二世の契り−ゲンマ− | ナノ


予感する未来


あの女はいつも”替えが利く”と、そう言われていた。

「あいつなー」
「あいつ?」
「あぁ、昨日一緒だった涼城」
「あぁ、あいつか」

紫煙が立ち込める喫煙所の前を何とはなしに通り掛かる。
いつにも増して煙いな、なんて思っていれば耳を聞き知った名前が掠めた。
思わず止まる足に合わせて煙い会話に聞き耳を立てる。どうしてこの時足を止めてしまったのかと後になって後悔するのだが、それは俺の性格上無視出来ないものだったのだから致し方ないと言う他ない。

「正直あんまり合わないんだよなー」
「分かる。テンポっつーかなんつーか。兎に角やりにくい」
「確かに。”替えが利く”って言われる意味が分かるわ。あいつじゃなくたっていいし、できればあいつじゃない方がいい」
「俺も」

ゲラゲラと下卑た笑いがまるで歪んだ言葉の具現化の如き紫煙と共に立ち込める。
どうして足を止めて聞き耳を立ててしまったのか。そう思っても、もう後の祭りだった。
どの里にもこういう忍はいる。仲間を卑下し、影で誹謗中傷を呟く輩。
別に悪口を言ってはいけないという規則も無いし、実際合わない奴ってのはいる。現に俺にも苦手な奴の一人や二人はいるのだ。
しかし、場所も場所だし時間も時間だ。
こうしてあっという間に盗み聞かれてしまう。
忍らしからぬ行いに、まさかわざと聞こえるようにしているのではと疑いたくなるほどだった。
相手の気持ちを、仲間を思え。アカデミーで耳にタコが出来るほど教え込まれることも、一歩外に出てしまえば本当の意味で心に届いていなかった輩にとっては無用の長物も同然なのだろう。
死地を乗り越えていく過程を経験しながらよくもそんなことが言えると思わなくもないが、実際口に出す人間がいるのだからつくづく人間にも色々な奴がいると教えられる噂話ではあった。
けれど、俺にとって忍らしからぬというやつは大概肌に合わないということを知っている。
生来の性格故か培ってきたもの故か。
そもそも、案外真面目で枠にはまっている人間だったりするのだ。
そんな形をしてと言われることもあったが、アンコに言わせて見れば「あんたも大概熱いわよね」の一言で片付けられる。
だからかもしれない。
時も場所も選ばずに零される配慮のない噂話に、俺は口を挟まずにはいられなかった。

「おい」

肺に吸い込まれてきそうな歪んだ言葉の具現化たちに息を詰める。
こんなもの吐き出したくも吸いたくもない。
嫌悪を隠そうともしない声色が紫煙を纏う輩に突き刺さる。まるでブリキのおもちゃのように振り返るそいつらは、聞かれたことを恥じるのか隠そうとしているのか、そそくさと灰皿で火を揉み消した。
そんなに慌てるのなら言わなければいいのに。
自分の言葉に責任を持てない輩だと厭忌した俺は、これ以上何かを言ってやることも馬鹿馬鹿しくなりひと睨みすることに止めた。
それでこいつらがハエの如く散るだろうことを予想していたからだ。
想像通りばつが悪いという顔をして散っていくハエのような輩が残した煙草の名残に、噂話ほど厄介なものはないなと溜息を零した。


ハッピーバースデー沙羅。

賑やかな掛け声の中始まる誕生会。
噂話を耳に入れた後だからか少し気まずくもあったが、そんなことは俺をずるずると引っ張って来たアンコには何の関係もない。
勿論主賓でありながらどこか他人事のような瞳をして24本の蝋燭が刺さるケーキを見つめる沙羅にも関係がないことだった。
いや、関係がないと一口にまとめてしまうには些か大味かもしれない。
”替えが利く”と、そう言われている女。
俺にとって涼城沙羅の存在は、少しばかり神経を逆撫でるものだった。

「あんた、今年でいくつよ?」

にやにやとした笑みを浮かべて沙羅の脇を小突くアンコを横目に見る。
自分の歳を答えるでもなく愛想を振りまくでもない沙羅は、ただ誕生会の間中ずっと煌びやかに飾られたケーキを見つめていた。
何を考えているのか分からない姿に、紫煙の中を飛び回るハエのような輩の言葉がふと頭を過ぎる。

『兎に角やりにくい』
『あいつじゃなくたっていいし、できればあいつじゃない方がいい』

影で囁かれる噂話という名の悪口。時と場所を選ばないで口にされるそれらに、俺は苛立った。
言うのならば本人を前にして言えばいい。それが出来ないのであれば、ただ誹謗中傷を口にする中身の無い人間と同じであると、そう思っていた。
しかしハエのような輩の言う”替えが利く”という言葉も、もしかしたら言い得て妙なのかもしれないと心のどこかでは密かに思っていることも事実だった。
沙羅は確かに俺たちとはどことなく違う。
雰囲気がそうさせるのか、そもそもの思考回路が違うのか。
何が周りから沙羅を”替えが利く”とまで言わしめてしまったのか。俺は噂話を耳にする度に気になっていた。
気にしながら、任務を同じくした時にはその理由も何となく察しがついてしまったのだ。
仲間からテンポが合わないと言われる理由。
それは沙羅が良くも悪くも頭の回転が良く、他人よりも秀でていたからだ。フォーマンセルで隊長が全てを話し終わるよりも早くに一切を理解し終えてしまう。
それなのに沙羅は自信が無さげにことの成り行きを見守り、言葉を発したりはしない。ただ自分の弾き出した答えと隊長の計画に齟齬が無いかを確かめるように最後小さな一息を零すのだ。
そんな俺たちとは違う小さなタイミングのズレが、ハエのような輩の目にはよろしくないものとして映ったのだろう。
もし沙羅を上手く使える人がいるのだとしたら、話は別だったかもしれないが。
あんなにも白昼堂々と言われていれば、本人の耳に届くことだって時間の問題だ。
いや、もしかしたら既に沙羅の耳に入ってしまっているのかもしれない。
勘が鋭く、頭の回転が良い奴だから。
けれど、もしそうだとしたら何故言い返さないのかと正直思う。
”替えが利く”なんていうのは、忍にとって侮辱以外の何ものでもない。下手をすればお前は必要ないと言われることよりも酷なことかもしれないのだ。
それなのに、もしかしたら沙羅はそれを知って尚ハエのような輩の言葉を放置しているのかもしれない。
そう考えたら、やけに胸糞が悪くなった。
俺がアンコ曰くこんな形をして意外と馬鹿真面目だからかもしれないが、悪口を言う方も言う方だし、言わせるままにしておく方も気に食わなかった。
どうしてそんな風に放置していられるのだろうかと。
この世界はしばしば実力がものをいう。実力にものを言わせて黙らせてしまえばいいのだ。
そうすればハエは自ずから散っていく。
”替えが利く”なんて不名誉極まりないことを言われずにすむのだ。
しかし沙羅はそれをしない。
まるで何も口にしないことが美徳だと言わんばかりに。
沙羅がそれでも良いのなら、まぁ仕方がないことかもしれないが、ある意味馬鹿真面目でお人好しかもしれない俺は何故か肺の辺りにもやもやとまるで紫煙のようなものを燻らせていた。

「よく来たわね」
「お前が引っ張って来たんだろ」

小さく耳打ちするアンコの酒臭い言葉に乗せられるようにして酒を煽る。

「だってあの子、心配なんだもん」

沙羅が心配なのと俺を引っ張って誕生会に出席させることとがどう繋がるのかは不明だったが、アンコは何故か居酒屋にまで出てきた団子を咀嚼しながら独りごちたのだ。

「忍としてこれからどうなるのかなってね」
「......」

煌びやかなケーキが少しずつ切り崩されていく。
それをただ見つめる瞳は、相変わらず何を考え何を映しているのか分からなかった。
ただアンコの呟きに、俺は親友とは言えぬ沙羅の未来を想像してしまったのである。
枝豆に伸びた手がぴくりと止まったことを見留めたアンコは、まるであんたもそう思ってるんでしょ?とでも言うように言葉を重ねたのだった。

「優しいって聞こえはいいけど、それってこの世界じゃ甘いってのと表裏一体だからね」

重なっていく言葉にそうかと一人驚いたのは、アンコにとって沙羅が優しい人間に見えているということだった。
確かに、沙羅は”替えが利く”などと言われているが、それ以前に優しすぎるきらいがある。
それは幼い頃から沙羅と一定の距離を置いて付き合ってきた俺からしても明白だった。
他人を傷付けることに臆病な奴。
しかし殺るか殺られるかのこの世界において、優しいは正義だが一つ間違えれば仲間と己を犠牲にする刃と化すのだ。
アンコの酒臭い溜息と、取り分けられた砂糖の塊らしきケーキを空虚な瞳で見つめる沙羅に溜息を一つ零し、俺は一人低い天井を仰いだ。

きっとこいつは、いつか身を滅ぼしていくのだろうと。



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