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そんなこと言ったって別に、

「昴って、細目昴だよな?」

「そうだけど、それが何。」

日曜日。
夏日の今日は最高気温35度を更新していて、いつも出していたホットのコーヒーは氷をこれでもかとグラスに詰め込んだ麦茶へと変わっていた。
ついにクーラーをつけることにした私の家は快適すぎて、もうどこにも出かけたくなくなってしまう。

最近は勉強会とは名ばかりの、ただぐだらぐだらと麦茶片手におしゃべりをするだけの会になりつつあったが、私はまだゼンに勉強を教える事を諦めていない。
事実、大学生の授業というものは新鮮だったし、私自身も初めて知るようなことが多くあり、それを吸収したそばからアウトプットするというのは楽しかった。
アウトプットの先がゼンだというのが癪だけど。

やっぱり私、勉強するのが好きなんだな。

「ああ、じゃあやっぱ昴、『進学組の秀才』だろ!」

『進学組の秀才』。
私が高校時代によく呼ばれていたあだなみたいなものだ。
この和泉ゼンが入学してくるまで、私の通う高校はごく普通の進学校だった。
進学科と普通科に分かれており、進学科は勉学を、普通科はスポーツなどに励むという仕組みだ。
私は進学科に入っており、1年生の頃からほとんどすべての教科で学年首位をキープしていた。
たまに授業をサボっては屋上でゴロゴロしたり、校門を飛び越えて繁華街に繰り出したりしていたけれど、とにかく成績だけは良かった。
トップの成績をキープしていれば、教員達は口を出してこないし、そのために好成績を維持していたんだと、私自身がそう思っていた。
けれど、ゼンに勉強を教えるようになってからは、本当は勉強自体も好きだったんだと気がついた。

「懐かしいわね。そんなあだなもあったような。」

嘘だ。
私が『進学組の秀才』だと揶揄され始めたのは2年生になってからで、私の学年首位が定番化してきた頃だ。
試験の度に結果が貼り出される進学組では、今度はいくつ私の名前が「1位」の隣に並ぶか賭けるのが常になっていた。
学校中でそのあだなを囁かれ続け、賭けのネタにされ、私はうんざりしていて、授業をサボる回数が増えていた。
その頃だ。
和泉ゼンの名前が学校を超えて学区内、県内と広がっていったのは。
私の名前なんて吹き飛ばすように、和泉ゼンの名はどこにいても聞こえてきた。
私は授業をサボる回数が減っていった。

「最初に名前聞いた時、知ってるような知らないようなっておもったんだよな〜。同じ時期に学校通ってたんだな!」

「ゼンはほとんど来てなかったでしょ、学校。」

「でも、おれたぶん何回かすれ違った事あるぜ。」

グラスの中の氷をガリガリと口に放り込んでいくゼンは、にっこりと顔をこちらに向けて言った。
テーブルには汗をかいたグラスの水たまりができていて、これじゃあレジュメも置けやしない。

「嘘。私ゼンのこと遠くからしか見た事ないもん。いつもどっか怪我してたでしょ。」

「怪我してねー日くらいあったよ。気づいてなかったんじゃねえ?今、昔のことばーっと思い出したらいたし、昴。」

んん?
ゼンは、どんな記憶の保存の仕方をしているのだろう。
たしかに私が気づかずいつぞやにすれちがっていたのかもしれなくても、今の思い出し方ではまるで、記憶のアルバムを本棚から取り出して、パラパラとめくっていたら「いた」みたいじゃないか。

「よく、思い出したね。ゼロの概念を発見したのがインド人だってことも覚えられないのに。」

「んー、新しいこと覚えるのニガテなんだよな。でも、昔の事思い出したりするのは映像を巻き戻すみたいに思い出せるぜ。あんまやんねーけど。」

思い出す事自体を忘れるらしい。
その理論はさすがゼン、という感じだ。

「それってさ、映像記憶ってやつじゃない?」

なんでそんなすごい記憶力があるのにバカなんだろう。
きっと、今まで彼に真剣に向き合う人がいなかったからかな。

「なんだそりゃ。たぶんそんなすげーやつじゃねーと思うけどな。」

気づけばお茶菓子は空っぽだ。
けれど私は、お菓子の補充よりも先にゼンのこの能力をなんとかして勉強に使わせたいと思った。

「ゼン、そしたら、この図形なんにも考えないで形だけ覚えられる?」

レジュメにあるのは、ただの三角形。
けれど、この調子で図形や、それに伴う証明の文、公式の成り立ちの文をすべて、「映像として」丸暗記できれば、かなり成績が上がるだろう。
中身を理解しないで丸暗記するなんて私の主義に反するけど、この能力を有効活用しない手はない。
きっと今までこうやって、受験勉強も乗り越えてきたに違いない。
でもそしたら、誰彼構わず殴ってきた彼を大学生にまで押し上げた人は、一体誰なんだろう。
その人はきっと、彼のこの能力を知っていたはずだ。

「ゼンって、勉強嫌いなくせにどうして大学生になったの?ていうかなれたの?」

レジュメを睨んで一生懸命覚えようと目を開いたり薄目にしたりしているゼンに聞いてみた。
ゼンはレジュメから顔を上げずに答えた。

「先生に教えてもらったんだよ。」

「先生って、あの高校の?そんな骨のある先生いたっけ?」

あの学校にはゼンの暴走を止められるような教員はいなかったように思う。
みんなゼンが暴れるのを止めようともしなかったし、事実止められなかった。
ゼンが痣だらけの顔をこちらに向けてひと睨みするだけで、誰もが黙りこんでしまう。
そういう恐怖と、魅力があった。
それなら、誰が?

「うん。水月先生。」

あ。

そっか、あの学校には、水月先生がいたんだった。
ゼンじゃないけど、急に記憶がアルバムをめくるように思い返された。
私とゼンが、お互いをさっぱり認識していない頃、あの学校には、もう一つの伝説がいた。



水月草介は一介の教員であったにもかかわらず、あの学校の誰よりも、どの教員よりも優秀だった。
不登校の生徒はいつの間にか登校するようになり、保健室で惰眠を貪る生徒は減り、進学率は伸びた。
カリスマ教師だとか、伝説の教師だとか、なんだとか呼ばれていた。
といっても、本人はまったくそんなつもりもなく、年中マスクと白衣を肌身離さない、何事にも労力を使いたがらない生物科の教員だった。
ふてぶてしさを物語る眠たそうな目を持ちながら、よく頭の後ろを掻きながらヘラヘラ笑っているところを目撃した。
いつも、なんでも良さそうで、どうでも良さそうだった。

私は、水月先生を尊敬していて、憧れていて、あんな風に、自分の能力をひけらかさない人間になりたいと思っていた。
勉強ができるからといって、人間としての能力が高いからといって、それを鼻にかけない人間に。

そうか、2年しか学年が違わないのだから、ゼンも水月先生を知っているのか。

「…それって、水月先生に個別で教えてもらってたってこと?ていうかなんであんな、高校時代、あんなだったのに、急に受験勉強なんか?」

私は今、とても失礼なことを聞いていると思うけど、気になって仕方なかった。
ゼンはレジュメを置いてまた氷をガリゴリ噛み砕いていて、気にしていなさそうだし。

「ああ、サシで教えてもらってたな。」

実に、あっけらかんとしている。

「う。」

「う?」

「羨ましい…。」

思わず漏れた本音。
あの人は、そんな風に誰か一人に肩入れするような教員じゃなかった。
なのになんで。
私だって学生時代、水月先生につきっきりで教えてもらいたかった。
あの学校で、私よりも頭がいい人間なんて水月先生くらいだったのだから。

「うらやましい〜?考えらんねーな。めちゃくちゃスパルタだったぞ。」

コップをコトンと置いて、ゼンは不貞腐れたように答えた。

「いいじゃん、厳しい方が。私も厳しくしようかな。」

「これ以上かよ?!絶対やめろよ。昴は今のままの方が絶対いいぞ!」

慌ててゼンがテーブルに乗り出す。
そんなゼンをレジュメの束でペシンと叩いた。

「これ以上厳しくしたら、ついてこられないでしょ。ほら、このページ覚えたの?」

レジュメの一枚を引っ張り出して見せると、ゼンはしっかりと目を閉じた。
アルバムをパラパラとめくるようなイメージを頭に浮かべているようで、少し黙っていた。
そうして目を開くと、ちゃんと端から端まで完璧に思い出したので褒めてあげた。
内容は全く理解していないみたいだったけど。
これなら赤点は免れるだろう。

そんなことより、共通の人物を知っていたことが嬉しくて、私の興味は水月先生に完全に移っていた。
だって、つきっきりで教えてもらっていたならきっと、いろいろな話をしていたのだろうし。

「ねえ、それより水月先生ってどんな教え方するの?やっぱりわかりやすいの?ていうかあのマスク取ったとこ見たことある?私は3年間で3回くらいだけ。整った顔してるのに、なんでずっとマスクしてるんだろうね。ゼン、聞いてみたことある?」

ひたすらに疑問をぶつけまくる私に、ゼンはうんざりしたような、ドン引きしたような、やっぱり不貞腐れたような顔をして、言った。

「……教えねー。」

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