△ カトレア 05
「───お前も、こんなところで何してんだ」
なんだかざわざわと騒がしい大広間からの喧騒を横目に、リヴァイの声色が柔らかくなった。
…そんなの、わたしの方が聞きたい。
なんで今日はこんなことになってるんだろう。
短い時間の中で色々あったな、とぼんやり思い出そうとするけど、リヴァイの香りとその腕の力に包まれた今はそれさえも億劫だった。
顔を寄せる首元からはいつもの彼の肌の香りがして。
この腕の中にいると、この上なく幸せな気分になるのは何故だろう。
きっと世界中のどこにもこんなに落ち着ける場所はない。
少し落ち着いてから息を吐いて、ふと顔を上げると間近でいつもと同じ漆黒の瞳と目が合った。
マルクスには…他の人には少しも触れられたくないと思うのに、この人には許される限りどこまでも触れていたいと思う。
恥ずかしいとか、そういう気持ちより触れたいという想いの方が遥かに勝る。
想いに突き動かされるまま、近くにあった彼の唇に顔を寄せてほんの軽くだけ口付けた。
ちゅ、と聞き取れないくらいの小さなリップ音を立てて。
熱い肌がぴくりと反応したような、しなかったような。
すぐに顔を上げようとしたけどリヴァイの腕に体ごとぐっと持ち上げられて、そのままもう一度唇が重なった。
「……!」
合わせただけ。
さっきより多少長く、強く唇を合わせただけなのに、身体の中からとろりと溶け出すような心地がした。
よかった。
このキスが欲しかったの…。
他の人となんて考えたくない。
リヴァイが来てくれてよかった。
と、そこまで考えてやっと身を離した。
キスをしても彼から目を離さずにいられるようになったのはいつからだろう。
……でも、なんで?
「……リヴァイ、そういえばどうしてここにいるの?」
身を起こすと、それまで遮断していた外の世界の音が急に色を取り戻して、バルコニーからはひそひそとした人の声が聞こえる。
そちらに目を向けると、バルコニーまでは出てこないまでも何人かのドレスを着飾った女性達が開いたままの大きな窓から競うようにこちらを伺っている様子が見えた。
口々に「見えた?」だの「リヴァイ」だのという単語を囁いているのが聞こえる。
私達のいるところは丁度バルコニーの影になっていて何をしているかまでは見えていないようだった。
えっと…。
どういう状況?
「お前がこんなところまで来てなかったら、俺は一生出入りもしてなかっただろうな」
「え…?」
もしかして。
ううん、もしかしなくても、ここには私の為に来てくれた、とか…。
思わず彼の肩に捕まったままの手に小さく力が入った。
「上はだめだな、煩くて仕方ねぇ。
……歩けるか?」
そう問われて小さく頷く。
静かに地面に降ろされると、そのまま歩き出すと思ったリヴァイはまだ動こうとしていなくて、なんだか静かな視線を感じた。
…?
不思議に思ってその顔を振り返る。
「お前、その服はどうした」
「あ、これ…ここに来た時に渡されたの。兵服を探しても見つからなくて」
「………」
完全にリヴァイに預けていた体が両肩を掴まれて予告なくぐい、と彼の体から少し離される。
「っ!?」
び、びっくりした…!
なに?
「後ろを見せてみろ」
何かを言う間も無くそのままその場でくるりと回転させられ、リヴァイの両手がドレスの上から腰のラインを左右からなぞった。
「……っ、」
背中が。
布一枚さえもない背中が熱い。
彼に見られていると思うと、途端に背中から身体中に熱が広がっていく心地がした。
…ただ背中を見られてるだけ。
それなのに、ものすごく恥ずかしい。
他の人に見られてもこんなに落ち着かない気分にはならなかったのに。
どこまで行ってもこの人が自分の特別だと思い知らされる。
露わな素肌に熱い手のひらが触れた瞬間、びく、と否応無しに背中が仰け反った。
「…あ…!」
巻かれた栗色の髪を緩く避けて、徐々にその指先が腰から上へとあがっていく。
「……着けてねぇのか?」
下着、のこと。
いつもはそれのある背中に彼の指先を感じて小さく身震いした。
口からは堪え切れず吐息が漏れる。
「…っ、ぜ、全部取られちゃって……」
背中に熱い息がかかって、広く開いたそこにリヴァイの唇が軽く触れて。
「!…あ…っ」
背中側からするりと両手が滑り込んで、前へといとも簡単に回り込んだ。いつもなら些細な抵抗をするはずの下着も今日はない。
柔らかな肌に熱い指先が緩く触れ、沈み込む。
形を確かめるように彼の手のひらに少し余るくらいの両胸が包まれ、時折緩く持ち上げるように転がされて、呼吸が乱されていく。
「や、ぁ…リヴァ、イ…ここ、外…っ」
指先で存分に柔肌を味わいながら、リヴァイはその露わなうなじから背中まで口付けてから短く息を吐いた。
小さく、また何度目かの舌打ちが聞こえる。
「……開きすぎだ」
耳元で囁くその声色は少し苛立ったようにも聞こえるけれど、夜風に冷えた肌には熱いくらいの刺激をエマはぎゅっと目を瞑りながら耐えた。
「掛かったのが一匹だっただけでも、ありがたく思うべきだな…」
「っ…───!」
胸に、背中に、うなじにリヴァイの唇の熱を感じて。
小さく口付けられるだけなのにじわじわと火照っていく。
熱くなる身体と同時に、恥ずかしさから余計に周囲へと意識が向く。
人の気配がすぐ側のバルコニー越しにある。
それもさわさわとこちらを伺ったままだ。
影になって向こうから見えないとは言え、もし見られたらと思うと羞恥から更に身体が震えてしまった。
「リヴァイ、ひ、人が……っ」
「……見えてねぇよ」
きっと彼らの目当てはリヴァイだ。
結構な人数のひとが彼のことを知ってようで。
エルヴィンと並ぶ調査兵団を代表する役職なのだから当然といえばそうなのかもしれない。
噂話に興味津々、といった煌びやかな衣装を来た女性達を思い出した。
暫くしてもバルコニー越しに大広間から聞こえる静かなざわめきは無くなる気配がない。
どうしよう、これ以上は無理、と恥ずかしさから少し体を強張らせると彼はそれを感じ取ったようだった。
リヴァイは抱き寄せた背中にもう一度唇を寄せてからぱっと身を起こし、私の手を取った。
手を引かれるまま静かにその場を離れるけれど、石畳が敷き詰められた庭にヒールの音がよく響いてしまう。
私達の足音が遠ざかるのを聞くと、それまで窓際で様子を伺っていた女性の何人かがバルコニーまで出て来て、また互いに話を弾ませるのが見えた。
エントランスからの廊下が中庭に通じていたらしく、そこから漏れる明かりを見てリヴァイは足を早めた。
建物内に足を踏み入れて、手を引かれるまま豪奢な絨毯が轢かれた廊下を大広間とは逆方向に進む。
パーティーが始まったばかりの時はほとんどの人が広間に集まって廊下には誰もいなかったけど、今はもう其々思い思いの場所で過ごしているようだった。
足早に歩くリヴァイに手を引かれる私を、廊下や広間で会話を楽しんでいた人達が振り返っていく。
その視線は決まってリヴァイで止まり、次いで通り過ぎた後に「調査兵団の…」と聞こえるのは、きっと私の聞き間違いじゃない。
大広間の近くのエントランスに向かっているわけではなさそうだ。
帰るわけじゃないんだろうか。
どこに向かってるんだろう。
更に廊下を進むと人もまばらになって来て、そこでやっとリヴァイが歩きながら私を振り返った。
「その服、着替えさせられたと言ったな…。どこだったか覚えてるか?」
「あ、えっと、確かここの隣の棟だったと思うけど…」
「…こっちで合ってるな?その建物がゲストハウスだ」
「ゲストハウス?」
そこに向かってるの?
え、なんで?
私が着替えた方が良いってことかな、でも兵服も見つからなかったし…
リヴァイは持っていかれた兵服の場所を知ってるとか?
一瞬のうちに色々と考えていると前を歩く彼が振り向いて、その眼を少し細めてみせた。
少し呆れたみたいな、からかうみたいないつもの仕草だ。
「……いいから、ついて来い」
なんだかいつものリヴァイのペースだ。
ぐい、とそのまま手を引かれて。
足早に歩く彼だけど、ヒールでつまづかない様にいつもより近いところで下から持ち上げる様に手を引いてくれている。
いつもの様に全部を説明してくれなくて、私はその度に彼の言葉から色々考えてみるんだけど、それもきっと全部見透かされてる。
全部任せればいいんだ。
リヴァイといると自分がとても甘やかされているように感じる。
あ、と思った。
甘やかされている。
まるで小さい子にそうするように手を引いてくれて、抱き締めてくれる。
キスもそれ以上もしてくれるリヴァイだけど、その態度は私がまだ幼かった頃とあまり変わらない。
私の中でずっと引っ掛かっているのはこれだ、と思った。
…リヴァイから私はどう見えているんだろう。
エルヴィンは私が幾つになっても毎年誕生日の度に「もうそんなになるのか、」と言うあたりから見てもエルヴィンは私をまだまだ幼いと思っているのが分かる。
……リヴァイは?
リヴァイはそんなことないんだろうか。
初めて会った時から、寝かしつけてくれた時から、彼の中で私の印象は変わっているんだろうか。
嫌われてはいないのは分かる。
今日みたいに、こうしてリヴァイがここに来てくれているのは信じられないけど…、自惚れじゃなく私の為なのだと感じる。
さっきは少し混乱して良く考えられなかったけど、マルクスの言っていた意味が後になって分かった。
相手が私と同じ気持ちとは限らない。
恋愛にも色んな種類があるように、好きの中にも色んな種類があるんだと思う。
私はリヴァイのことが好きで。
その“好き”は周りが見えなくなってしまう程。
人生の中の大事な選択も、反抗的になってしまうのもいつも彼の存在が大きく影響していた。
彼のことを中心に全てを考えてしまうくらい、良くも悪くも私にはリヴァイしか見えない。
リヴァイは私を好きと(実際には私の問い掛けに肯定で答えてくれただけだけど)言ってくれて。
でも、その好きってどういう好きなんだろう───。
リヴァイに手を引かれて辿り着いた隣の棟は、確かに私が二人のお手伝いの方に着替えさせられたところで間違いなかった。
私が連れていかれた部屋は一階だったけれど、三階建てのその建物には他にも部屋があるようだった。
リヴァイの言う通りゲスト用の宿泊施設らしく、廊下には同じ様な扉が左右二つずつ並んでいた。
一階と二階の廊下の壁に身を寄せて静かに伺っていたリヴァイは、何かを確かめたように不意に顔を上げて三階へと私の手を引いていく。
三階にも同じような扉が四つ並んで、リヴァイは迷う事なくその内の一つのドアノブを掴んで開いた。
広々と間取りが取られたその部屋は、私が着替えの為に連れていかれた一階の部屋と同じような造りで。
けれどこちらの部屋はそちらにはあった化粧台やドレスルーム、パウダールーム等はなく、華美な装飾も一切されず必要最小限な家具だけが置かれていた。
壁の色も、その家具も全て落ち着いた白に統一されている。
整えられたベッド、その側にナイトテーブル、備え付けのバスルーム、一番奥には大きな窓から続くバルコニーがあるのが見えた。
……え、っと?
どう思考を巡らせても答えにたどり着く気がしないので、私をベッドに座らせようとしていた彼を見上げた。
「リヴァイ、ここに暫くいるの?…ここ、入っていいところなの?」
「……今のところ人の出入りがあるのは一階と二階だけの様だ。客室を客が使って何が悪い」
リヴァイはそう零しつつ、ベッドの端に腰掛けた私に背を向けて壁際にある燭台に手を掛ける。
一瞬の間の後、部屋の中が揺らめく淡いオレンジ色に包まれた。