いいひと | ナノ


「あい、わかりんした」

分かったことなど無いに等しい触診の結末を、何でもないかのように法螺吹くことで有耶無耶にする。
勿論、そんな適当に騙される御仁ではないであろうが、お客人はただ何も言わずに視線ばかりを向けてくる。

何処が悪いとも、何が悪いとも、何が原因とも、何も語らずただ一言、
わかったと、そう告げ薬を差し出す。

それがこの薬屋のやり方だった。
文句を言う奴などそういない。
何せここに来るのは全うな人間ではないのだから。
どんな薬を使うだとか、何が原因なのだとか、そんなこと言うお客人には違う薬屋を進めるようにしている。
あぁ、違った。
そういった薬屋でお手上げのお客人が、止むに止まれずここを訪れるのであったか。そうでなかったか。
この際どちらでも構わないが、今私が目の前のお客人にしてやれることと言えば、適当な薬を見繕い、そっと手に持たせてやることだけだった。

この美丈夫の光が潰え、何時しかこの薬屋から足が遠くなる未来を描けはしても、それを阻止する薬など思いつかなんだ。
視界脇に溢れかえるかめ壷やらからはみ出る緑をちらと睨み、そっと息を吐く。

「どうした」

冷たい感触が降ってきた。
淡々とした口調と共に感じる手を覆うような冷たい感触。
お客人の頬へ添えたままの手に、冷たく節くれだった指が這う。
何時の間にか思考に体を奪われていたらしい。
わかったと、そう告げたものの動きださないことに痺れを切らしたのだろう。麻痺した指先に感覚を取り戻させようとしているかのように、するり、するりと指が刺激していく。
その冷たさに微かな痺れが襲う。
今が世も更けた頃ならば、意味を違えてしまうだろうその痺れは、私を正気に戻すには十分だった。

「ほんにいいお客やと、思いんして」

痺れを受け止めた思考が、愛想良く表情をつくりこの場を取り繕う。
目の前の御仁は何も語らない。
そのいつも通りにほっと制御された頬の力を緩める。
いつも通り、何時もと同じ。深淵の瞳が此方を覗き、低く落ち着いた声が無感情に言葉を紡ぐ。
何を考え、何を思っているのか、それに思考を奪われたことは幾度かばかり。
けれどそれを慮るには知らないことが多かった。
噂を携えやってくる多くのお客人は似たような口ばかり。其れを嘘だと決めつけることなど出来ない癖に、何かの副作用のように光を失っていく本人をこの目で見ているというのに、どうしてか恐れを抱く気になれない私がこうして今も目の前の御仁と関係を続けている。
噂の客と紛いの薬屋。
互いに多く語らない2人にはピッタリの関係じゃないかと小馬鹿に出来るようになったのは何時だったか。
私は、お客人の事を何一つ知りやしない。
他のお客人が運んでくる荒っぽい噂が真実のそれであるかどうかにも興味はない。
ただ、こうして目の前に彼がいてくれさえすれば、私とお客人の関係は成り立つのだ。
噂やら真実やら、どうでもいいじゃないかい。

「イタチ様、これを」

手に伝わる冷たい温もりからするりと抜け出し、棚に置かれた薬を渡す。
白の紙に包まれたものを幾つか差し出せば、下ろしかけていたその手で彼は薬を受け取る。
枸杞子に菊花、地黄に鯉丹、何れも試したものばかりの薬が、気休めにしかならないことは勿論理解していた。
丁度数日前、劈くような大雨に退屈を持て余し作った薬。
薬研でゴリゴリと乾草を只管すり潰した時、思いの外多く作ってしまったもの。
それぐらいしか渡せるものがない。
このお客人はもう駄目なのだと、見切りを心の中でつけておきながら、恩着せがましく薬を売る。貴方が薬をと此処へやってくるものだから。





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