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 カトレア 06

「エマ、少し出てくる。
お前はここから動くなよ」


小さく明かりが灯る部屋で、こちらを肩越しに振り返ったリヴァイは低い声でそう落とした。


「え?う、うん」


どこに行くんだろう、と聞こうと思ったのにタイミングを逃してしまい。


「俺が出たらすぐに鍵をかけておけ」


不安げにリヴァイを見上げると足早にその足がこちらに歩み寄り、私の髪をさらりと後ろへ梳かすようにしてから額に静かに口付けた。


「……いいな?
お前は外へ出るなよ」


鍵を掛けろ、とリヴァイは念を押すようにドアを引き寄せてから私を見て、そのまま音もなく廊下へ出て行ってしまった。

私だけの静かな空間に、寂しく扉が閉まる音が響く。


…行っちゃった。


耳を澄ませてみても彼の遠ざかる足音さえ聞こえなくて、薄く息を吐いた。
ひとりで残された部屋が先ほどより広く感じ、思わず室内から目を離してバルコニーへと続くガラス戸へと顔を向ける。


そういえば、なんだか身体の奥に熱がこもるように熱い。

ここまで走るように来たからだろうか。
こんなに薄いドレスを着ているのに。


ガラス戸には室内の灯りとベッド越しの自分の姿が映っていて、外の景色は良く見えない。
ゆっくりと立ち上がるとベッドのスプリングが遅れて軋んだ。

簡易な鍵を開けてガラス戸を横に動かすと冷えた外気が部屋の中に舞い込んで、熱を持った体には心地いいくらいだった。


広くも狭くもないその空間は白い手摺りで囲われている。
バルコニーにヒールの音を立てて踏み出てみると、隣の棟の大広間からは小さく人々の談笑の声も聞こえた。
ガラス戸を閉めてから手摺りに手を掛けて見下ろすと、丁度右下の奥辺りにさっきまで私たちがいた大広間のバルコニーが見え、その左側には庭園が広がっている。



まじまじとその景色を見渡して、改めて邸宅の豪華さに驚く。


エルヴィンの実家も裕福な方だと思ったけれどここは個人宅の域を飛びぬけている。
そもそもここが個人宅なのか、持ち主やパーティーのホストが誰なのかも私には知る由もなかった。
どこもかしこも広々としていて、それこそ公共の建物のようだ。

ふと気付くと楽しそうに笑い合う声に混じり、弦楽器の音楽まで聞こえ始めた。

贅沢な食事に飲み物、それから音楽まで。
世の中にはこんな生活をしている人もいるだなんて。
王都は特に貧富の差が激しくて、裕福な人ほど王政に意見しないものだと聞いたことがある。
それもそうか。
こんな贅沢な暮らしをしているのだから貴族と王政には深い繋がりがあるのかもしれない。

壁の中にいるのだと一瞬忘れそうになってしまう。
ほんの少しいるだけの私がこうなのだから、こんな風に壁の最深部で暮らす人たちはきっと外の世界のことなんて忘れてしまうはずだ。

幸せに暮らすのはとてもいいことだけどそれが調査兵団や民衆の犠牲の上に成り立っているのなら、決して胸を張れる暮らしじゃない。

ほんの一握りの人たちがこうして贅を尽くして、一般市民にその皺寄せがくるなんてどう考えても不公平だ。

リヴァイはそういうことを含めてこういった場が嫌いなんだろうと思う。
私みたいに目先のことだけ見たりしないから、物事を冷静に判断できる。

経験の差もあるだろうけど、リヴァイの能力は腕の強さだけじゃない。

どんな状況でも物事の本質を見極めて対処できるというのはすごい才能だと思う。

少しでも彼のその考えが分かるようになりたいのに。
きっと今も先を読んで何かをしに行った、っていうのはなんとなく分かるんだけど。


やっぱりどこに行くのかくらい聞いておけばよかった。

いつ帰って来るんだろう。
こうして迎えに来てくれたのは物凄く嬉しかったはずなのに、今はもう置いて行かれた寂しい気持ちの方が勝る。


……寂しい。


リヴァイが出て行ってからほんの少ししか経っていないというのに、なんだかもうかなりの時間こうしているいる気分だ。

そう思った瞬間に不安になる。


帰ってくるよね…?


「もう……どこ行ったの、リヴァイ……」


手摺りに小さく捕まるようにしてもたれかかっていたけど、バルコニーの左奥に目を向けると少し高めの黒いカウンターチェアが置きっぱなしになっているのが目に入った。

清掃をする際にでも使ったのかな。
お手伝いさんが仕舞うのを忘れてしまったのだろうか。

客室の用意をする時にこんな目に入りやすいものを忘れるはずもないから、リヴァイが言う通りこの部屋は使われる予定がなかったのかもしれない。


隣の棟を繋ぐ廊下もここからなら少しだけ見える。
もしかしたらリヴァイが帰ってくるのも見えるかもしれないと思い、その黒い椅子を少し手前に引き寄せた。

足掛けが途中に付いていて、ヒールをそこへ引っ掛けるようにして少し高めの座面へ腰掛ける。

丁度良い高さに目線が上がったので、足掛けで少し足を遊ばせたりしながらきっともう来ることのないだろう夜会というものの雰囲気だけでも味わっていた。





広間に繋がるあのバルコニーには時折人が出たり入ったりして、飲み物を片手に持ち優雅に楽しんでいるようだ。




さらさらと夜風が頬と髪を撫でていく。


心地良い。


肌の表面は冷えていくけど身体の火照りはまだあったので寒くはなかった。





「……?」




暫くそうして時間を持て余して、不意に足を組みかえた際に小さく足が痛むことに気付いた。

一瞬ヒールのせいで痛めたのかと思ったけど、その違和感は爪先でもかかとでもなく脚の前面だ。
微かな痛みなのでその痛みがどこからのものなのかも一瞬分からず、足掛けに掛けた右足を俯いて見ようとするけれど、ほとんど灯りの届かないバルコニーでは細かいところまでは見えなかった。

仕方がないので座面のすぐ下にあるもう一つの足掛けにヒールを掛けるようにして、右足を持ち上げてみる。
指先で膝のすぐ下あたりを探るように触れると、痛みがほんの少し明確になった。

「っ」

ちくりと走る鋭い痛み。

指をその部分に滑らせると斜めに切り傷が走っているのが分かった。


思わず顔を顰めて指先を離す。
もっとひどい骨折や裂傷を経験したというのにこんなに小さい傷が今は充分痛く感じるなんて。
痛覚にはいつになっても慣れなさそうだ。



どこで切ったんだろう。


庭園で植物の近くを走った時かな。


全然気が付かなかった…と思った時、すぐ横でカタンと音がした。




はっとして顔を上げると、リヴァイがガラス戸を開けたままこちらに視線を向けている。



「リヴァイ……、」



お帰りなさい。
どこに行ってたの、


そう言おうと思ったのに、その瞳がこちらを見つめたまま動かないのでこちらも同じように言葉を失ってしまった。



え、なに…?



にこりともしないのはいつもの事だけど、それでも瞳の色がいつもと少し違うように感じる。

こういうリヴァイから私が目が離せるわけがない。


混じり気の無いリヴァイの綺麗な瞳の色。

時折その色も変わって見える。
漆黒に近いけれど、どこまでも真っ暗なわけではなくて濃いグレーが入ったようにも見えたり、彼の感情が入って紅く見えたり。

だけどこんな夜の中では明るい黒にも見えた。
夜闇のように黒いはずなのに暗い中ではそれが際立つなんて不思議な話だ。


ガラス戸を開け放したまま、その姿がゆっくりとこちらへ歩み寄る。

思わず抱えていた右足を離して降ろそうとすると、やっとその唇が動いた。



「−−−…そのまま、動くな」



静かな彼の声が聞こえた。
そう言われた私は文字通り固まってしまった。


そのまま動くな、って言ったの?

……なんで?


「…?」


頭の中が一気に混乱して、降ろしかけた足を途中で抱えたまま近づくリヴァイを見上げた。


リヴァイのことを少しでも分かりたい。
その考えを理解したいって思うのに。
こんなのばっかりで彼のことが分かるはずもない。

徐に高椅子に座る私の目の前に立ったリヴァイはこちらに向かって手を伸ばす。
伸ばされた手が触れてくれることを知っているのに、振れられるまでの一瞬までもがもどかしくてたまらない。

彼の後ろには部屋からの微かなオレンジ色の灯りが漏れている。
真っ暗なはずの夜の帳が夢の様に煌めいて感じた。

私から目を離さないリヴァイに、私もまた瞳も心も奪われていくようだった。

その体温が首元に触れて。
指先が頬を撫でたり髪を軽く梳くように通したり、手の甲に口付けさせるように軽く押し付けられたり。

それでも繋がった目線は途切れることがなくて、少し不思議な心地で彼の愛撫と視線を受け止めていた。


今まで見たどの彼とも少し違う。

あとどれだけ私の知らない彼がいるんだろう。


身体を繋げることで分からなかったことが分かると思っていた。

感情も感覚も、曖昧な部分も、最後まで感じることが出来れば全てはっきり分かるようになるのかなと思っていたけど、実際はそんなことは全然なくて。
触り方ひとつ、視線ひとつでまたいくつも新しい感情が湧き上がる。
リヴァイが見せてくれるなら、少し怖いけど、どこまででもついていきたいと思ってしまう。


リヴァイは私の少し顔に掛かる髪を柔らかくかき上げるように梳いてみたり。
ゆるゆると顔や髪に触れる指先は時折軽くなったり強くなったり。
彼の瞳がその指先を追うように一点ずつを見つめたり。

何かを考えているようにも見えたけど、その指先は唇を最後になぞったのを最後に離れて、次の瞬間にはするりと脚へと移動した。


中途半端に抱えたままだった私の右足の膝辺りに大きな手が置かれて、そのまま膝を曲げさせるように軽く上に押し上げた。
先ほどまで自分でそうしていたように、膝を上げてヒールを上部の足掛けに掛けると服の裾が肌蹴てかなり上の方まで露になってしまう。


「っリヴァイ……?」


こんな正面から下着まで見えるような恰好、恥ずかしすぎる…!


それが分かって躊躇すると、ふと彼の影が屈んで不意打ちに口づけられた。

先ほどまでの指先や手の甲とは違うしっとりとした温かな感触に一瞬だけ驚き、次いであっという間に思考がぼやけていった。

その幸せな感覚に少し目を薄めると、不意に右足が促されてもう一度上部の足掛けにヒールが掛けられた。
その動きのせいでドレスの裾がするりと太腿を露に伝う。

「……!」

咄嗟に両手で裾を抑えるけど、その一瞬の間にリヴァイは右足の膝に添えた手を腿まで滑らせ、あまりにも簡単にドレスの下まで入り込んだ。

口付けられたまま、それでも直に感じる温かな体温にぴくりと身体が反応した。


「ん…っ…」


少し冷えた肌の上を熱い彼の手が這っていく。

手先が腿から曲線を沿って、腰まで上っていくとそれに伴いドレスも肌蹴けていく。
抱き締められるように後ろに回っていた手が気が付けば前に回り込み、身体中余すところなく触れて行った。


腰に回された彼の腕を感じながら目を閉じる。

触れ方に、キスの仕方にも自分が求められていると感じると、どうしようもなく昂っていくのを感じた。
何度も角度を変えてキスを交わし、ここが外だと言う事も忘れて息が乱れるほど夢中になっていた。

時間も広間から聞こえるざわめきも既に頭からなくて。


やっと息を吐いて唇が離された時、頭の芯までぼんやりとする私とは対照的にリヴァイの瞳にははっきりと熱い色が映っていた。



背中に回ったリヴァイの左腕に支えられながら、不意にその右手が脚を伝ってひざ下まで降りる。

「…っ!」

あ、と思った時にはその指先があの小さな傷にも少しだけ触れて、つい足を一瞬引いて眉をしかめてしまった。
それに気付いてリヴァイの手がぴたりと止まる。

熱っぽさが少しだけ薄くなって、その目線が強めにこちらへ戻る。


「なんだ」

「な、んでもない……」


凄むような口調で聞かれて、別にそんなに悪いことをしているわけでもないのに俯きながら目線を逸らしてしまった。

だけどその後に何の言葉も続かない。

なんでもいいから捲し立ててしまえばいいのに、悲しいくらい何にも浮かばなかった。
私の浅い嘘がリヴァイに通用なんてしないって分かっていたこともあるけれど。


小さい傷だから、わざわざリヴァイに言うこともない。

言わなければバレないと思ったのに…!


そう思った瞬間にはそちらの方の足をぐい、と足首から掴まれて持ち上げられた。

「きゃあ!」

間一髪もう片方の足で足掛けに踏み止まったから椅子から落ちずに済んだものの、バランスを崩しかけて驚いた。

咄嗟に両手で座面を掴んで持ちこたえる。
きっと椅子から落ちそうになってもリヴァイが支えてくれるとは思うけど、それよりも彼の瞳が鋭くなったのでおずおずとその表情を伺った。


足首を掴まれた右足は隠しようがないくらいリヴァイの目前に投げ出されていて、薄暗い中でも部屋からの淡い光でしっかりと見えているようだった。


「………これはどうした」



  


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