紫苑のまぼろし | ナノ


予感


会えない日々が続いていた。
額に感じる熱はじくじくと主張を増していくのに、彼女の姿は日増しに靄がかかっていく。
美しき曲線の化身。
もしや彼女は本当に神だったのではないか、なんて妄想まで飛び出してくる。
いや、神なんかじゃない。神ならばあんなに複雑な表情はしないはずだ。そんな根拠も何もない反論を己に言い聞かせるようにして、彼女を幻から遠ざけようとする。それが唯一彼女をあの世界に留めておける手段だとでも思っているかのように。
それでも、過ぎ行く時に諦めの二文字が強くなっていくのを感じていた。
理由は分からないけれど、彼女にはもう会えない。それを現実のものとして脳が受け止めようとしていた。
そんな時である。

「俺、ですか?」

五代目火影である綱手様から直々のお呼び出しを受けた俺は、火影の口から飛び出した奇妙な言葉に首を傾けたのだ。

「そうだ。ある大名の女性がお前に依頼したいと言ってきている」
「どんな内容なんすか?」
「それが私にもよく分からなくてね。とにかく、お前にとの強い希望だそうだ」

そうにっかりと白い歯を見せて笑う酒豪の火影は、その気風の良さで俺を追い出した。
さっさと片付けておいで。
そう言外に言っているも同然。
かくりと肩を落とした俺は謎の依頼を受けるべく、指定された屋敷へと向かったのである。


そこは、広くもなければ狭くもない。強いて言うのなら平民の家より一回りほど広い敷地を有している屋敷だった。
門の外から数回声をかける。
門脇に掲げられた名札には、涼城と達筆な字が仰々しく構えていた。
その名に、どうしてだかドクンと鼓動が一つ大きく鳴る。
ざわざわと胸元を漂うもやもやとした風が、居心地を悪くさせた。
何だ。この妙な胸騒ぎは。
そう当てにもならない感覚に嫌気がさす。
近頃、自身の予感のような代物は当てにならないことを悟っていた。
それは彼女があの場所へと来ないことを当ててしまったからかもしれない。
当てにならないのではなく、当たってしまうから毛嫌いしているのだ。
そんな思考で一つ息を吐いた時だった。
がらがらと門を開けて、中からきちっとした身なりの女性が現れたのである。

「お待ちしておりました、奈良シカマル様でございますね?」
「えぇ、まぁ」
「どうぞ、こちらへ」

女性に手招かれるまま、俺は依頼主の姿も分からぬ屋敷へと足を踏み入れた。
かつかつと、規則正しい足音が廊下に木霊する。
手入れの行き届いた屋敷は、家主の几帳面さを窺わせた。
所々に置いてある骨董品や絵画も、大名家ならではといった高級品ばかりなのだろう。まるで、彼女の着ていた羽織のように。
まるで……?

「奥様はご病気なのですが、先日持ちなおされまして。そうしましたら、木ノ葉の奈良シカマル様を呼んで欲しいと申されたのです」

どくり、どくり。
何だ。この感覚は。
まるで血液が逆流してくるかのような焦燥感に襲われる。
女性の落ち着き払った声が殊更上擦って聞こえるほどに、心はざわめいていた。
そう。
廊下に置かれた骨董品の緩やかな曲線も、絵画の中に描かれる花々の花弁一つ一つの曲線も。
全て、全てが俺のよく知る気配を纏っていた。

予感が、したのだ。

「さぁ、こちらでございます」

女性はぴたりと一つ、この屋敷一豪奢な扉だろう前で立ち止まった。
胸が早鐘のように鼓動を刻んでいる。
当てになどしたくなかった予感に、何故か縋り付きたくなっていた。
今なら、この予感を信じてもいい。
信じて、予感を現実にするために奔走する気概すら見せよう。

「奥様、お連れしました」
「……どうぞ」

少しばかり噛み合わせの悪い扉が、ぎぎぎと古びた音を立てて開かれた。





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