華ヤカ哉、我ガ一族 | ナノ

第捌話 珍奇ナル花見ノ宴


宮ノ杜玄一郎にとって、息子たちが争うことは愉快極まりないことであると同時に、好都合でもあった。
後に来るべき時を迎えるために。
故に正が勇の酒に使用人を使って何かを盛ると聞いた時も、玄一郎は鼻で笑い飛ばし存分にやるがいい程度にしか思わなかったのである。
干渉する気も無ければ、必要も無い雑事。
くだらない瑣末な出来事だった。
なにより玄一郎には正のやりそうなことなど見当がついていたのである。
何故なら玄一郎は宮ノ杜正という人間を息子としてではなく対等な一人の人間として熟知していたからだ。
正は優しい。優しいが故に、実のところ兄弟の中では誰よりも弱いと玄一郎は思っていた。
そして境遇がさせるのか、そう仕向けたのは自分だと理解していながら、正が宮ノ杜に囚われていく様を見て滑稽だと嘲笑いながら争うことなど出来ないだろうと高を括っていたのである。
花見の宴で勇の酒に何かを盛るとしても、大した騒ぎにはならないだろうことを確信していたのだ。

「随分と立派な桜ですな」

花見の宴に招かれた帝國陸軍大将閣下。
柔和な顔の下で、その手腕は玄一郎も一目置くものがあった。
しかして人の裏側など誰も知ることは出来ない。
こうして優雅に互いの頬を緩めていたとしても、腹の底では何を考えているのかなど分からないのである。
玄一郎にとっては息子の瑣末ごとよりも、目の前にいる帝國陸軍大将閣下との人脈を確固たるものにし、その腹の底を探る方がよほど興味があったのだ。

「京から取り寄せました樹齢五百年の遅咲きの桜にございます」
「樹齢五百年......それは素晴らしい」

感嘆の声を上げ老木の桜を見上げた大将閣下の横顔を流し見て、玄一郎は豪奢な桜から降り注ぐ桃色の花弁が、この帝國において確固たる力を持っていることを表すに最適の物であったと自負するのだった。
招待した人々。見るも豪華な桜。そして酒に料理。
用意したもの全ては宮ノ杜の力を世に知らしめるためのものであったし、玄一郎にとっては人脈作りのための小道具でもあった。
勿論、今まで結婚してきた妻であるサナ江たちをこの場に招待したのも、正や勇といった息子たちでさえも。
宮ノ杜家が強固であると見せしめられるのであれば、玄一郎は何でも使った。
使うことに躊躇などなかったのである。
勇を賛辞する大将閣下の言葉に耳を傾け、尚追従の言葉を並べ立てる姿を見て、玄一郎は相手も自分に取り入りたいのだろうことを鋭敏に察する。
ならば好都合とばかりに、花の賑わいに紛れるようにして相手の腹を探ることにしたのだった。

「大将閣下、父上、少し下がらせていただきます」

勇がちらちらと遠くを伺い、口元を苦々しく歪めたのを見てその原因を悟る。
ずらりと設けられた宴席。その中心から少しばかり外れた場所では、勇や正、茂の母親であるトキ、サナ江、静子が互いの家を罵り合っていた。
その全てを、玄一郎は日常茶飯事だとして特に気にも留めなかったし、気に留めることに意味など無いと知っていた。
それはなにも玄一郎だけが知っていることではなく、毎年のように花見の宴に招待される客人たちにとっては暗黙の了解ならぬ名物と化していたのだった。
しかし、どうにもその光景は勇にとって我慢ならないものらしい。
苦渋に歪む勇の顔を見て、この後自分の身に起こるだろう出来事を知れば、堪忍袋の緒などあっと言う間に切れて所構わず刀を抜くのだろうなと玄一郎は内心ほくそ笑んで我が子を見ていたのである。
事が起こったのは、それから暫くのことであった。
客人の騒めきと使用人の息を飲む音。
一陣の風が花弁の雨を降らせた瞬間、まるでその春の嵐が目の前に具現化したように、あの春風の使用人ことはるが玄一郎の膝へと飛び込んでいたのである。
きゃあ!と、まるで事件にでも出会したような人々の声が和やかな花見の宴に響いた。
まさかこの後に及んで使用人と意図せず触れ合うことになるとは思っていなかった玄一郎は、その珍無類の出来事に腹の底から哄笑した。
おまけに勇が大衆の面前で刀を抜くという暴挙に出た後に気絶するという醜態を目前にすれば、いよいよもって玄一郎は腹が引き攣るほどに可笑しくて仕方がなくなっていたのである。

「はっはっはっ!今年の花見は愉快だ」

玄一郎にとって、使用人が己の膝を占拠することも、勇が何かを盛られ大衆の面前で醜態を晒すことも面白くて仕方がなかった。
何がそんなに面白いのかと、顔を歪めた平助が神妙な面持ちで聞いてきたが、玄一郎はそれに唇を吊り上げることで答えとしたのである。
勇が何かを盛られ大衆の面前で醜態を晒すという予想通りのことが起きたこと。
そして使用人が己の膝を占拠するという予想外の出来事が起きたこと。
予想と予想外の二つが、この日宮ノ杜玄一郎を一等愉しませていたのである。
勿論渦中にいる人物たちは知らない。
きっと、全てを知るのは自分とこの桜くらいのものであろう。
玄一郎はそう美しき老木の桜を見上げ、一人哄笑の色を濃くしたのである。





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