花骨牌 | ナノ

瓶にオレンジジュース


落ち着かなく盃を煽る。

夕暮れ時、空っぽの腹を満たしていくそれがカッと暴れ回る。

脈がじわりじわりと駆け出すと、心は自然と落ち着くような気がした。



俺は待っていた。

来る保証なんざ何処にも無いが、こうして逆さ杯を眺めて待っていた。


閉め切った障子を突き抜ける光が段々と弱まって、
もう来ねぇんじゃないかと、そう思いはしても、
何故か腰を上げることが出来ず、淡々と杯を空にしていく。



「飲み過ぎですよ、シカクさん」

影絵遊びもそろそろ難しくなる時分、待ち人は緩慢な動きでやってきた。
影を深く宿し、呆れた様子で此方を見ている。

「うっせ。そういう気分なんだよ」

遠慮無しに座敷へ上がり込み燭台 をつけ始める紅葉を片目にくいっと残った酒を煽る。

「ヨシノさんに怒られますよ」

「お前が黙っておけば問題ない」

空になった杯を満たそうと手を伸ばせば、俺が掴むよりも早くに酒瓶を取られる。


「いや、匂いでわかります」

ここ酒臭いです。
変わらない笑みでそう一蹴りされ、一度は閉めた障子を再び開ける紅葉。
暑くもなく、冷たくもない風がユックリと侵入してくる。
この部屋の酒臭さい空気に紛れるように、ユックリとじわりじわりと、混ざっていく。



「どうだった」

すとん。
俺の前に座り直した紅葉に声をかける。
内容は彼女の任務のこと。
彼女は、それを話すために来たのだと、確認しなくてもわかった。
そしてそれを分かっていたからこそ、俺も こうして待っていた。

俺が紅葉を疑っていることを、彼女は誰よりも敏感に感じたことだろう。
そしてそんな感情を抱いて後悔していることも、彼女にはどうやら気付かれているようだった。

だからこそ、彼女は今こうしてここに居るのだろう。
任務内容を話して疑いが消えるわけではないことを知っていながら、それでもこうしてやってくる。
自分のためじゃなく、俺の為に。


「完璧とまではいきませんが、まぁ、なんとかって感じですね」

「報告は」

「勿論、済ませてきましたよ」

コハル様ではなく綱手様にですけど。
悪戯が成功した子供のように笑う紅葉の顔を眺めながら、思考はどんどん底へ潜っていく。
紅葉ははなから俺を信用などしていなかった。


だからこそ、俺の罪悪と疑心の瞳に敏感だった。
そして、俺が信用に値していなかったからこそ、紅葉はどうでもいいと思っているに違いない。
俺からの紅葉に対する評価など。
でなければこの猫の様な彼女が、分かりやすい演技などしてくるはずも無かったのだ。
ちょっと鋭い奴なら気づける。
彼女の瞳が、誰にも向いていないことに。


「この短期間でよくやったな」

何故、彼女はそんな分かりやすい演技をしていたのだろうか。
そんなの決まってる。
俺を、俺らを信用してないから。
信用される必要が、なかったから。



「砂の里はどうだった」


ほんとうに、そうだろうか。

バレるような演技をする必要が、一体どこに。


「とにかく怪我がなくて良かった」


遠くで紅葉が喋っている。

やばい。
相当酒が回ったみたいだ。


こんなになっちまうなんて、なさけねぇ。



後ちょっと、

何かに、

何か大事なことに、気づいた気がしたんだが。



そう思いはしても、ぐらぐらと回り出した世界になんとも言えない心地良さが伴う。

ふらふらと浮き足立つ視界に映るのは、中身の無くなった白い瓶の山。


へらへらと笑いながら何かを喋っている紅葉。

手にはちゃっかり杯が握られている。
酒の飲めない彼女の為に用意したオレンジジュースの入った酒瓶を見つけたらしい。
ちびちびと飲んでは、ゆったりと口を動かしている。



何を喋っているのかよく聞こえない。
何を話しかけられているのか、わからない。

わかるのはこの件に関して、俺が思った以上に自分自身への負担になっていたこと。
今ここに紅葉が来たことで、まだ彼女の背中に手が伸ばせる距離にいるのだと、酷く安堵したこと。

だんだんと侵食してくる闇に逆らう気力など、今の俺にはなかった。

困ったような、嬉しいような、忙しい表情をする紅葉の顔を最後に、俺は深い意識の奥底に潜っていった。





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