰かしらがいた。
今日はあの天才忍者はたけカカシの銀髪が近くにあったなと沙羅が何気に考えていると、不意に「お前さんはどうするよ?」と目の前からニヒルな笑みが飛んで来た。

沙羅は何故か挑戦されているような気分になり、自身の持つ御猪口の底に薄く膜を張るお酒をグッと飲み込み、「明日は任務も無いので、お供させていただきます」と熱い息を吐いてシカクを見つめ返した。

その返答にシカクは「よし、じゃあ行くか」と腰を上げ、後を追う沙羅の頭をあの病室の時のように優しく撫でながら「無理はするな」と付け加えて歩を先に進めて行ったのだ。

沙羅はシカクの名残を捕まえるように自身の手を頭に添え、少し高い背を見つめた。

お酒のせいか、この前より熱く感じた手の温もりに名も無い何かが腹の奥で生まれてしまう気がして、その何かが何かも分からぬうちに沙羅は首を振って思考を打ち切る。

それは何故か恐怖に近かった。

得体の知れないものと出会う、そんな恐怖。

自分の中に生れたことのない感情が芽を出そうとしている予感に、沙羅は心の隅で慄いたのだ。


「来ないのか」


ぴたりと歩を止めた沙羅に気付いたシカクが振り返って問い掛ける。

ずるずると引き込まれそうな思考に終止符を打ってシカクの背を追い沙羅は宴の二軒目へと向かったのであった。




何かと名付けられた名も無い何かは、沙羅が朧げな意識で家の扉を開けベッドに転がり込むようにして夢の中へ引き込まれると、それはシャボン玉のようにあっという間に消えてなくなったのだった。





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