いいひと | ナノ


「薬を買いにきた」
「あい」

ここは薬屋だからね。
そんなこと知っているさと言わなくなったのは、此処に来るお客人が割と短気で無口な御仁が多いのが理由だろうか。
相手の揚げ足を取ってはぶらぶらと振り回し、ほっぽり投げるのが趣味であった昔が懐かしい。
今になってはその衝動からそっと目を背けることは容易いが、ふと心に溢れる戯言くらいは見逃して欲しい。

「さてイタチ様、こちへ」

緩む笑みを愛想にすり替えお客人を招く。
慣れたように歩み出し座敷の端に腰掛けた。
決して金銭に困らない薬屋ではあるが、なにせ取り扱う品の数が普通ではない。当然豊富な薬の量は豊富な薬草からなる。
当てるまでもなく荷がテリトリーを広げるこの部屋では、人なぞ座る場所さえあればいいとばかりの有り様で、こうしてお客人が座敷に腰掛けてしまえば、手の届く距離になる。
この距離は商売の距離ではない。
もっぱら薬草採取が生業の私が、裏稼業の人間に此処まで近づかれてしまってはなす術もない。
脅され薬を強奪されようと、恨まれ首を掻っ切られようと、文句を言えた距離ではない。
そんな距離に、お客人はやすやすと座り込んできた。
否、招いたのは私なのだけれど。

「ほな、ひとつ」

真横とも呼べるその距離に座した彼の顔にそっと手を滑らせ、くいと指を動かす。
慣れたように顔を此方へ向ける彼が何とも憎らしい。
此方の覚悟も知らないでと、商売魂かけた接客に眉一つ動かさないお客人の顔を悪戯に眺めた。

「あてしが見えておるのかえ」
「まだな」

頬に手を添えそっと下瞼に指をかけぞっとするほどに青白い結膜を露わにする。
ここに炎症でもあれば頭を捻るほどに困ることなぞ無いのにと、続けざまにくいと上瞼に指をかけた。

「これ程の美人、見る機会もそうなかろうて」

遠慮せず見て行きなんし。
診療とは名ばかり行為もそこそこに、瞼にかけていた指先でするりとお客人の頬を撫でた。
絡み合う視線に蠱惑的な笑みを乗せる。
別段と特別な意味は無い。
そう、慣れ親しんだお得意様に少しの戯れと愛嬌を振りまいただけで。リップサービスのような、そんな感覚。
女である事に胡座を掻いた、中々にお手軽な店の宣伝の仕方。
稼業が安定した今では、こうして見目の整ったお客人に簡単に手が出てしまう様になった、そんな癖。

「食事はしておるのかえ」
「ああ」
「肝は血を受けてよく視る、血の気が足りんすよ」

造血の薬、きちんと飲んでるのかえ。
濁りも感じることができぬ宵闇の瞳をじっと見つめ、そこから感じ取った無関心にそっと息を吐いた。
こうも己のことに無関心なお客人が、一体何に執着を見出して薬屋に足を向けるのか。それがいつも不思議でならない。


するり、するり。

少しばかりかさつく、けれど男とは思えぬその肌を撫でる。
形を辿るように指を這わせ、手を這わせ、果ては指先がお客人の顎に辿りつき、傲慢に動いた。
くいとその顎を仰け反らせ、白い喉を晒す。
艶めかしい首筋も、微かに溜飲を下げた蠱惑的な喉も、この男の無表情に全てを持っていかれる。
こんな美丈夫、そういないと言うに、勿体無いことこの上ない。
医療行為から逸脱した思考が、どんより胸の辺りで蠢いた。





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