華ヤカ哉、我ガ一族 | ナノ

序話 新タナ使用人


その日はやけに忙しかった。
養鶏の鳴き声も聞こえぬ早朝からやれ花見の準備だと使用人一同大騒ぎ。
毎年のことといえど、京から樹齢何百年もの桜を取り寄せ数日前から待機するのは骨が折れた。
それだけではない。
料理の支度に宴会場の設置、普段の掃除もこなさなくてはいけない。
使用人にとって催し事は戦場を意味していた。
勿論それが宮ノ杜家だからというのは世間一般の知る所であろう。
財閥という名を欲しいままに、宮ノ杜家の名を一代で世に轟かせた現当主宮ノ杜玄一郎が長では、この盛大な花見もちっぽけなものに見えるから不思議であった。
そんな玄一郎は勿論、自分の行う催し事が使用人の戦場と化していることなど知る由も無い。
知っていたとしても気にも留めないだろう。
使用人は使われるモノなのだから。
そして若い頃より人を使う側にいた人間にとって、使われる側の気持ちなど推して知るべしなんて都合良くはいかない。
しかし、ただ一人だけこの突拍子もない玄一郎に進言を許された使用人がいた。
それが宮ノ杜家使用人頭兼玄一郎専属使用人である江川千富である。
若き日の玄一郎に、妻になる覚悟で勤めを果たすと口にした大物である。
後に大胆なことをしたと思い出に浸るが、当時の千富にはそれしか生きていく術が無かったのだ。
その覚悟が気に入られたかどうかは分からないが、使用人経験も無い千富はいきなり玄一郎専属使用人となり今日までのキャリアを積み上げるに至ったのである。
この日、千富は使用人頭として勿論花見の支度に追われていた。
掃除の指示から花見の支度と目まぐるしい一日に、またこの季節がやって来たのだと実感していた。
忙しいけれど、やりがいがある。
千富は宮ノ杜の使用人として誇りを持っていた。
持っていたからこそ中途半端なことはしなかったし、出来なかった。
花見だからとて浮つくようなこともなく、的確な指示を四方へ飛ばしていたのである。
そんな千富の毎年の出来事。
そのいつも通りに、今年はある変化が起こった。
忙しいと知りながらも、玄一郎はそんなことは知らぬとばかりに用があれば千富を呼びつける。
この日もそうだった。
玄一郎の執事である加賀野平助によって手を止められた千富は、玄一郎様が呼んでいるという言葉に後を使用人たちに任せ主の元へと飛んで行った。
玄一郎は時間にきっちりとした性格ではなかったが、欲しい時に欲しい物が無いと機嫌を損ねる資ではあった。
だからこそ千富は玄一郎の呼びつけにはにべもなく駆けつけるよう心得ていたのである。

「旦那様、千富でございます」
「入れ」

幾度となく叩いた扉を厳かに開いて恭しく足を踏み入れる。
出会った頃よりも随分と老成した主の姿に千富は時の流れの早さを感じた。

「さて千富、今日から新しい使用人を入れることにした」
「きょ、今日でございますか?!」

驚天動地に口元へ手をやる千富は内心また無茶なことをと思った。
しかし主である玄一郎の命令は絶対。
幾度となく主の無理難題を乗り越えてきた千富にとって、無茶なことをと思いつつもやるしかないという意地にも似た何かが既に根付いていた。

「そうだ。今日からこの者を使用人として使う」

そう言った主の威厳が向く先の”この者”を見やり、千富はまた空でも降ってくるような心地がした。

「だ、旦那様!なんのご冗談ですか!」
「冗談ではないぞ」

千富の反応にさも面白いものでも見たように大笑する玄一郎。
それもそのはず。
玄一郎にとって”この者”を使用人として使うことは、名案以外のなにものでもなかったからである。
”この者”が使用人として働く姿に周りの者が見せる反応が面白くて仕方がないのだ。

「ですがこの方は......」

言葉を詰まらせる千富に、玄一郎は興を削いでくれるなよと言わんばかりに笑みを濃くした。

「なぁに、此奴は言わば預かり者よ」
「預かり者......にございますか」

預かり者。
よくもまぁそんな口八丁平気な顔をして述べられると感心しながら、それが主である玄一郎の本質だと知っている千富は再び”この者”へと視線をやった。
玄一郎の専属として長年支えてきた千富には、主の言葉に裏があるのかどうかぐらい察することは容易だったのである。
花見に相応しい朝日が窓から差し込むそれを背に、お仕着せを折り目正しく着こなした使用人が一人。
艶やかな黒髪を後ろで編み込み纏め上げ、涼やかな目元は遠慮がちに伏せられている。
陶磁器のように滑らかな肌と花の蕾のような唇は少しばかり、いいやだいぶ使用人とはかけ離れていた。
まるで物言わぬ人形。
それもそのはず。
千富にとって人形とまで言う”この者”は、使用人とは相容れぬ世界で人形のように蝶よ花よと育てられてきたはずの人間だったのだから。
本当ならば上質な絹を纏い、花の蕾のような唇に淡い紅でも差しているはずの人間。その唇は使用人を使う立場として軽やかに囀るはずなのだ。
それがどうしてか宮ノ杜の使用人として使われる立場にいる。
どうしてなのか。千富の頭に良からぬ想像が浮かぶ。
しかしてそれを打ち消すのはいつもの如く玄一郎の深い笑みと、この一線を越えて踏み入ってきてはならぬという威圧とも取れる瞳の鋭さだった。
それは千富が玄一郎の専属になってから変わらない。
千富はあくまでも使用人。
分をわきまえろという命令だった。

「此奴をお前に預ける。使ってやれ」

そう言い放つ主を前に、千富は内心溜息を吐きながらも逆らうことはしない。
自分は使われる立場の使用人であるといことを使用人頭らしく肝に銘じているのだ。
慌てず騒がず、玄一郎の命じるままに。

「畏まりました。お預かりいたしますわ」

恭しく首を垂れれば、玄一郎はさもこれから起こることが愉快で仕方ないとばかりに部屋を大笑で埋め尽くしたのである。
ちらりと視線をやった人形は、ただ静かに己の運命を受け入れているような、そんな顔をしていた。
かくして、零れ桜の似合う今日この日。
花見という催し事の最中にもかかわらず、一人の使用人が宮ノ杜家に従事することとなったのである。
それから暫くの間はその使用人が屋敷を歩くだけで噂が飛び交った。
目敏い五男の博は早速拡声器の如く吹聴してまわり、六男の雅は新しい玩具でも見つけたように影でほくそ笑んでいた。
それが千富の頭を悩ませているなどとは本人にたちの知り及ぶところではない。
ただ千富はあの人形のような使用人が、この先人としても潰れないだろうかということを案じるだけだった。





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