花骨牌 | ナノ

った後輩


紅葉を説得する会を催すのはたして何回目になるだろうか。
今回も通過儀礼の如く爽やかに棄権を宣言した問題児は、周りの説教もとい説得も何のその。美味しそうに枝豆をくわえていた。

「ちょっと、聞いてる?!」

いつも通り、最初にキレたのはアンコ。がん、と大きな音を立ててジョッキを机に叩きつける姿はまさに酒呑みそのものだ。

「あー、はいはい。聞いてますよ」

びちゃと机に零れたビールを苦笑いと共に拭き取れば、聞こえてきたのはこれまた何時も通りの声。絶対に聞き流していたであろう紅葉の態度も、もう何年と見慣れてきたものだった。

この後は何時もと変わらない。聞き流されたことを感じ取った酒酔いのアンコが暴挙に躍り出て、慌てて俺らが宥めすかす。そんな騒がしさもいいころ合いになってくると、「後は大人の皆さんでごゆっくり」なんて言葉を残して、挙句には泥酔しきったアンコの介抱を押し付て紅葉は飄々と帰って行く。
それがいつも通りの流れだった。そうして、そんなことが今日も繰り返されるのだろうと半ば諦めた気持ちでこの飲み会に参加していたのだが、今日ばかりがどうにも違ったらしい。

引き攣った笑顔と拳を全面に押し出し、もはや隠せていない怒りを必死に押しとどめてアンコは続ける。

「紅葉、あんたいくつよ。そろそろ本気にならないと、気付いた時には出世し遅れてましたじゃ済まない年齢になるわよ」

今回ばかりはアンコも本気らしい。現役の大人の忍が未だに下忍ですなんて悔しくないのかと説得を続けていた。
おや、これは。

「世間の評価は、あまり気にしていません。それよりアンコさん、私まだ10代です」


しかし、期待と現実は所詮不一致とでもいうのだろうか。飄々とした態度を崩すことのない紅葉は、ぱくりぱくりと枝豆を頬張っていく。
久しぶりにアンコが頑張ったと思ったのもつかの間、紅葉のこの調子を崩すことができなればどうにも勝算はないらしいと悟る。

しかし一体誰が彼女の調子を崩すことができるというのか。どうにも無理な挑戦に思えてならない。
初めて中忍選抜試験を受け、同じように試験を棄権したその時から、里は紅葉が中忍になることを幾度となく望んできた。なにせ鬼神だ神童だ、なんやかんやと持て囃されていた彼女だ。実力が本物であることは周知の事実だった。

しかし周囲の期待に彼女が応えることはなかった。首を縦に振ろうとしなかったのだ。
それは何故か。今でも多くの噂が囁かれている。本当は実力が劣っていたのだとか、怪我をして最前線には立てないのだとか。幼馴染と比べられるのに耐えられなかったのだとか。真実は知らない。けれど何らかの理由により、彼女は一度としてその命令に従うことはなかった。

昇進に関して様々な憶測が飛び交うのは何も同僚の間だけではない。その余りの頑なさと、幼少期に数年里を出ていたという事情もあり、上層部の数名は木ノ葉を裏切るつもりなのではと勘繰った。害が及ぶ前に切り捨ててしまえと、下忍にはまず出さない任務をけしかけるやつが現れた時もあった。
それを穏健派である3代目火影が宥める事で、一見穏やかに見える状態を今のところは保っている。

だが、それも所詮気休めでしかない。
上層部の猜疑心は年を重ねる毎に深まるばかり。そろそろやばい、なんて状態にまで陥っているのが実情で、それが分かっているのかいないのか。暢気に枝豆の皮を積んでいく紅葉に、俺は溜飲を下げるかのように苦言を呈す他なかった。

「紅葉がどうして中忍になりたくないかは、聞いても教えてくれないだろうから聞かないけどさ」

そろそろマジでヤバいんじゃないの


一瞬の沈黙が落ちる。飲み狂っていたアンコも、端で傍観を決め込んでいたアスマと紅も、ぱくぱくと忙しく口を動かしていた紅葉も。今までそっと布で覆い隠していた部分を盗み見られてしまったかのような奇妙な空気が辺りを包んだ。

「あはは」

けれどそれは、形容し難い苦笑いを浮かべる彼女によって直ぐに霧散していく。ほとほと困ったと言わんばかりのそれを見て、さすがの紅葉も多少の危機感は感じていたらしいと、その事実に一先ずの安堵を覚えた。


「カカシの言う通りよ。知人が拷問にかけられるなんて、私は嫌よ」

調子を取り戻した紅がきっぱりと言い切る。
それに応えるようにして更に力なく笑う紅葉を見て、下がった眉が更に下を向いた。紅の言うことは至極真っ当であった。このままずっと昇進を蹴っていれば必ずやってくるであろう未来は、自分が想像しているよりももっと悲惨な結末を携えやってくる可能性だってあり得るのだ。それだけは、どうしても避けて欲しい。それだけ危険な状態なのだ。

今年は特に。
あの大蛇丸がやってきた事により、里の上層部は排他的になりがちであった。時を待たずしてちらちらと此方を伺いやってきそうな未来にぞっと寒気を覚える。

「実は火影様にも、そろそろ限界だとは言われていたんです」

本当に困った様子の紅葉に、そこまで中忍になりたくないのかと改めて認識する。何がそこまで彼女を突き動かすのかは知らないが、見守っている立場としてはそろそろ大人しく諦めて欲しいと、背中につたう冷や汗を誤魔化すように酒を煽った。

「何度も言うようだが、お前の実力なら中忍になってもやっていける」

「そうよ。どういった理由があるのかは知らないけれど、そろそろ駄々を捏ねるのは諦めなさい。忍とはそういうものよ」

俺と同じ心境になったのであろうアスマが引き攣った笑顔を張り付けそう告げれば、続くように紅が一喝入れる。そんな二人からの叱咤激励に相変わらず紅さんは厳しいと肩を竦める紅葉。

「でも、忍を辞めろとは言わないんですね」

次いで氷の溶けたジュースをちびちびと飲みながらそう告げた紅葉に、全員の溜め息が重なった。あれだけの言葉を受けて出てくる言葉がそれとは、ほとほと困った後輩である。俺たちの冷や冷やとして落ち着かない心持は、どうすれば彼女に伝わるのだろうかと肩を落とした。

「前に俺がそう言ったら、本気で君が辞めようとするからデショ」

「別に忍でなくたって戦う事はできますから」

守りたいものが守れるなら、何も忍である必要性は感じませんからね。

俺たちの気持ちなど何のその。そう言って朗らかに宣言する紅葉に最早白旗を降りそうになる。いくら説得したところで、何のダメージすらも与えられていないんじゃないか。そう考えてしまう程に、大敗の色が濃くなった瞬間だった。


「あんたねぇ、その素敵な脳味噌は戦う為の知識だけを詰め込む場所じゃないのよ!そんな事したらどうなるかぐらい分かるでしょ」

「戦える力が有るにも関わらず忍を辞めたら、それこそ御仕舞いよ」

最早戦意喪失気味な俺とアスマとは正反対に、女性陣は烈火の如く口を動かした。それもそのはず。そんな事をすれば拷問どころじゃ済まされない。まさにそれこそ御仕舞いの状態になるのだ。

それは彼女自身も分かっていることだろう。
ただでさえ怪しまれているのに、そのうえ上忍にも劣らないであろう力を里の為に使わないとも取れる愚行を犯すなどありえない。
だからこそ、紅葉は今も忍を続けているのだ。

それが理解できて何故、


「・・・そろそろ潮時ですかね」

思考がそれに落ちかけた時、しみじみと呟かれた小さな声を拾う。その言葉に思わず動きを止め隣に座る紅葉を食い入るように見つめた。今まで何を言っても効果が見えなかったあの紅葉がここに来てやっと、突然にそんな言葉を漏らしたのだ。
驚きのあまり言葉を喉に押しとめれば、アンコが焦ったように声を荒げた。

「そっ、そうよ!その通りよ!」

アンコの言葉を皮切りに皆が慌てたように言葉を被せていく。皆の体制が前のめりになってしまうのは仕方の無いことだろう。なにせ、いくら説得しても靡かなかった問題児が、ここにきて更生の色を見せたのだ。突然のことに驚きはしたものの、このチャンスを逃すまいとたたみかける。
今まで頑張った甲斐があるんじゃないか。誰もが期待を持たずにはいられないという面持ちだった。


しかし、そんな現状は意図も容易く崩れ落ちる。原因は誰かの不要な一言でも、問題児紅葉の復活でもない。暑苦しい程にうっとしい奴の登場が原因だった。
タイミングの悪い事に、イビキとガイのヤツがやってきたのだ。

「すまないな、リーの付き添いで時間がかかってしまった」

予選で足を負傷したリーくんに付き添っていたのか、何時もより幾分気落ちした様子のガイには悪いが「嗚呼、終わったな」 と理解してしまった自分が言いようもなく情けなくなる。


「なんだ、紅葉は遂に中忍になるのか」

ガイからリーくんの状態を聞きながら、俺も後でサスケの様子を見に行かないとな、と思考を乗っ取られている間にも、アスマから事情を聞いたらしいイビキが紅葉を見て不適に笑っていた。

「俺も仲間を拷問にかける趣味はない。良い選択だと思うが」

悩む紅葉にニヒルな笑みを浮かべるイビキ。第一の試験で新米下忍をいたぶったのは何処のどいつだ、なんて言葉は死んでも吐かないが、もう一押し言ってやってよという言葉はかけてみる。俺はそっとガイの視界を遮るように前のめりになった。せめて彼女の言質がとれるまでは、ガイにはこの会話に混ざってほしくなかった。


「なにっ、紅葉が中忍にぃ?!」

しかしそれも無駄の足掻きだったらしい。イビキがもう一言声をかける前に、隣に座り暑苦しさを取り戻したガイが俺の背を押しのけて突然声をあらげた。グッと押され背もたれに頭をぶつけるも、あいつは全く気がついちゃいない。

その暑苦しい表情はみるみるうちに達成感と嬉しさを滲み出し、さらに暑苦しくなっている。そんなガイを確認した俺の心境は、頭の痛みもそこそこに「余計な事は言うなよ」と、それだけであったが、この調子だとどうにも雲行きが怪しい。

「クゥ〜、遂に俺の熱意が伝わったか。だがしかし、本当にそれでいいのかは自分で決める事だぞ。リーの様に体術だけで立派な忍の道を極めようとする奴がいるように、一生下忍でも立派な忍になることは出来るんだからな!大事な事だ。焦らず決めるといい」

感動で男泣きしてますと言わんばかりのその表情に、ビールやら枝豆やら焼鳥やら、兎角そこら辺にあるものをアイツの顔面に投げつけたくなる衝動に襲われる。教師としては百点を上げても良い程の激励が、今回に限っては全くの検討違いもいいところであるからに他ならない。
これでホントに終わったと感じたのは皆も同じなのだろう。アンコからの強烈な一撃を食らったガイを介抱する気等、起こるはずもなかった。


「・・・そうですね。この先いつかならなきゃいけない日がきても、それは今じゃない訳ですし」

ギリギリまで粘っても損にはなりませんよね。

陥落間近と思われた攻略対象は、どうやら敵の塩で持ち直してしまったらしい。清々しい爽やかな笑みを見せつけ、つかみ所の無い飄々とした表情に戻ってしまった紅葉を恨めしげに見つめた。


あーあ。もう少しだったのに。
こりゃガイの奢りだな。

肩を落とす俺らを余所に何やらすっきりとした面持ちでジュースを飲み干す後輩に、拳の1つや2つぐらい入れても構わないのではないかと思ってしまった自分は悪くない。





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