ガイというひと | ナノ


「俺の所に来てくれないか?」
「は?」

我ながら素っ頓狂な声を上げるこの展開には、覚えがあった。

の在り処



「それで?そのなんとも妙なストラップ付きの鍵を受け取っちゃったわけ?」

目の前でカカシが呆れたとでも言わんばかりに盛大な溜息を吐く。
事の始まりは数刻前。
待機所へ向かいがてら任務に出るガイと出会した時のことだった。

「沙羅!丁度良いところに!」

毎度朝っぱらから濃緑が良く似合う青春のシンボルは、いつでも煌びやかな太陽を背負っているようなノリで私を呼び止めた。

「おはよう」
「おぉ!今日も朝から良い天気だな!」

曇ってるけどね。なんて言葉を口に出したりはしない。ガイにとって曇天だろうが雨天だろうが心に太陽ある限り何時でも空は澄み渡る晴れなのだ。
このノリに付き合ってきた身としては、曖昧な笑顔を浮かべることでだいぶあしらうのが上手くなったと褒めて欲しい。

「そうだ、実は沙羅に頼み事があるんだが……」
「頼み事?」

こてんと首を折る私に、何故か言葉尻が落ちていくガイはポケットから何やらごそごそと取り出しこちらへと差し出した。
ぐっと差し出される手に思わず反射的に受け皿を作る。
何やら嫌な予感がした。

ちゃりん。

小さくこ気味の良い音が鳴ったかと思えば、感じるのは冷たい感触。
見れば妙にダサいストラップに付いた何処ぞの鍵が、当たり前のように掌に収まっていた。

「俺の所に来てくれないか?」

突然と鼓膜を揺らす言葉。掌に収まる鍵とガイとを交互に見やること5秒。

「は?」

既視感に苛まれながら口にしたのは、いつかの日と同じ素っ頓狂な声だった。

「不自由はさせない。冷蔵庫の中の物は好きに使ってくれ。勿論ベッドは俺の所で寝てくれて構わないし、風呂も好きにしてくれ」
「ちょっ、ちょちょっと待って!」

私は何を言われているのだろうか。
朝っぱらから女一人を捕まえて、鍵を渡し俺の所に来いと言い、挙げ句の果てに家の物あれそれを好きにしていい。もう話が一足飛びどころの騒ぎではなく飛び越えていることに頭が追いつかず制止を図る。

「なんだ?」

まるで何故話の腰を折られるのかと不思議そうにする目の前の男は、こちらのことなど御構い無しに何か大発見でもしたような顔をして告げた。

「あぁ!心配するな!俺の家は直ぐそこだ」

迷うこともないぞ、と頓珍漢な補足を加える姿にこれまた溜息を吐きたくなる。
私は本当にこの男が好きなのか?と自分自身を疑いたくなった。
けれど手の中にある鍵が人肌に温もりを得ていくのを感じて、人知れず胸がとくんと音を立てたのも事実。
せめて、何故こんな展開になるのかという理由を聞くぐらいは許されるだろう。
以前の”お前とはコンビ解消だ” 事件があるぐらいだ。
この男の言葉には用心するに越したことはない。

「俺の所に来いって、どうしてそうなるの?」

すると、問いを聞いたガイは思わぬことを言われたというような顔をして、次いではさも当然のように告げたのだ。

「ん?どうしてって、俺が来て欲しいからに決まっているだろう!」

あっはっは。
聞き慣れた大笑が鼓膜を突き抜けていく。
それこそ思わぬ反応をされた私は、受け止めた言葉を咀嚼しようと試みることで精一杯だった。
それでは何か?ガイは本気だとでも言うのだろうか。
落ち着け。
前例があることを忘れてはいけない。
私はあのガイを相手にしようとしているのだ。そこら辺の猫や犬を相手にするのとは訳が違う。木ノ葉の青き猛獣なんて妙ちくりんな名乗りをするぐらいの珍獣を相手にしているのだ。
そう自分に言い聞かせた私は、一つ深く息をしてガイを見上げた。
青春のシンボルは今日も輝かしい笑顔が良く似合う。

「聞くけど、私がガイの家に行ってどうするの?一緒に住むとか言うわけ?」

まるで犬に物を教えるように告げれば、今度はガイの瞳が思いもよらぬことを言われたとばかりに見開かれ、ぽつりと言葉を零した。

「いや……留守を頼みたいんだが……」

ほらね。
経験がものをいうとはこのことである。
この男は期待をさせるだけさせるのが上手いのだ。いや、単にこちらが期待を持っているだけという話なのだが。
しかしながら、少しでも期待していたことに変わりのない心は、水をあげ損ねた花のようにしゅんと頭を垂れた。
そう。
期待するだけ無駄なのよ。言い聞かせるように何度も心の中で首を縦に振る。

「留守を?どうして?」

留守を頼む。なんて不思議な頼みもあったものだ。今まで散々任務に出る時は家を留守にしていただろうに。今更になって家の金庫に大金でも忍ばせていたことに気付いて心配になったとでも言うのだろうか。
いや、ないな。
小さくかぶりを振って可能性を消したところで、再び濃ゆい眉毛を見上げる。
すると、先ほどまで英気漲る木ノ葉の太陽なんて言い出しそうな濃ゆい濃ゆい眉毛が、ハの字に萎んでいたのだ。
どうしたというのだろうか。

「どうしたのよ、急に」

思わず手の中にある鍵を握り締める。そうでもしなければ、かち合った瞳が私を通り越して何かを見ているような気がして不安になったのだ。
その瞳があまりにも真剣だったから。
漠然と胸を漂った不安。
それがあながち間違いではなかったということを、ガイの発した言葉で知ることとなった。

濃緑の背中に焦がれていると自覚した手前、家の鍵というプライベート極まりない代物を手渡されて動じないでいられるほど出来た女ではない。
しかしそんな浮かれた思考にならなかったのは、ガイの一言がその余地を与えなかったからだ。

「俺が任務で留守の間、もしリーが来たら……あいつの話し相手になってくれないか。どんな話でもいい。頼む」

全てを察するには余りある言葉だった。
ロック・リー。名前しか聞いたことはないが、ガイが我が弟子と豪語するほどの愛着ぶりを見せる担当下忍だ。
つい先日、中忍試験の折に砂の忍とやり合い大怪我を負ったらしいとは聞き及んでいた。
しかし、ガイの様子からして、ただの大怪我というわけではないらしい。医療忍者の手を尽くしても治せないような、そんな怪我なのだろう。

「……私でいいの?」

咄嗟に出た確認とも問いともつかぬ言葉は、向かい合う私たちの間を頼り気なく漂った。
右手に収まった鍵の硬質な感触が、想像以上に大切なことを任されているのかもしれないと悟らせる。

「頼む」

多くを発さないガイの切実な眼差しに映った私は、その気迫に押され小さく頷いていた。

「……分かったわ」

返事を聞いたガイは「そうか……」と一つ安堵の息を吐くと、目の前から旋風のようにあっという間に消えてしまった。残ったのは体温と同化しつつある鍵のみ。
ぎゅっと握り締めた手の中にある存在に、頼まれた事の重要性に私でいいのだろうか。そんな疑心暗鬼なる心がずっしりと鉛の様にのしかかっていた。
妙にダサいストラップを後生大事に付けた鍵が、握り締めた手の中で確かな存在感を放っている。

私は、とてつもないことを引き受けてしまったのではないだろうか……。





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