華ヤカ哉、我ガ一族 | ナノ

第漆話 情報屋ノ所見


これからの時代は情報に値がつく。
それは宮ノ杜玄一郎の口癖であった。
情報屋という仕事を生業にしながらも、まさかこんなものに金を出す御仁がいるのだということに依頼が来た当初、有田喜助は驚いていた。
有田喜助。宮ノ杜玄一郎に雇われ、玄一郎の欲しい情報を色々な手を使って掻き集め届ける仕事をしている。
昔は情報なんてものにお金を出す人がいなかったせいか、職業として日々の生計を立てるのは苦しいものがあった。
しかし時代の流れ故か、見聞きした情報に金を出すと言ってきた珍客が現れたのである。
その珍客こそ、時代の中心でその名声を轟かす天下の宮ノ杜玄一郎だった。
玄一郎は喜助を前に開口一番「情報を集めろ。私の欲しい情報を持って来れば、その価値に応じて報酬を出そう」と言ってのけたのだ。
なんて傍若無人な人間だろうか。
喜助は開いた口が塞がらないながらも、時に情報屋なんていうものを生業にしている人間にとっては好機ではないかと感じてもいた。
喜助にとって情報屋とは、金を稼ぐ手段だけではなかった。
情報があれば出来ることがこの世の中にはいくらでもあるのではないか。そんな風に情報への価値を少なからず感じていたからこそ、生業として選んできたのである。
そして突如として現れた時代の中心宮ノ杜玄一郎。
その風雲児とも言うべき人間が情報に価値を見出している。
これは喜ぶべきことであったし、喜助にとっては驚くべきことでもあった。
まさか時代の最先端を行く人間が自分を必要としているなんて。
しかし数度瞬きをするうちに、見ていた世界が一変するような気がした。
それは玄一郎の無言の圧力によるものかもしれなかったし、喜助の期待によるものかもしれなかった。
どちらにせよ、喜助は乾いてしまった口で喉の奥にある唾を飲み込み、神妙な面持ちで一つ頷いたのである。
「分かりやした」と。
それからというもの、玄一郎は喜助に政界事情などを逐一集めて来るよう命令していた。
他にも、宮ノ杜家長男正が頭取を務める宮ノ杜銀行の経営情報や、勇の所属する帝國軍についての情報。
時には使用人の経歴を洗いざらい調べるなど、ありとあらゆる情報を手に入れて来るよう命じたのである。
古今東西走り回り、時として命を張りながら集めた情報は金にもなったし、喜助が情報屋を続ける理由にもなった。
情報には値がつく。
これはあながち間違いでは無いのだろうということを、喜助は身をもって感じていたのである。
いつもありったけの神経を研ぎ澄ませ、四方に目を光らせ耳を澄ませる。
そうすれば、微かな騒めきが自ずから耳に飛び込んでくるのだ。
今日も、そんな日だった。
宮ノ杜家は明日の花見の宴の準備に追われているのか、使用人が屋敷の中を右往左往していた。
千富の声が屋敷に木霊しているところを見ると、使用人の仕事も生半可なものではないことが窺える。
それが分かるからか、喜助は邪魔にならぬよう足早に屋敷を後にしようとしていた。
そんな時である。
最初の騒めきはほんの小さな小さなものだった。
喜助の目に、あの異色の使用人沙羅の姿が映ったことが始まりである。
玄一郎の部屋から出て来て、玄関へ向かう廊下へと足を踏み出した時。
ふと目をやった先に、その使用人沙羅がいたのである。
しかし喜助も普段ならば使用人がいたぐらいでは目の中に入れても足を止めたりはしない。
この時足を止めたのは、沙羅が屋敷の一番奥のベランダへと向かって行くのを静かに見やり、暫くの後にその後を追うようにしてベランダの扉を開ける宮ノ杜正の姿を捉えたからである。
使用人と正。
それも正の方から後を付けるような行動に、情報屋の勘が引っ掛かった。
これは何かあるのかもしれない。
情報屋らしい”何かあるのかも”という勘を信じた喜助は、少しばかり予定を変更して身に付けた抜き足差し足忍び足で二人の消えたベランダの方へを足を向けたのである。

「無くしてはいないだろうな?」

扉の前で息を潜め耳を澄ませれば、聞こえてきた第一声は疑いと確認の色に染まった正の声だった。

「はい」

応えるのは、やはりあの風変わりな経緯で使用人となった沙羅である。
喜助の予想通り、正は沙羅と話をするべくして後を付けたのだろう。
二人の姿は扉越しだと視認することは出来なかったが、そこに漂う空気が何某かを孕んでいることは扉越しでも読み取ることができた。

「大佐の酒に盛れ。忘れるな」
「......承知しております」

一段と声を潜めた正に、喜助は耳をそばだてる。
酒に盛れ。その物騒とも言える単語が正の口から出てきたことに喜助は驚いたが、しかしそこは宮ノ杜家の人間。
裏では人を切った捨てたと、余程綺麗とはかけ離れた現実があることを知っている手前、何かを酒に盛るという単語だけでは取り乱すには値しなかった。
それよりも気になったのは、酒に盛れと言われて承知していると応えた沙羅である。
大方正が給仕に紛れて仕込めとでも言ったのだろうが、対して沙羅がそれを当然の如く受け入れていることが不思議だった。
いや、不思議だと思い込もうとしていたのかもしれない。
この場合宮ノ杜の人間と使用人なのだから、何かをやれと言われたらやらなければいけないし、主が白だと言ったならば黒でも白だと同調しなければいけない。
全くもって不思議なことなど何一つ無いはずなのだ。
しかしそう思い込もうとしてしまったのは、沙羅の境遇を知っているからかもしれない。
社交界の華なんて言われていたわけではないようだが喜助の集めた情報によれば、沙羅はそこはかとない色香を薄皮一枚の下に纏い、仄暗い洋燈の下で咲く芍薬のような人間であったと。
相手の話に添うよう耳を傾けながらも、男たちの誘いに嫌と首を横に振れる人間であったのだという。
だからこそ、何かを盛るなんて己の使用人生命を揺るがすようなことを承諾している沙羅に、喜助は首を傾げるほかなかった。
もしかしたら沙羅にとっては使用人生命などどうでも良いのかもしれない。
なんたって元は財閥令嬢なのだから。いつ何時使用人の仕事に愛想を尽かすともかぎらないのである。
しかし喜助は、沙羅がそんな人間ではないということも知っていた。
この六年、弱音の一つも吐かない姿に感嘆の溜息を吐いたほどだ。
使用人としての心得を熟知し、真摯に勤めを果たしていた。
だからこそ、きっと沙羅が当然の如く正の命令を受け入れているのは、使用人として矜持がそれを受諾させているのだろうと最後には結論付けることができた。

「いつでも宜しいのですか」
「質問は......いや、まぁ、そうだな」

使用人は質問をしてはいけない。
これは宮ノ杜での暗黙の了解だった。
しかし沙羅はそれをこともなげにしてみせる。
喜助からしてみたら度胸があると舌を巻くことではあったが、沙羅からしてみたら大したことではなかった。
沙羅は質問する相手、タイミング、内容をきちんと頭の中で振り分けてから口に出していた。
絶対的に必要になる質問というのが、この世にはあることを知っていたからだ。
ただ質問するタイミングや雰囲気については、幼い頃に培われた処世術が活きていると言ってもよかった。
そうして難なく正への質問を成功させると、また沙羅は無駄なことを口にしない人形へと戻るのだ。
沙羅は己の立場を良く弁えていた。
しかし、そんな人形も同然の沙羅を雅が気に入らないように、正も好いてはいなかった。

「お前はつまらなくなったな、本当に」

何を以ってしてそう呟いたのかは喜助の知るところではないのだが、それに対して沙羅が「申し訳ございません」と返し正の盛大な舌打ちがベランダに響いたことは事実だった。
なんにせよ男女が二人して桜の望めるベランダにいるというのに、その会話には浪漫の欠片も無い。
使用人と宮ノ杜の人間なのだから仕方がないと言えばそうなのだが、喜助には少しばかり残念な気もした。

「......何となく、お似合いな気がするんすけどね」

そんな呟きは、屋敷に轟く千富の怒声と、使用人たちの慌しさに掻き消されてしまった。
さて、この情報は誰に流すべきだろうか。
期せずして花見の宴で勇の酒に何かが盛られるだろうことを知った喜助は、誰に情報を齎すべきかと逡巡した。
けれどここはやはり玄一郎へ伝えるのが得策であろうと判断し、喜助は再び情報を提供すべく玄一郎の部屋へと歩を進めるのだった。
話を聞いた玄一郎は、はっはっはっと相変わらずの大笑を零し、それでも「捨て置け」と息子たちのいざこざを超えるかもしれない何かを切って捨てたのだ。
喜助にはやはり宮ノ杜玄一郎という人間を理解することは当分出来ないことだと感じ、明日の花見の宴で何事も起こらないことを願うばかりだった。





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