ガイというひと | ナノ


結局長閑な陽気に感化されたのか、任務らしい任務の来なかった私は待機所で一日を潰すはめになった。
そして約束を果たすべく「俺の家は直ぐそこだ」と言われて向かったはずのガイの家。
全くもって直ぐと表現されるには程遠い場所にある家を前にし一つ、大きな深呼吸をした。
夕日はとうの昔に傾き地平線へと吸い込まれ海の底の様な暗さが広がっている。
緊張に湿る手に握られた鍵をそっと鍵穴へと差し込んだ。
がちゃん。と開錠される音にごくりと生唾を飲む。
ぎーっと鳴る扉に、家主のいない部屋。
その冷え切った寂しさ漂う空間は、どの忍の家も一緒かと安堵した。たとえ、あの暑苦しいガイの家だとしても。

「お邪魔します……」

遠慮の塊のような声を申し訳程度に発し、恐る恐る足を踏み入れる。
電気の点け方一つ教わらなかった手前、壁際を探り探り暗闇を歩いた。
五歩程歩くと手を付いていた壁にスイッチらしきものを見つけ、これまた点けても良いものかと悩み、ここまで来たのだから覚悟を決めろと指先が先走ってスイッチを押した。

ぱちん。

ぱっと点いた明かりの眩しさに目を閉じる。
人の生活している空間に変わりはないのに、ガイが此処で生活しているのかと思うと触るもの全てに恐る恐る手を伸ばさなくてはいけない。
好きな相手の生活空間に入り込むとはこういうことなのだろうか。

「意外と……」

綺麗。そんな呟きが漏れる前に部屋を見渡す。
シンプルな台所に冷蔵庫が一つ。ぽつんと灯ったテーブルを照らす明かりは、良く言えば簡易的だし、悪く言えば質素だった。
ぺたぺたと素足が歩いたことのない板の間を踏み行く。たいして変わったところなど無いはずなのに、此処をガイが同じように素足で歩き寛いでいるのかと思うと胸がざわざわとした。
たぶん此処にガイがいて、「さぁ好きなだけ寛いでいってくれ!」と部屋案内でもしてくれたのなら、呆れと共に浮き足立つ自分に出会えたのかもしれない。

しかし、現実はそう甘くなかった。

付き合ってもいない、ただこちらが一方的に想いを寄せる男の部屋を一人でうろうろとしなくてはいけないのだ。
此処でガイはどんな風に過ごしているのだろう。
そんなことに嫌が応でも頭は思考を巡らせ、あらぬ妄想を繰り広げる。
背中を守りたいと思い、好きだと気持ちを寄せながら、それでも相手の私生活の場所へと放り込まれるのは胸中穏やかではない。
開ける扉一つ一つのノブを恐る恐る捻る。
居間から続く廊下の突き当たりにある寝室を開けてしまった時には、どきりと心臓が跳ね耳を血液が流れる音がした。
ばたんと勢いのまま見なかったことにしようと扉を閉める。

「心臓に悪すぎる……」

寝室の扉を背に、ずるずると膝を抱えるようにして腰を下ろした。
人の温もりの無い冷たさがお尻に伝わり、ふるりと身震いをさせる。

俺の所に来てくれないか?

なんて調子の良いことを言って期待させるだけさせて、あの珍獣は人をなんだと思っているのだろうか。
きっと、「仲間に決まっているだろう」なんてつやりと光る白い歯を見せびらかしてナイスガイポーズを決めるのだろう。
私の気持ちなど知らずに。
少しは考えて欲しいと思ったり、考えられたら困ると思ったり。
二律背反を繰り返す気持ちを悶々と抱きながら、それでも行き着いたのは今朝の揺れるガイの瞳だった。
あんな顔をしていてはいけない。
させていてはいけない。
訴える本能のままに頷いていたが、気持ちはしっかりと定まっていた。
ガイの助けになりたいと。
膝を抱えながら、数日間をこの場所で過ごしリー君の話し相手になることを改めて決意する。
それが今私に出来ることであり、ガイの為になることなのだ。

「よし」

小さく呟き気合を入れ己を奮い立たせる。
あちこちに感じるガイの気配に見つめられる緊張感と高鳴る鼓動を鎮めることが目下の課題ではあったが、逆に本人が居ないだけマシだろうと開き直ることにした。
私の果たすべき役割はリー君の話し相手である。
それを忘れてはいけない。
しっかりと約束を果たし、ガイには煩いぐらいの青春のシンボルでいてもらわなくてはいけないのだ。
ガイ自身のために。
そして何より、それを望む私自身のために。

けれど、ガイの留守中。当の本人であるリー君がこの家を訪れることはなかったのである。





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