いいひと | ナノ


客が来たようだ。
火の国を抜けて直ぐ、音の隠れ里にある鬱蒼とした深い森。
その森の奥深く、隠れるように在る薬屋に訪ねてくる者はそういない。
毒蛇やら毒蜘蛛やら、百足やら蜥蜴やら。
人ならざるものなら嫌と言うほどに訪れるのだが、やはり人となるとそうはいかないらしい。
彼の治める国ならば、少しは命知らずがいると思っていたのだが。
越してきたのは間違いだったか。
少しの後悔と退屈が押し寄せたある日のこと、客は突然にやって来た。


「おこしやす、イタチ様」

店を越してから数ヶ月。
怠惰と飽きが烟る空間に新たな風を運んできたそれに、ついと目を細める。待ちに待った初めての客は、良く見慣れた人物だった。

「探すのに苦労した」
「それは、えらいご面倒おかけしましたなぁ」

また一つ、煙管から吸い込んだ煙を吐き出す。
白く濁った煙がふわり、彼の服に当たって溶けた。

「遂に追ってがかかったか」
「御冗談を」

薬物、毒物、毒虫、薬草、何でも御座れのこの店を、簡単に潰せる者はそういない。
何せ店が潰れて困るのは、潰そうとするお客人たちの方なのだから。
此の店は何処ぞの薬屋より、ここに訪れる必要のあるお客人向けである。
敵の手に渡ることに恐れをなして刃を向ける者もあろうが、今以上の見返りを期待して己を盾にするお客人もいる。
それをより強固な事実とする為に、私は薬を作り続ける。
そうしてその薬に新たな需要が生まれる。
そういった関係が崩れない限り、私、延いては店に危害が及ぶことなど、ましては追ってから逃げるなどということをしよう筈もなかった。

鼻から抜けた笑いを一蹴、
カンと小気味良い音を立てて煙管の火皿で朽ちた煙草を叩き落とす。
ゆらり、燃え残った煙草が灰に塗れて燻った赤を掻き消す。チリチリと消え逝くそれの、なんと見事なことか。
そんな退屈で仕様がないそんな空間の、唯一の美点である情景を鑑賞しつつお客人を横目で流し見る。

「なんだい、怪我じゃないのかえ」
「怪我をしていたら此処まで来れない」
「それもそうさね」

しっかりとした面構えに新薬の宣伝をし損ねたとばかりに残念がれば、もっともな回答。鼻から抜ける息がそれに同意した。





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