二世の契り−ゲンマ− | ナノ


上がらぬ手


嫌な予感というものはどうもこうして当たってしまうのだろうかと、目を腫らした沙羅を横目に呑み込まされた苛立ちが沸々と湧いてきた。

ペイン襲来という未曽有の戦闘は、今や英雄とまで言われるようになってしまったナルトの活躍によって甚大な被害を出しながらも終息した。
今木ノ葉の里はあるべき姿に戻るために復興を掲げ邁進している。
里に属する忍という忍はあらゆる任務にあてがわれた。勿論、俺も沙羅も。誰一人例外なく、火影の命のもと任務へと就いていたのである。
そして幸か不幸か、何度目かの任務で俺は沙羅と組むことになった。
集合場所に現れた沙羅の目元は擦ったように赤く腫れていた。その姿に眉根を寄せてしまったことに気付いて視線を逸らす。
傀儡劇から去る沙羅の表情が脳裏を掠めて居心地が悪い。
任務の間中いつも以上に心ここに非ずという態の沙羅をずっと視界に入れ続けている現状に、時折自分は何をしているのかと我に返ることもしばしば。
しかしどうしてだか視界から追い出すことはできなく、沙羅の目元を見ないようにして沈黙を守り見守る事しかできなかった。
これが惚れた弱みというやつなら、それはたいそう面倒で厄介な代物である。

「後ろだ!」
「!」

視界の端で閃光が瞬く。鬱蒼と茂る木々の合間を縫うように思わず声を上げれば、反射した沙羅は背後でギラリと光る刀の一閃に眉を顰めた。
視界を鮮血が飛ぶ。
自分の血ではない、誰かの血が目の前で流れることはいつになっても慣れない。
それが好いてしまったのだろう女のものであれば尚更。
千本を銜えた口内で舌打ちをして沙羅を討ち漏らした敵を排除に向かう。その手に握った苦無がじわりと汗ばんだ。

「何考えてんだ」

上手い言葉が出てこないことに我ながら呆れてしまう。
残党の処理を終え、呆然と立ち尽くす沙羅の前へ。
放った言葉が沙羅に届いていないことは一目瞭然だった。
何処を見ているか分からない瞳は鬱蒼と茂った森の深淵を見つめ、こちらを見返すことはない。見下ろした目元に擦れた赤い名残。きっとあの傀儡劇を観たその日から、沙羅の中でシカクさんに対する気持ちが確実に形を成してきている。そしてそれは自分でも制御が効かぬほどに膨れ上がっているのかもしれない。こうして心の在りどころが分からなくなってしまう程には。
いけないと頭の中で警鐘が鳴る。
これ以上、もうこれ以上の深入りは本当に沙羅の身を亡ぼすことになりかねない。
どうにかして、止める手立てはないものか。
好いた女が妻帯者を追って身を亡ぼしていく姿など見たくもないし、おいそれと追わせてやることもしたくない。
全ては沙羅のため。
シカクさんを追うことが沙羅にとって良い結果を生むわけはないのだ。
そう考えながら、ふとシカクさんと話した日のことが蘇った。

『お前、あいつのことをなめてやしないか』

あの言葉に、裏はないのだろうか。
忍として信用しているだけ。本当に、それだけだろうか。
要らぬことと知りながら、余計な疑惑が思考を掠める。明らかに邪魔な思考だ。邪魔で、真っ当じゃない。それでも浮かばずにはいられないのは、あのシカクさんのあまりに肩肘の力が抜けた大人の対応と、どこか俺を超えた何かを見つめる瞳のせいだ。
もしかしたら、という邪推に溺れそうになる思考が冷静を吸い取っていく。
これが限界であることには薄々気付いていたのだ。
沙羅の腫れた目元を見た時から。
沙羅の気持ちをこれ以上育てぬために、シカクさんの気持ちがもしもを形作る前に。
どう思われても構わない。そんなことになりふり構っていられるほどの余裕はなくなっていた。
力いっぱい握った掌に爪が食い込む。

「忍をなめるなよ」

お前は忍に向いていない。この世界から遠ざかる事こそ、この先に沙羅の幸せがあるのだ。その幸せを守るためならば、俺は何者にでもなれる気がした。横暴で粗野だと知りつつ、声を上げずにはいられない。
冷たく吐き捨てた言葉に、沙羅は小さく「ごめんなさい」と呟いただけだった。
その答えが俺の心を冷やすとも知らずに。
分かってしまったのだ。その答え一つで。
今の沙羅に、俺の言葉が何一つ届いていないと。
思わず沙羅の頬を打ったあの日のように手を上げそうになる自分がいた。掌に食い込んだ爪が痛い。それでも沙羅が呆然と立ち尽くしていたように、目の間に立った自分もただ言葉一つを浴びせただけで手を上げてしまうことはなかった。それだけじゃない。間違いなく自分は沙羅に手が上げられなくなってしまっていることに気付いたのだ。
大切なものを傷付けてまで忍の世界から遠ざけようとするくせに。邪推故に余裕がないくせに。今目の前にいる沙羅にあの日のように手を上げることはどうしてだか全くもってできなくなってしまっていた。
それが、沙羅を誰よりも女として見つめてしまっていることだとは気付きもしないで。
この日の出来事を俺は完全に道を誤っていたと思い知らされることになるのだった。
沙羅を好いてしまった者として見ず、あの日のように手を上げてしまっていれば、未来は変わったのかもしれない。否、変わったかもしれない希望を持ちたいだけなのかもしれない。
それでも、この日のことを後悔することになるのはそう遠くではなかった。



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