花骨牌 | ナノ

の下忍


長い予選が終わった。

疲労困憊という文字が頭に浮かびつつも、そう易々と意識を失えない現状に辟易とする。大きな怪我を負って体が動かせないだとか、今にも卒倒してしまいそうな程にへろへろだとか、そんな急を要す状態に陥ってしまえたらどれほど楽だろうと。
そうして次に目が覚めた時は家のベットの中なんて、なかなかにいいんじゃないか。これ以上疲れ切った足を動かす必要もなく、面倒な話も聞かなくて済むのだから。

しかし現実そううまくはいかない。
何の間違いかは知らないが、俺は今、本戦出場者が並ぶ列に紛れ込んでいるのだ。惨めな負け方をしなくて良かったとは思うが、正直ここまで駒を進められるとは思っていなかった。

なにせ二次予選会場が「死の森」だなんて物騒な名前がついた樹海の森だ。生き残れば御の字。なんて考えていた俺が、どういう訳か本戦出場。

まぁ、俺にしては頑張ったほうだよなぁ。
相手が女だったしな。
負ける訳にはいかないよな。

火影の有り難そうな話もそこそこに、ぼーっと宙を睨む。
あーあ、なんかめんどくせぇなぁ。
予選の戦いを回想しながら感じるのは、まだ戦わなければならないのかという脱力感ばかりで、予選を勝ち抜いた嬉しさなど眠気とだるさでとっくの昔に霞んでいた。

くわり、欠伸が漏れる。
待っている時程長く感じる時の流れは、ゆったり、ゆったりと動いていく。まるで目の前で喋る火影のようなそれは、俺の気をあちこちへと飛ばしたいのだろう。噛み締めるようにして連発する欠伸は、もう止まりそうになかった。




「アンコさん、この後飲みに行きましょうよ」

長く感じる時というのも、待てば過ぎていくものらしい。火影の話も終わり、やっと帰れると何回目になるかわからない欠伸を噛み殺したその時、その声は聞こえてきた。
呆れる程に気を散らしていた俺の耳は、ここ数分で聞き飽きた試験管の声とは違ったその声に反応する。どうやら、壁際に立つ別の試験管の誰かが発した声らしい。

調子良さげなその声は、もう目の前で執り行われたガキ共の試合に興味などないのだろう。俺たちが目の前で並んでいることを気にも留めていない様子で、仲間に喋りかけている。
ったく、受験生が疲れきってるというのにいい御身分だ。口元がひくりと引き攣るのを感じた。


「だめだめ。今日こそは紅葉に説教してやるんだから」

まぁ、確かに。試験管たちにしてみれば子供のお遊戯程度にしか見えていなかったのであろう試合がやっと終わったのだ。俺同様、気を散らすのも仕方のないことだろう。そう思った時だった。

ぴくり。
なんて効果音がつきそうな程に俺の耳は反応する。だるくて仕様がないこの現状にちょっとした刺激が入ってきたかのような感覚で、俺の耳は無意識にその名前を拾う。


紅葉。

聞いた事のある名前だった。
否、聞いた事のあるなんて騒ぎじゃない。つい先ほど、試験中に俺等ルーキーの中で話題にあがったその人に間違いなかった。聞いたばかりの名前が予期せぬ形で耳に入ってきたことで、頭が勝手に情報を整理し始める。
俺にとっても、回りの受験生にとっても、きっと印象的な人物だったに違いない。
なにせやっとの思いで潜り抜けた死の森での努力を棒に振るような真似をした人物だ。カブトとかいう奴のように怪我を負っていたわけでも、チャクラ切れを起こしている様子もない。
傷一つない出で立ちで棄権を宣言した受験生だったのだから、そりゃぁ俺たち受験生にとっては直ぐには忘れられない人物だろう。


しかし問題はそれだけではなかった。
何よりも記憶として彼女の名前が頭に残ったのは数刻前。ルーキーの連中が集まったその場で知らされた情報が原因だった。
なんでも彼女、イノがぎゃあぎゃあと喚く意中の相手、サスケの幼馴染であるらしい。本当のところは知らないが、アスマ先生やナルトの班の先生が言うのだから、きっと本当のことなのだろう。


気難しそうに目を怒らせ、いつも一匹狼をかましているあのサスケの幼馴染。

ルーキーの中でずば抜けた天才で、いつも俺ら下忍のレベルにうんざりしていると言わんばかりに退屈そうな様子で授業を受けていたあのサスケの。


度肝を抜かれるなんて表現が生ぬるい程にナルトは喚いていたし、他の連中もまた同様だった。俺だって驚いたのだ。
そんなインパクトを本人の知らぬところで植え付けられた俺は、案の定彼女の名前に反応してしまったとしても、不思議がる者は誰もいないだろう。



香坂紅葉。

今までにこなしてきた任務数は数知れず。
彼女がルーキーであった頃は「天才だ、鬼神だ」と祭り上げられる程に将来を有望視されていたらしい。

しかし過去に数回選抜試験に挑むも、全て途中棄権。一度も本戦へと足を進めた試しがない。

神童も二十歳過ぎればただの人。
そもそも二十過ぎかどうかも知らないが、その言葉の通り、彼女は天才でも鬼神でもなくなっていった。流行りが廃れていくように、彼女の才気も風化を見せた。
らしい。

らしいというのは、あくまでも人からの評価であって、俺自身は何にもしらない。きっとその評価が正しいのであればそうなのだろうし、間違っているのであれば、きっと何か理由があるのだろう。
俺には分かりうるはずもない。ただ、そのことを聞いたことで、あのスカしたサスケも俺と同じ凡人になるのかもしれないと、想像したぐらいだった。



「無駄ですよ。彼女は」



忍として使い物にならない。


そんなえらく冷たい言葉を、彼女はどう受け止めているのだろうか。喋りかけていた男が、酷く呆れたように呟いた言葉を聞いて思う。
何故、そこまで言われて忍を続けてるのかとか、そもそも天才じゃなくなっただけで、普通に忍としてはやっていけるレベルなのか、とか。
彼女のことを何一つ知らない俺が考えたところで答えなんてものを想像できるはずもないけれど、あまりにも耳心地の悪い言葉に眉を寄せる。

俺が彼女の立場だったら、きっと無理だ。周囲がそう言うのだから、俺には忍は向いてないんだろうなんて納得して、のんびりと生きていけそうな仕事を探していたことだろう。

けれど、彼女は今でも忍を続けている。
何故、途中棄権をしたかという謎については全くの未解決であるが、世間の風評に耐えかねて忍を辞めるつもりはないらしい。

随分と太い神経してんだな。
きっと俺なら無理だ。
女なのに頑張るな。

そんな、暇潰しに考えたにしてもあまりに適当な結論が、俺の脳内をぐるぐると徘徊した。




「これにて解散」

待たなくなると慌てたようにやってくる時が、試験の終わりを知らせた。最後の方、内容聞いてなかったけど、どうすっかな。まぁ、適当な奴捕まえて聞けばいいか。
解放されると分かった脳が、ぼやけていた思考を霧散させていく。


「とりあえず、帰って寝るか」

思ったよりも時間は稼げたらしい。終了を告げる試験官の声と共に動きだす受験生を見て、大きな欠伸を漏らす。
後ろの方に並んでたイノに捕まりながらも、チョウジの見舞いは自分が回復してからだと蹌踉けた足を見て決意した。


先程まで考えていたことは、まるで些末であるかのように淘汰され消えていた。





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