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私がこの先どうなろうと

「ホソメさん、会議17時からですけど?」

「ほそのめです。どうも。」

「ごめんなさい、珍しい名前よね、細目さん。」

そうでもないと思いますけど。
名前間違えるの5回目ですけど。
会議の時間知らされてませんでしたけど。

そう頭の中で叫んでも、実際には一言もそんなことは言わない。
無になるんだ、無に。
そうしてからっぽになった心の中に浮かぶのは、いつも通り一つだけ。

「会社、やめたーい。」

帰り道にぽつりと呟いた。
はあ、今日何度目のため息だろう。
あれえ?1年前はこんなつもりじゃなかったのにな。
普通の四年制大学の人たちより2年早く新社会人になった私は、たしかに胸を高鳴らせていたはず。
これから自分でお金を稼いで、いろんな経験を積んで、立派な大人になる第一歩目を、期待に心躍らせて踏み出したはず。

「榊コーポレーション」はイギリスに本社がある大手電力会社。
社長は代々変わった人みたいで、社員になる方法は2通り。
年齢制限も、学歴に資格も必要ない。
ただこの会社の超難解テストと面接を突破するだけ。
もしくは、普通に企業説明会に行って、雛形通りの就活をするだけ。
大学に行く意味を見出せなかった私は、短大で猛勉強して、見事合格。
元々勉強は大得意だったし、早く自分でお金を稼ぎたかった。
優良企業だし、きっと頭のいい人たちがたくさんいて、驚きのホワイト企業なんだと思っていた。
そんなことを思っていた、ピカピカな社会人1年目の、私。
小さないじめはこんなにも心を抉るものなんだって、教えてあげたい。

社会人にもなっていじめって、恥ずかしいと思わないのかな?
たとえば今日みたいに名前を何度も間違えられたり、会議の時間を知らされていなかったり。
名札を首から下げているのに、だ。
全員に配られるはずの資料が、末端の私の手前でちょうど配り終えられ、「ごめんなさ〜い、1部刷り忘れちゃったみたい」なんて言われたり。
トイレに立って戻ってきたら、食べた覚えのないお菓子のゴミがデスクにいくつか散らばってたり。
小学生みたいなみみっちいいじめだけど、これが続くとこたえるものだ。
こんないじめが、「サカキ」の経理部で起こっているなんて、世間が知ったら聞いて呆れるぞ。
おそらくだけど、20になる歳からこんな大企業で働いているのは経理部で私だけだ。
社会人2年目に突入しそうな今、入ってくる後輩は今年全員歳上。

この会社は、年齢や性別にとらわれない社会にするためにこの特別措置的な入社方法を導入したのかもしれないけど、それが逆に私の首を絞めている。
結局、大多数が普通の就活を経て就職してくるのだから、私なんて大方先輩たちを心の中では見下してる嫌なやつだとか思われているんだろう。
想像力って怖いな。
きっと彼らは、自分の中にある私への強烈なコンプレックスから勝手に私を仮想敵に見立てて被害者ヅラしてるんだろう。
それで、「あえて」厳しくしてやってるとか?
「あえて」つらく当たることで、私に慎ましさでも学ばせてやっているとか?
くだらない。
私は何事もなく普通に仕事をしたいだけだ。
だから私になんびとも関わらないでほしい。

とかなんとか。
気が強いくせに小心者だから、歯向かうことはしなくても負けるもんかと耐え続けていたら、気がつけば入社して丸1年が経過していた。



「会社、やめたーい。」

と呟いた帰り道。
4月になれば新人が入ってくると、憂鬱なことを考える。
もうヤケ酒でもするかとコンビニに寄って、缶ビールを1缶買った。
飲みほしたら帰り道2軒目のコンビニに入る。
空の缶をゴミ箱に捨ててまた1本購入。
コンビニの前で飲み干してから、トドメにもう1本買った。

一気にビールを3本も空けて、すっかりすべてがどうでも良くなった私はアパートの目の前にかかる橋を渡りながら、月明かりをうけてギラギラと光る川を見下ろした。
立ち止まって、手を伸ばしてみる。
都会だけど、この川は澄んでいて綺麗だ。
飛び込んだら冷たくて気持ちいいような気がした。
ストレスが具現化して身体中にまとわりつくスーツが気持ち悪い。
今すぐこの川に飛び込みたい。
私にまとわりつく何もかもから解放されたい。
ぐ、と橋から身を乗り出したら、遠くから男の叫ぶ声が聞こえた。



「おい!!なにしてんだ、お前!死にてーのか?!」

かけられた声は当然のことを言っているのに、酔っ払っていつもより強気になっている私に怖いものはない。

「はあ?死にたいわけないでしょ。死にたいんじゃなくて、辞めたいのよ。」

酔っているくせに、やけに舌がまわる。
ていうか、誰、この子。

後ろからお腹にまわされている腕が物語るのは、私よりも当然ながらたくましいこと。
それよりもなぜ私は見ず知らずの男に後ろから抱きしめられているのか。
そのままその男の顔を見上げれば、ようやくその顔が見えた。
ふわふわとした首元までのびる黒髪が印象的だ。
焦ったような驚いているような顔は、私よりいくつか年下に見える。

「はなしてよ。変態なの?」

酔ってはいても、少しこの状況に恥ずかしくなった私はそう口走った。

「は?!命の恩人になんてこと言うんだお前!」

そう言いながらおとなしく私を解放したその男は、今度は怒ったような顔に変わる。
表情のよく変わる男だ。

「命の恩人?だから、死のうとなんてしてないってば。」

「いや、現実見ろ。今にも橋から飛び降りそうだったぞ。」

ウソ。
川、気持ちよさそーって思ってただけなのに、そんなに身を乗り出してた?
こうやって人は死ぬのか。
自分で死んでしまう人って、完全な鬱状態じゃなくて妙に力が残っている時に死ぬって聞くし。

少しずつ酔いが醒めてきた私は、見ず知らずの人にとんでもなく失礼な態度を取っていることに気がつき始めた。
小心者の自分が顔を出す。

「えあ。ご、ゴメンナサイ。ご迷惑を。」

突然の態度の変わりように、向こうも驚いているようだ。

「なんだよ、変な奴だな。死にたいんじゃねーのな?」

「ハイ、大丈夫です。あの、ありがとうございます。」

すっかり酔いが醒めた。
他人に迷惑をかけないように今まで生きてきたのに。
人生最大の失態としてこの先も記憶し続けることになりそう。

お互いに「ヘンなヤツ」の印象を与え合った気がするけど、きっともう会うこともないと信じて、私たちは分かれた。


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