花骨牌 | ナノ


久しぶりに息子より早く帰って来た日の夜。
些か早い晩酌に寛いでいれば、息子の帰宅を知らせる戸の音がした。
久しぶりにゆっくりとした夜に気を良くしていた俺は、何となしに息子を出迎えようと足を玄関に向ける。

すると驚いたことに聞こえてきたのは我が息子と若い女性の声。
シカマルの奴、一体誰を連れてきたんだ。
むくりと起き上がる好奇心のまま向かい入れれば、其処にいたのは部下である彼女だった。


「おぉ、紅葉も一緒か」

玄関先で行儀良く頭を下げへらりと笑う彼女とは対照的に、シカマルはポケットに手を突っ込んだまま怠そうにしている。
親に不味い所を見られたかのような、其れでいて大人ぶって平静を装っているかのよ うな息子の表情に、ニタリと頬が緩む。

「突然お邪魔して申し訳ありません」

「なぁに、気にするな。何なら上がってくか」

「いえ、直ぐ済みますので」

俺の表情を見て顔を顰めるシカマルとは違い、特に表情の変わらない紅葉を見てまた一段と楽しくなる。
無意識とはいえ、意識しているのはシカマルの方だけらしい。

まぁ、シカマルの年頃が多感でカッコつけたがりな面倒くさい時期だとは知っているが、
こうまで相手にされていない所を見ると、少しだけ笑えてくる。

そんな親の邪推もとい、からかいに気付いた息子はキッと俺を睨みつけてから奥へと逃げていった。
その後ろ姿を見やりクツクツと忍笑いをする。
我が息子でありながら、とんと可愛く育ちやがって、まったく困る。


「怒っちゃいましたよ、シカマルくん」

「可愛いだろう」

正面から呆れを含んだ声に窘められ、ふと顔を戻せば、彼女の顔も楽しげに口元を緩ませていた。
いや、紅葉の場合は常日頃からこんな顔だったか。



「彼なら気を使って先に戻っていてくれたと思いますよ」

何が楽しくて何が悲しいのか、何が嬉しくて何が腹立たしいのか。
最早参考になどならない表情をたたえた彼女が、依然楽しそな声音で俺を諭していた。
紅葉が喋り出しやすいように、シカマルをからかい退散させた気遣いに気付いているのだろう。

本当に、年の割によく回る頭だ。
任務での駆け引きや、忍としての技術以前に、紅葉にとっての武器であろうその脳に、
一体俺はどんな紳士に写って いるのやら。

「それじゃぁ、面白くねぇだろ」

俺が。


そんな言葉が後に続きそうな余韻を漂わせ、既に消えた息子の影を目で追えば、クスリと笑う音が聞こえてきた。
きっとこの半分本気の言葉すら、彼女の中では8割方冗談として受け止められていることだろう。
そして何を冗談を、と笑っているのだ。


いや、違うな。
彼女なら俺が本気で面白がっていることなど気付いているだろう。
それでも敢えて、其れを冗談として受け止めた素振りを見せて、緩く笑っているのだ。

紅葉はコミュニケーションをとるのが上手い。
相手の懐に入るのが得意なのだ。
気を良くさせるのが、コイツは上手い。
そういった言葉を選び、人好きのする温和な笑みを携え、すっと身の内に入り込 む。
それが彼女の処世術であり、確かに、彼女の能力に合った最適な方法であると俺も思っている。

時々、ほんの少し、その一歩引いた対応が寂しく感じる時こそあれど、彼女らしさが消えることを良しと肯定したい訳でもなかった。


「それで、どうした」

「いえ、大したことではないんですけどね。里を出る前に挨拶だけでもと」

紅葉に対する思考に行き詰まりを迎えた俺は、ふと本題を振った。
問えば明日からの任務で里を離れる為の挨拶回りらしい。
里外任務が少ない彼女らしい振る舞いに、ふと気が抜けた。

それと同時に、彼女に任務を下した人物の姿が脳裏を過る。
次いで言いようのない後悔が渦巻いた。

「あぁ、そういえば明日からだったな」

「はい。久しぶり の遠征任務です」

「・・・そうか。気をつけろよ」



たったそれだけ。
それだけしか、俺にはかけてやれる言葉がなかった。
俺が言うのも、本当は烏滸がましいのかもな。
なんせその任務に大した反対もせず彼女に持って行ったのは俺なのだ。
この任務に、どんな意図があるのかも知ったうえで、俺は彼女を一人差し出した。


「久しぶりだからって、ホームシックになるなよ」

「大丈夫ですよ。明日、ゲンマさんが見送りしてくださるそうですし」

「あんま迷惑かけるなよ」

「申し出てくれたのはゲンマさんですよ」

心の内を悟られぬように茶化せば、お守役のゲンマが会話に顔を出した。
きっと彼女は他の連中のところにも挨拶回りに行っているのだろう。

里好きな彼女らしい。
何を考えているのか理解できない時がある彼女だが、里を思う想いだけは嘘偽りなく伝わってくる。


そんな、
里を想う彼女を、俺は。


「それでは、明日は些か早いので、そろそろお暇しますね」

「おう、気をつけて帰れよ」

穏やかな笑みが、今は酷く心臓に悪かった。
それでも、今回の任務が紅葉を信頼する為、ひいては里の為になると信じて疑っていない俺は、酷く最低な男なのかもしれない。




「あれ、紅葉さんは」

既に誰もいなくなった玄関先を眺めていれば、戻ったはずのシカマルがひょっこりと顔を出した。
大方、かあちゃんがシカマルを差し向けたのだろう。
ヨシノは昔っから紅葉を猫可愛がりしている。
準備で手が離せない代わりにシカマルを寄越し て食事にでも誘うつもりだったのだろう。

「なんだぁ、シカマル。一丁前に色気付きやがって」

「ばっか、ちげぇよ。かあちゃんが」

目の前でわーわー喚く息子を眺めては、胸奥に潜んだ彼女への後悔がなりを潜めていく感覚にホッと息を吐いた。



俺はもう彼女に信頼される事はないだろう。
人一倍警戒心の強い、正に猫みたいな奴だ。
里という縄張りを必死に守ってはいるが、
その主である火影様も、仲間である忍も、町の民間人も、
一体彼女が心から信頼している奴が、果たして如何程いるのか。


出来れば、いつかは。
気難しい彼女に、信頼される日が来たらいいとは思っていたが、それもどうやら無理らしい。
何せ試すような任務を彼女にけしかけたのだから。
あの時、コハル様の言葉を聞かなければ良かったかと何度後悔したか。


「親父?」

「・・・かあちゃんの飯が冷める前に戻るか」

思考で沈黙の訪れた俺を訝しがる息子に苦笑いを零す。
コイツも、観察眼が鋭いところは大概紅葉に似てやがる。
内に秘めた思考を言葉にしないところまで、ほんとそっくりだ。

「今日は飲むぞ」

「かあちゃんにどやされるぞ」




願わくばコイツが。

呆れ顔を晒して隣を歩く息子をチラリと一瞥する。
願わくばコイツが、俺の代わりに、紅葉を信頼してくれれば。
そしていつか、信頼を彼女から寄せられるようになれば。

娘のように昔から世話してきた彼女に、全幅の信頼を置けない自分が、酷く情けなかった。
それを息子に託そうとする 自分にも。

食卓に付き飲む煽り酒が、カッと喉に響いた。





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