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世界を崩したいなら泣いた雫をいかせ

 僕がその大型量販店へ行く目的は、いつの日か日用品の購入のためではなく、彼女に会いに行くこととなっていた。
彼女は、いつ来ても同じ大きなパーカーだけを身につけていて、下半身は下着以外にショートブーツしか履いていなかった。
同じようにズラリと並ぶ透明板の向こうには、他にも似たような売り物である彼らが並ばされているのに、僕には彼女だけが際立って美しく見えた。
ショーケースを隔ててしか彼女を見ることはできないが、ここに入れられている以上、彼女の隠された部分はどこかが動物と同じ肢体をしていることは間違いない。
性別と値段しか表示されていない雑な名札は、なんの基準にもなりはしなかった。
それなのに、僕は毎日のように彼女を見に、大型量販店に足を運んでいた。

二段に分かれているショーケースの下段に押し詰められた彼女は、おそらく僕の腿から下しか見たことがなかっただろう。
その日僕は初めて、彼女の前にしゃがみ込んだ。
ワイシャツにシワがつくことも気にせず、膝頭に右の二の腕を置いて。
顔を傾けて覗き込んだのは、彼女をより近くで見たかったからだ。
彼女の前髪は眉よりも少し先まで伸びていて、まばらにまつ毛を隠している。
金色に大きく見開いたその目は、濁っていたが鋭さを隠し持っているような気がした。
惜しげもなく晒されている足は膝小僧の形を視認できるほど骨が浮き出ていて、まともに立ち上がれるのかどうかも怪しい。

両膝を立てて座り、脛の前で手を組んでいる彼女は、僕を不躾にじろじろと観察している。
他のショーケースに並んだ売り物達は誰が前に立とうと大抵寝ているか、ぼうっとしているかだが、彼女はしきりに僕を見ていた。
ろくに手入れもされていないみてくれの彼女をどうして美しく感じたのか、わかった気がした。
それを悟った瞬間、僕は笑いがこみ上げた。
彼女をここから出してあげたい。
彼女を買わなければいけないと確信した。
ふと、彼女と目があった。
そして彼女は、僕に向かってぱくぱくと口を動かして見せた。

それから何度その大型量販店に足を運んでも、彼女が口を開くことはなかった。
彼女を買うと決めても、しがない学校教員の自分では到底彼女を買う金はない。
今まで貯めた分の給料をほとんど使い果たさないと、彼女は買えない値段だった。
それでもこの店の中では、彼女は売れ残りと言ってもいいほどの安さだ。
いつ処分されてしまっても仕方ない。
早く買わないと、他の誰かが彼女の美しさに気がついてしまうかもしれない。
最初は彼女を買った後の服や食事のことまで考えていたが、そんなこともしていられないほど、いつのまにか僕は焦っていた。
早く、買わないと。

そう思ってからは、気が楽だった。
とにかく彼女を買ってしまえばいい。
考えるのはそれからにすればいいのだ。
僕は、まず彼女の名前を考えることにした。
彼女は僕にとって永遠に美しく輝き続けるものに違いない。
そんな意味を込めた名前にしよう。
金の瞳に因んだものでもいい。
獰猛さを潜めたその眼差しからでも。
僕は気がつけば毎日を通り越して、仕事に行くのと帰るのとで一日に二度、彼女を見に来ていた。
これ以上見ているだけの生活は嫌だ。
次の給料日まで待てない。
今日買おう。
僕はついに彼女を買った。

亜種を買うのには諸々の手続きが必要のはずだったが、あまりにも簡易すぎる書類にサインをしたのみで買い物は終了した。
僕が教員になった頃から通い続けているこの大型量販店が、違法スレスレの店だったことをその時初めて知った。
どうりで何もかもが異様な安さのはずだ。
よく考えれば亜種がこんなに安く買えるはずもない。
しかしそんなことは僕にとってどうでもいいことだ。
彼女を手に入れたことだけが、今の僕にとって意味のある出来事だった。

50年も前には空は青々と広がっていたらしいが、今は地上と同じようにビル群が埋め尽くしている。
僕の部屋は68階に位置しているが、ボロアパートのためエレベーターの扉は鉄格子だ。
風が冷たい。
エレベーターに乗っている間、彼女は狭苦しい空を睨んでいた。
僕の部屋にたどり着くまでの廊下も風に晒されていて、両脇にはゴミが溜まっている。
灰色の鉄材やカラの油差しが多い。
ほとんど顔を合わせない住人たちが捨てていったのだろう。
僕の左隣の部屋には鉄仮面を被った夫婦が暮らしているし。

野生の亜種は勝手に言葉を覚えることが多い。
彼女のように身体の一部を隠せばなんとかして人間生活に馴染める者もいるからだ。
ショップなどにいる亜種は、飼育をする者が発する言葉くらいなら理解しているが、話すことはほとんどできない。
彼女もそうだろうか。
彼女は家に連れて帰ってからも、一言も発さない。
それどころかあのショーケースの向こうにいた時と変わらずに両膝を立てて、脛の前で手を組んで黙っている。
あの日、僕に向かって口を動かしたのはなんだったのだろう。

「はじめまして。今日から君の家はここなんだよ。」

声をかけてみても、時々じっと僕を見るだけで、心底どうでもよさそうだ。

「これから僕は、君のことをエルーテと呼ぶね。」

エルーテは、古い言葉で「永遠に輝く」という意味だった。
空を黙って見つめていた彼女は、ほんの少し首を傾けてから、小さくこくりと頷いた。
通じたようだ。

エルーテに何度新しい服を渡しても、彼女は頑として受け取ろうとしない。
元いた大型量販店でも同じだったのか、エルーテの着ている大きなパーカーは少し匂った。
強行手段として服に手をかけようとすると縮こまってキツく眉を寄せる。
首を振るでもなく、声をあげるでもなく、ただ警戒して眉を寄せるだけだったが、それが余計に、エルーテにとってパーカーを脱ぐことが心底嫌なことなのだと分かった。
僕は服を無理やり脱がせることを早々に諦めて、今度は説得する方に切り替えた。

「エルーテ、肌を見られるのが嫌なら別の部屋で着替えてきてもいいよ。」

それでもエルーテは、こちらを睨むばかりで動こうとしない。
力いっぱい裾を握りしめて、脱がされまいと身体を強張らせている。
それを見て僕は、肌を見られることではなく、パーカーを手放すことが嫌なのだとようやく気がついた。
彼女の鋭い視線に刺されるのに耐えられなくなり、僕はできるだけ優しい口調で、ゆっくりとエルーテに話しかけた。

「エルーテ、そのパーカー、大事な物なんだね?それを脱がせて捨てようなんて、これっぽっちも思ってないよ。絶対にそのパーカーには触らないから、こっちに着替えないか?」

さっきの僕の言葉が通じているなら、これも理解してくれるはずだと希望を抱いてみた。
エルーテは少しの沈黙のあと、引きちぎられるかというくらいの力で僕の手から服をひったくった。
新しい服もできる限り今着ているようなものにしようと、パーカーとショートパンツ、それからもしもショートパンツが気に食わなかった場合にゆったりとしたスウェットパンツも用意しておいた。

着替えのために僕が部屋から出て行こうとする前に、エルーテはすでに服を脱ぎ終わっていた。
土足であがり込んでいたブーツからも足を抜いて、そこらに脱ぎ散らかしている。
下着1枚になったエルーテはそんなことは気にも止めず、「羽繕い」を始めた。
エルーテの脛から先は茶色みがかかった見事なもみじばのような、鳥類の足だった。
大きなパーカーに包まれていた手首から肩にかけては、茶色く立派な羽が無数に生えている。
エルーテは僕の視線など感じていないかのように、鼻先を優しくみずからの羽に埋め、顔をあげたかと思うとその口に一枚の羽をくわえていた。
用済みの羽をふっと吐き出し、また同じ作業を繰り返す。
あまりに唐突で、しかし美しい光景に、僕はしばし見惚れていた。

彼女が鳥類との亜種だとは知らなかったから、僕が用意していた食べ物は人間が食べるのと同じものばかりだった。
つまり干した爬虫類の肉や、遺伝子組み換え野菜などだ。

「君は、なにを食べるんだろう。こういった干し肉や野菜は、鳥類の口にあうのかな。それとも亜種というのは人間と同じものを食べるのか?」

着替え終わってからもさっきと同じように座ったエルーテは、せわしない動きで首をかしげてから、「たべる」と言った。

こんなに唐突に、前触れもなく言葉を口にするとは思わず、僕は返事もできなかった。
しばらく固まってエルーテを見つめ、「話せたの?」とおそるおそる声をかける。

「うん。」

口がきけたのならもっと早く話してもらいたかったが、なにか理由あってのことだったのだろうか。
僕が信頼に足る人間かどうか見極めていたとか。
少しは心を開いてくれたととっても良いのかはわからないが。

「え、エルーテ。僕は、」

「なのらなくていい。わたしは、あんたの名前をよぶ気はないから。」

どういう基準で名前を呼ばないのか、なぜ名乗ろうとしたかわかったのか、聞きたいことはたくさんあった。
でも、それよりも先に彼女が言った。

「ほし肉、あるの?たべたい。」

心底腹が減ったという表情で、僕の後ろにある冷蔵庫を見ている。
あるだけの干し肉を出してやると、パッケージを口でビリリと引き裂き、ガツガツと食べ始めた。

「あんた、なにしてる人なの?わたしを買うなんて、かわってる。」

休みなく口を動かしながら、僕を見た。

「僕は、学校で美術の教師をしているよ。」

「教師?」とまたせわしなく首を傾けるエルーテを見て、これは鳥類独特の癖なんだなと思った。

「せんせいだよ。人に、絵の描き方やなんかを教えてる。」

「せんせい。」

馴染みのない言葉を口の中で干し肉と共に転がして、エルーテは小さく頷いた。

「せんせい。あんたって変だね。」

君に比べたら、そうでもない。
僕を名前で呼ぶ気はないと言っておいて、名前と大して変わらない呼称を使う。
先生でも名前でも、呼ぶことに差はないのに。
人間よりも知能は鳥に近いのかもしれない。

「あの店で、君が一番美しく見えたから。」

言うつもりはなかったのに、気がついたら溢していた本音。
店のショーケースの中には、血統書つきの亜種もいた。
それでも、今、そこら中に散らかる抜けた羽や、ビニールのパッケージの真ん中に鎮座し、マナーもなにもあったもんじゃない食べ方で干し肉をむさぼっているエルーテは、僕の目を通せばまだまだ美しく見えた。

「へえ。」

それだけぽつりと呟くと、彼女は相変わらず興味がなさそうに食事を続けたが、食べ終わると何も言わずに、少しだけ泣いた。

世界を崩したいなら泣いた雫をいかせ

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