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Step on no petS.

 エルーテはよく食べる子で、食費が大変かさんだ。
それでも僕は、自分の食べる量を減らしてでも彼女にお腹いっぱい食べさせたかった。
食べていても、羽繕いをしていても、エルーテは美しかった。
エルーテはあまり言葉を発さなかったが、僕のことを「せんせい」と呼び、当初よりは少しばかり表情を動かすようになった。
あまり食べることをしなくなった僕は、たくさん食べるようになったエルーテと、手首の太さが同じくらいになっていた。
しかし不思議と空腹を感じなかったし、代わりに僕は食べ物ではなく幸福感で満たされていた。

エルーテを飼い始めてからひと月が経ったころ、家での異臭が目立った。
エルーテの巣箱は僕の部屋の隅っこに位置している。
巣箱と言っても、箱というほど立派ではなく、エルーテがどこからか拾ってきた鉄骨や木の枝がむちゃくちゃに組み合わされてできたものだ。
彼女が臭いのではなく、その巣箱がにおったのだ。
しかし巣箱の中がどうなっているのか、僕は一度も見たことがなかった。
中を覗こうとするとエルーテに睨まれたり、巣箱の前で羽を広げられたりして防がれた。
まつげの代わりに細かな羽で縁取られた彼女の目はまん丸で、睨まれると動けなくなってしまう。
大型の鳥類と対峙したとき、身動きがとれず硬直してしまう感覚は久しぶりだった。
今この辺りでは野生の動物は、虫でさえ見つけるのが難しい。
昔は流れていたと言われている川は、今は見る影もない。
人間以外の生き物を見るのは小さい頃、親に連れられて動物保護センターに行った時以来だった。
それを、亜種とはいえ共に暮らしているというのは、我ながらおかしな気分だった。

それよりも今は異臭を解決しなくては。
僕が考えるところでは、においの原因はエルーテがはじめに着ていたパーカーではないかと踏んでいる。
あれを、触ることさえ許してくれなかった彼女だ。
きっと洗うこともせず巣箱に置いているのだろう。
大切にしているものを奪うつもりは全くないが、においはどうにかしたい。
これがアパートの外にまで漏れて、異臭騒ぎにでもなったら住めなくなってしまう。
ゴミだらけの狭い廊下はすれ違えないし、鉄仮面の夫婦の素顔は長年住んでいる今も見たことがない。
それでも、このアパートには少なからず愛着が湧いている。

「エルーテ。出てきて。」

彼女は基本的に、こちらの言うことは聞く子だった。
出てこいと言えば出てくるし、食べろと言えば食べた。
返事をすることはほとんどないが、黙って従う。
この日も、呼びかけるとエルーテは巣箱から音も立てず出てきた。

「エルーテ。巣箱の中がにおうんだ。きっと最初に着ていたパーカーだと思う。なにも燃やせとは言わないから、洗ってもいいかな。」

エルーテと話すとき、なるべく難しい言葉をつかわずにはっきりとした口調で話すことを心がけるようになった。
わからなくても黙っていることが多いから、何かを頼んでも失敗してから伝わっていなかったことに気づく。
最近はわかったのかわかっていないのか、顔色を見て判断できるようにもなった。
エルーテは表情が動かないし、僕も元々人の顔を見ない方だったから、これができるようになってから僕はずいぶん人の顔を見るようになった気がする。

「いやだ。」

それだけ言うとエルーテはさっさと巣箱に引き返そうとした。
慌てて呼び止めて、エルーテに正面に座るように言う。

「エルーテ。自分でも気にならない?同じ巣箱にこんなに臭いものがあって、気分が悪くならないか?」

言い方がひどかったことはわかっていたが、キツく言わないといけない気がした。
これも躾のひとつだと。

「ならない。」

やはり一言しか発しない。
すこし苛立ったが、ペットなのだからと自分を抑えつける。

「洗いたくない理由でもあるの?」

落ち着いてひとつずつ質問する。
いくつも責め立てるように質問を並べても、エルーテは混乱してしまうのだ。

「あらったら、別のにおいになる。まえのにおいが消える。」

洗濯とはそういうものだ。

「どうして別のにおいになるのが嫌なんだ?」

動物は自分のにおいに落ち着くものだと聞いたことがある。
最初に着ていた服をいつまでも持っていたい気持ちはわかるが、それなら初めてエルーテに与えた服がすっかり彼女のにおいになっているじゃないか。
しかし、彼女の答えは少しだけ思っていたものと違った。

「おもい出がなくなる。」

思い出。
なんのことだろう。
彼女自身のにおいなら、思い出という言い方はおかしい。
エルーテは時々間違った言葉の使い方をするから、今もそうなのかもしれないが、なんとなく正しい使い方をしているような気がした。
それなら、一体誰との思い出だろう。
そういえば、今更ながらエルーテの過去について、何も知らない。
エルーテがいくつなのかも知らない。
あの大型量販店には、いつからいたのだろう。
鳥類だから、最初からこんな風に表情の乏しい子だったのか、それとも昔は笑顔を浮かべて目を細めるような子だったのかも、知らない。

「思い出って、なんのだよ。」

でも、ペットの過去なんてそれこそ普通気にしないものだろう。
うちに来てからが重要なのだから。

「つがいのあいて。」

あまりの衝撃に、二の句がつげなくなった。
エルーテに、番がいたとは。
人間で言えば、恋人か、夫がいたということか。
あのパーカーは、その番のものというわけか。
エルーテの背格好に比べてやけに大きいとは思っていた。
はじめは自身の羽を隠すためかと思っていたが、うちに来てから羽を隠そうとするそぶりはさっぱり見せないから、不思議に思っていたのだ。

しかし、亜種の番は法律では野生に存在してはいけないはずだ。
彼らは全て保護センターで管理されており、交尾や出産は全てそこの研究員に監視され、記録される。
彼女に番がいたなら、揃って保護センターに入れられるはずなのに、なぜエルーテは一人であの大型量販店にいたのだろう。
やせこけて、もとは番のものだった大きな服に包まれて、世界をねめ付けるようにじっと座っていたのだろう。

理由はなんとなく察しがついたが、それよりも、そんなことよりも、なによりも、今は異臭が最も優先されるべき事項だった。

「大切なものなのはわかるよ。だけど、ひどくくさいんだ。洗いたくないなら、せめて箱に入れておくのはどう?」

僕はしばらく黙っていたが、ようやくそんなことを言った。
ペットに番がいたことに、相当なショックを受けているようだと、ひと事のようにそう思った。

エルーテはしばし考えてから、頭を二、三度左右に傾けて

「いいよ。でも外から見えるはこにして。せんせいがよういして。」

と言い終わるとまたさっさと巣箱に戻っていった。

透明の箱となると、プラスチックかアクリル、もしくはガラスのケースだが、そのどれもが高値すぎて手が出せない。
鉄の箱ならその辺に落ちているのに、高くつくペットだと呆れた。

しかし早く用意しないと、日に日に異臭はひどくなるばかりだ。
僕はまたもひと月分の給料をはたいて、エルーテにアクリル版でできたにおいを外に漏らさない箱を買い与えた。
異臭はなくなったが、それから僕の腹の中には醜い思いが燻り始めた。
僕がこんなにもエルーテに尽くしている間、エルーテは透明版の中の汚いパーカーをうっとりと眺めていると思うと、やりきれない気持ちになる。
薄汚れたエルーテに潜んだ言い知れない美しさに、僕だけが気がついていたはずなのに。
それよりもずっと前に、エルーテは誰かのものだったとは。
しかもその思い出のかけらを、エルーテはいまだに、どんなに汚くなっても何物にも替え難く自分のそばに置いている。
腹が立つ。
今までの僕の愛は、どこへ行ってしまったのだろう。
エルーテを美しいと思っているのは、僕だけで十分なのに。

Step on no petS.
(ペットを踏まないで)

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