二世の契り−ゲンマ− | ナノ


共感も理解も


きっとこいつは、いつか身を滅ぼしていくのだろう。
そんなことを思った矢先のことだった。

俺はシカクさんの招集のもとAランクの任務に配置されていた。
どうやら雨隠れからの密書を持ち帰っていた筈の木ノ葉の忍が、敵の襲撃に遭ったというのだ。
迅速かつ正確な対応が求められるなかでシカクさんが隊長ならば、まず間違いはないのだろう。
そんなことを思いながら任務の詳細が書かれた紙に視線をやると、班員の欄で俺は目を疑うことになった。
そこに記された涼城沙羅の名前に。

「シカクさん、この面子って」

敢えて言葉を有耶無耶にして問い掛けたが、シカクさんはまるで全てお見通しだとでも言うように「俺が選んだ」と唇の端を吊り上げた。
班員となるもう一人の男は確かにシカクさんとも付き合いが長く実力共に申し分ない人だから選出されることに疑問はない。
けれど沙羅がこういった急務の任務。それもシカクさんが直々に選んだということに違和感を覚えた。
”替えが利く”なんて言われているような人間を、この大切な場面で起用する意味があるのだろうか。
それでもシカクさんの確信に満ちた瞳が一切の揺らぎなく向けられたものだから、俺は柄にもなくごくりと唾を飲み込んだ。
その揺らがぬ瞳がくだした采配がどんな効果をもたらすのか。"替えが利く"とまで言われる人間を使う意味とは。
そして、シカクさんがどうして沙羅を選んだのか。
烟る空間に響く下卑た笑いが脳裏を過った。

「おぅ、来たな」

音もなく現れた沙羅はぐるりと俺たちを見回す。過ぎるように交わった視線は、そのままシカクさんへと戻って行った。流し見る沙羅の横顔が誕生会の日と変わらず何を考えているのか分からないことに、また微かに神経が逆立つ。

「敵は木ノ葉国境付近。幸いまだ密書は無事だ。俺たちは密書を運ぶ連中に合流し、敵と味方の壁になりこれを排除する」

いつも通り味方をも舌を巻く隙のない作戦があれよという間に列挙されていく。仲間としてこれほどに頼れる男はいない。迷いなく突き立てられるクナイは俺たちに絶対の信頼を寄せさせるのだ。シカクさんの中では既に大手が見えているのだろう。この面子で。
そう思うと、この場所に沙羅が集められた意味が俺にはまだ分からなかった。シカクさんの集めた人員だからこそ間違いはないのだろう。
そう思えど、この場において沙羅を選出することの意味が分かり兼ねていた。いや、腑に落ちないと言えばいいだろうか。
視線を流せば沙羅は癖のようにシカクさんの言葉よりも早くにクナイの突き立った場所を見つめ、それでも自信無さげに視線を彷徨わせる。そして自身の仮説と齟齬が無いかを確かめ小さく息を吐く。
他人から替えが利くなんて言われている理由の一つだろうものを目の前にして、俺は下卑た笑いをする輩のように考えることはできなかった。
それよりも、もしかしたら沙羅はとんでもなく頭の回る奴なのではないかと畏怖したのだ。それはシカクさんの計画を先読みするような視線故か、シカクさんが急務の任務に沙羅を選出したからか。どちらにせよ、涼城沙羅がどんな人間かを俺は知らなさすぎた。故に知らなければと思ったのだ。
同じ木ノ葉の里の仲間として。
下卑た笑みを浮かべる煩いハエどもを一蹴しないことに対する共感は得られなくとも、理解することはできるかもしれない。理解することができればシカクさんが沙羅を選ぶように、忍として沙羅を信頼できるかもしれないのだ。
なにも無理をして信頼しようとしているのではない。ただ己の身を守るためにも、木ノ葉の里を守るためにも、仲間を守るためにも、同じ視点を持って戦う仲間は信頼に足る存在でなければならないと思っているだけ。
だからこそ、俺は沙羅を信頼していなかった。
信頼していないと言葉を聞けば良いものではないが、それは嫌悪しているからではなく信頼に足るだけの時間と関係が俺と沙羅の間には無かったからだ。
勿論良いように言わせておく輩に言い返さないのは気に食わないし、それを聞いているのも胸糞が悪い。
けれどそれは沙羅の忍としての能力には関係のないことであることも理解していた。理解して、されど涼城沙羅という人間の本質を見極める必要があると、何故か憂いを帯びて見える横顔を見つめてそう思ったのだ。
あの瞬間までは。

「やばいな」

すっと音もなく足を止めたシカクさんの伸ばした手が俺たちに制止を促す。

「戦況が変わってやがる」
「どうしますか」

簡単にも隊長に判断を請えるのは、それだけの智勇を備えている人物だと認めているからだ。俺にとってシカクさんは忍としても人としても敵わないところにいる。
木々の間をすり抜ける夕日が咥えていた千本に反射した。それに瞳を細めた沙羅はそっと目を閉じ感知に神経を集中させていく。
一つに括られた黒髪が柔らかく波打ち、夕日を吸い込みながら艶を増していく様はどうしても戦場にあるには不似合いな気がした。

「だが、どうもきな臭えな。嫌な予感がする」

シカクさんの予言めいた呟きを聞いた沙羅の瞳が僅かに揺れる。それが不安によるものなのか緊張によるものなのか。判断のつかぬまま墨色の瞳はあっという間に憂愁の陰りを思わせる西日に覆われてしまった。
ただ不安にしろ緊張にしろ、沙羅が信頼を寄せるものの正体がシカクさん本人であるということははっきりと理解できた。
揺らいだ瞳の先にシカクさんの背中があったからだ。沙羅はじっとその背だけを見つめていた。
見つめて、付いていく。
その行為に沙羅の意思があるのかどうかは伺うことができなかったが、背中を見つめる視線が燃えているように見えたのは、きっと夕日を吸い込んだからだけではないのだろう。

「何が起こってる!」

爆風と爆発音、目も眩む閃光が辺りを包む。

「やられた」

全てを悟るには充分な呟きが微かに耳を掠める。
こうなることを1パーセントでも加味していたのか、その声は言葉とは裏腹に酷く落ち着き払っていた。
近くの岩陰に身を潜め衝撃をやり過ごす。同じ様にして視界から一瞬の隙に姿を消したシカクさんは沙羅を庇うようにして更に低く腰を屈めていた。
この場所で戦闘行為が行われることを加味していなかったわけではない。それは出発前にシカクさんも頭の隅に入れておけと直ぐに消えてしまう紫煙のように呟いていたから。しかしそれは同時に一つの仮説を裏付けていることもあの場にいた者なら誰ものが気付いていたはずである。
勿論、沙羅でさえも。
西日が暗雲の漂いを察したかのように夜を引き連れ現れる。濃紺に染まる空と木々が一つの怪物に溶け合おうとしているかのようだった。
爆風に揺れた木々が凪ぐ。そっと岩陰から気配を探れば、そこには戦場らしい凄惨な光景が広がっていた。
鼻に付く血生臭い臭いと、爆煙の煙たさ。目に滲みるそれらを耐え視界に収めたのは、やはりと胸にすとんと落ちてくる元は同じ里の仲間だったはずの者たち。若草のベストが血に染まるのを見て、その血は誰のものだと問うことすら馬鹿馬鹿しくなるほどに、若草のベストは嫌が応にも俺たちに牙を向いていた。

「シカクさん……」

か細い枝のような声がシカクさんを呼ぶ。しかしそれにシカクさんは応えることがなかった。何故なら長考を許さぬほどに敵へと姿を変えた若草のベストが眼前へと迫って来ていたからだ。

「排除する」

冷静な声だった。
戦場にあって戦場にはいないような、まるで将棋盤を俯瞰し見詰める棋士の声。一手を惑うことなく指す有段者のそれに、駒である俺は絶大な信頼を寄せて地を蹴ろうとしていた。

「殺さないで」

その声に足を止められるまでは。

「お前まだそんなこと言ってんのかよ」

条件反射に口をついて出たのはそんな一言。
どうして今それを口に出したのか。俺には到底理解できるものではなかった。侮蔑を込めた視線を沙羅に向けていた自覚はある。けれどそれが間違っているとは思えなかった。
殺らなければ殺られるのだ。任務も果たせなくなる。なにもかもを天秤にかけて、それでも尚お前は殺すなと口にしているのか。そう問おうとしたところで、沙羅の口が恐怖と勢いに任せて開かれていた。

「だって、あの人たちはっ
「危ねぇ!」
「!」

戦場において迷いは隙だ。生死を分ける隙なのだ。
そして敵はその隙を見逃してはくれない。若草のベストが迷いなく突っ込んでくる。こちらの揺らぎを、沙羅というただ一つの隙を悟ったのだ。
頭の隅で誕生会に酔いどれのアンコが呟いていた言葉が脳裏を過ぎった。

『優しいって聞こえはいいけど、それってこの世界じゃ甘いってのと表裏一体だからね』

そう。沙羅は甘すぎるのだ。
握ったクナイに力を込めて今度こそ地を蹴る。元は仲間だった敵の息の根を迷うことなく止めれば、森はあるべき静寂をゆっくりと取り戻していった。
シカクさんがゆらりと立ち上がる。ひっくり返っていた沙羅を力任せに引き起こせば、気付いた時には掌に衝撃とじんわり熱が宿っていた。

バチン

と鼓膜が音を拾ったのはそれから数秒後。森が呆れたように木霊した衝撃を吸い込んでいく。
沙羅の頬を打った自分の手が想像以上に熱を孕んだことを、意外だとは思わなかった。その行為で気付かせねばならないと、思った以上に焦っていたからかもしれない。

「お前、忍に向いてねぇわ」

優しくて、甘くて、他人を傷付けられない臆病な奴。それは沙羅の身を危険に晒すだけではきっとこの先済まなくなる。仲間を、延いては木ノ葉の里を危険に晒すことになるのだ。
だからこそ、今ならまだ引き返すことができる。
同じ忍としてではなく、木ノ葉の仲間として。
傷付けている自覚はあった。けれどもそれで忍びの道から抜けてくれるのならば、この場において些かの空気の悪さを背負うぐらいのことはしようと覚悟していた。ビンタ一発と千本のように放った言葉で沙羅が自分のあるべき道に戻ればいい。それが最善だと、この時の俺は信じて疑っていなかったのだ。
ただ帰還を告げるシカクさんの燻らせた紫煙が尾を引くように、心のどこかで涼城沙羅という人間を惜しいと思っている俺もいた。それは沙羅の中にある微かな能力を評価してのことか、シカクさんという将の背を追う真っ直ぐな瞳を垣間見たからか。
どちらにせよ、閉塞した空気をそっと縫い目を解くようにして割って入るシカクさんの声だけが、この場には丁度良かった。



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