華ヤカ哉、我ガ一族 | ナノ

第参話 秘密ノ話


「随分と馴染んだものだな」

宮ノ杜家長男、宮ノ杜正にとって、その使用人に掛ける言葉はその程度のものであった。
というのも、本当に馴染んだとしか言いようがなかったのである。
若しくは、馴染んだとしか声を掛けたくなかったのか。
どちらにせよ正にとってその使用人に掛けるべき言葉は、この数年の時を経ても程度が知れていたのである。

「はい、お陰様で」

掛けられた声に直ぐさま振り向いた沙羅は、まさかこんな場所で宮ノ杜家長男に出会すとは思ってもいなかったために心臓がひゅっと竦み上がった。
けれどもう六年も使用人として奉公していれば、宮ノ杜の兄弟たちの突飛な行動には慣れが生じるというもの。
まさか使用人ばかりが出入りをする倉庫で正に出会したぐらいでは顔色は変わらなかった。

「正様、このような場所に何か御用向きがおありですか?」

花見のための食器類が所狭しと収納されている第一倉庫。
鍵もないその場所は、使用人誰もが出入りすることが可能であった。
勿論宮ノ杜家の人々も。
しかし倉庫は使用人が宮ノ杜の行事やその他身の回りのお世話をするために必要な物を仕舞っておく部屋である。
そんな場所に正がわざわざ足を運ぶとは思えなかった沙羅は、微かに疑いの眼差しを向けて正を仰ぎ見た。

「お前には関係無いだろう」

すっぱりと切り捨てられた問いは、あっという間に部屋の隅へ。
それを目で追った沙羅は、ならば仕方がないとばかりに半歩足を引いた。

「申し訳ございません。直ぐに出て行きますので」

何故こんな場所に正がやって来たのか。そう疑問には思えども、それよりもこの場所に居座ってはいけないという使用人としての勘が退出を口にさせた。
お仕着せの裾をさばき小さく首を垂れて踵を返す。
目の前には扉があって、それを開ければ直ぐに正の視界からは消えることが出来るだろう。
宮ノ杜家の兄弟たちは殊更使用人を視界に入れることを嫌う人々であるということを、沙羅は十二分に理解していたのである。
何も言わず、騒がず。
目を伏せ口を閉じ耳を塞ぐ。
そうすればこの場を何の障害もなく後に出来ることを、沙羅は心得ていた。
しかしその計画とも言えぬ行動も、全てが万事上手くいくわけでは当然なかった。
なんたって相手はあの宮ノ杜玄一郎の息子であり長男、宮ノ杜正である。
「待て」と言われたら即座に足を止め向き直らなくてはならない。
沙羅はこのまま何事もなく倉庫を出られることを真に願っていた。
一方で宮ノ杜正は、自分に背を向け言葉数少なく去ろうとする背中に何かを言わなければいけないと思っていた。
けれど、何をどう言葉にするべきかを考えあぐねた正はふと浮かんだ妙案に口元を引き上げたのである。

「待て」

ぴくりと呪いの言葉に足を止めた沙羅は、勿論抵抗無く振り返る。
随分とお仕着せの似合う姿になってしまったと哀れみすら浮かぶ正ではあったが、沙羅のことを軽蔑してもいた。
一時とはいえ財閥と言われたのであればそのプライドは何処に行ったのかと。
使用人なんてものをするほどに落ちぶれたのかと。
正はその胸に拳を突き当ててでも問い掛けたくなる時があった。
顔見知りにもならなかったが、昔舞踏会やら音楽会やらで沙羅の姿を見たことのある正にとっては、自ら使用人の道を選ぶ沙羅は侮蔑の対象にすらなり得たのである。
しかし今はそんなことどうでも良かった。
正の頭には来るべき花見に備えた準備が急務だという思考が大半を占めていたからである。
振り返る沙羅に正は大きく一歩を踏み出しずいと歩み寄る。
そしてポケットから取り出した小さな包みを互いの胸の間でちらつかせて見せたのだ。

「花見の日、大佐の酒にコレを盛れ」

涼やかな白蓮の目元が胸元でちらつく包みを見下げる。
どう見ても何かの薬としか思えない包装のそれに、白蓮の目元を飾るすっきりとした眉がにわかに寄った。

「正様、これは......」
「使用人が、何か言ったか?」

問い掛けを一刀両断切り捨てる正に、沙羅の心には己が宮ノ杜に連れて来られた日を思い出していた。
あの日の父も、そうだったと。
抗いようのない力に選択肢など無かった落ちぶれ財閥当主を哀れに思いながら、その実それで良かったとも沙羅は心のどこかで思っていた。
もしまたお金だけを手にしたとしても、あの家は遅かれ早かれ滅びていたのだろう。
己の父を愚者などと蔑む気は毛頭無いが、愚策を弄して多方から打撃を受け一族の未来を閉ざしたことはまごう事なき事実である。
そんな父を沙羅はいつも遠くで見つめていた。
きっとこの一族は潰れるのだろうことを悟りながら、それを心中望んでいたのかもしれない。
お金があるばかりに、皆がお金お金と魘されるのだと。
しかしお金が無くてはならないことも知っていた。
厄介な事に、そのお金は権力のある者の元へと集まっていく。
そして権力を持つ者の善し悪しは、お金を持たぬ者には分からない。
長い者に巻かれて、はじめてその正体を垣間見ることが出来るのである。
沙羅はちらりと上目遣いに正を見て、その有無を言わさぬ瞳に長い者とはこういう目をするのだろうと悟り、右手で包装された何かを受け取ったのだった。

「忘れるなよ?花見の席で、大佐の酒に盛れ」
「......畏まりました」

耳元に寄せられた悪魔の囁きとも取れるそれに、これからの使用人生命や、そもそも人としての尊厳がこの包みの中身を盛った瞬間侵害されるのかもしれないと、沙羅は諦観を覚悟した。

「沙羅、そこにいますか?」
「!」

突如として背中から聞こえる音に二人の視線が扉の方を向いた。
とんとんと叩かれる扉の音と千富の声である。
平静を取り戻すのは正の方が早かったらしく、するりと蛇のように沙羅の脇を抜けドアノブに手を掛けた。

「千富か」
「正様!どうしてこんな所に」
「いや、無くしたと思っていたものを此奴に探させていたのだ」
「まぁ、そうでしたの」

口元に手をやる千富独特の癖は正の背によって隠されていた。
思わず手にしていた包みをその隙にポケットへと忍ばせた沙羅は、これまた何でもないように正に話を合わせたのである。
これが宮ノ杜家使用人の在り方。
目を伏せ、口を閉ざし、耳を塞ぐ。
そして必要とされた時にその命に従うのだ。
期せずして正と秘密を共有することになりはしたが、そのまったくもって浪漫の欠片もないそれに、沙羅は己の使用人としての首の皮が今後も繋がるのだろうかと内心溜息を吐くばかりだった。





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