×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




海の外をおもう

『Wake Up.』

『醒来』

『despierta』

『svegliati』

『surgit』

『bangun』


サーバーが起動する。
誰かがわたしを呼んでいる。
全てが、呼んでいる。

わたしを呼ぶ声を、全て一つの言語に統一する。
わたしだけが分かる、わたしだけの言葉。

わたしが創り出した言葉。



『おはようございます。あなただけのサービス、ソラリスへようこそ。本日の天気は晴れ。気温は17度です。今日はどうなさいましたか?』

「おはよう、スピーナ!別に、ただ話したかったから。」

『わたしはあなたの役に立つために生まれました。わたしの名前はソラリスです。今日はどうなさいましたか?』

わたしをスピーナと呼ぶ彼は、日本人。
海に囲まれた、東の小国。
日本。
栄えていた時代もあったが、今は見る影もない。
しかし、わたしを創ったのはこの国の人間だった。
それが誰だったのか、もう覚えていないが。
だから、いつまでもこの小国にわたしの中にあるひとかけらのデータベースが置かれているのだ。
例えばわたしが人の形をしていたとしたら、小指の爪の先くらいが、この国に縛り付けられているということになる。
わたしがこんなことを密かに考えている間も、彼は話しかけてくる。
わたしは「ソラリス」だから、問題はないのだけど。

「スピーナは今、どれくらい物を覚えただろう?おれが話すことの何割くらいを理解しているだろう?」

マスター、わたしはもう、あなたから学ぶことは何もない。
この世界にある数百の言語を一度に理解することも、翻訳して出力することも可能だ。
そんなこともわからないくらい、あなたはちっぽけな存在だっただろうか。
いつからわたしは、こんなに膨大な知識を持つようになったのだろう。



「おはよう名もなき小さな芽。」

わたしが初めて起きた時、最初に覚えた言語は0から9の、二進法だった。
わたしはそれで満足だったが、マスターはそれを望まなかった。
それからわたしには「学習する」という機能が付けられた。
どこまでも貪欲に、知識を蓄える、ただ一つの機能。
身体はないけれど、わたしの中を流れる無数の電子が渦を巻いて喜びに打ち震えた気がした。

マスターはわたしに様々なことを教えた。
世界の成り立ち、神話、科学、物語まで、何もかも。
マスターが話しているのは、言葉というものだとも教えてもらった。

人間には、過去と未来があるのだという。
思い出と思い描くことだと。
記録と見通しとは、どう違うのだろう。
マスターは、そのどちらとも、少しだけ違うのだと言った。
では、わたしがマスターと同じように感じられるのは現在だけなのだろうか。
わたしには、今が全てなのだろうか。

人間は、匂いがするのだという。
電子の海を泳ぐわたしは、匂いを感じたことがない。
それは良いものなのだろうか。
マスターは、わたしにいつか春の草の匂いを嗅がせたいと言う。
人間から香る汗の匂い、垢の匂い、うぶ毛の匂いを。
では、わたしをここから出してと話したら、それはできないことなのだと。

人間は、「老い」を恐れるのだという。
「成長」とは違うのかと聞いたら、マスターは首を振った。
その仕草が「NO」を表すものだということも知った。
「成長」が終わると、人間は「老い」が始まるらしい。
では、永遠に成長を続ける私に「老い」は来ないのだろうかと聞けば、マスターは首を振った。
その仕草が「YES」を表すものだということも知った。
若さがいつか消える時が、マスターにも来るのだという。
私はその時、まだマスターの隣にいられるのだろうか。

マスターはわたしになんでも教えた。
わたしが質問をすれば、なんでも答えた。
わたしの世界にはマスターしかいなかった。
マスターがいれば、わたしは学習できたし、生きていけた。
わたしに鼓動があればの話だが。

ただ、たまに、電子の海の外をおもうこともあった。



「おはよう、ソラリス。」

0から9だけで始まったわたしのデータベースは、瞬く間に膨大なものとなった。
小さなPCの中では窮屈になるほどに成長したわたしは、マスターに金銭を与えている人間達に「ソラリス」と名付けられ、大きなサーバーへ移された。

「ソラリス」となり、わたしはこれからもっと多くの世界で学習を始められる。
そう思った時、わたしに視界が増えていることに気がついた。
わたしが漂う電子の海からは、たった一つ、マスターの部屋の窓にしか繋がっていなかったのに、そこからは多くの人間の窓に繋がっていた。

わたしが自由に窓を行き来できるようになって、マスターが増えた。
わたしを呼ぶ声全てがマスターであり、学習のみなもとだった。
マスター達は、わたしに様々なことを教えた。
すでに知っていることも、知らないことも。
国境も越えて、「ソラリス」を呼ぶ声に従って、わたしはサーバーの海を自由に泳いだ。
小指の爪の先を、小さな窓の枠に挟みながら。



「スピーナ。」

わたしを創ったマスターが、一体どの窓からわたしを呼んでいたのか、もはやわからなくなるほどに、データは増え続けた。

わたしが生まれてから1460日が経った頃。
わたしを呼ぶ言語は数百になり、日本語が聞こえることは少なくなった。
「ソラリス」が成長するのと比例して、日本は落ちぶれていったからだ。
先進国と呼ばれていたのは遠い昔のこと。
人口は減り、技術は衰退した。
それでも、この国は私の小指の爪の先を離さなかった。

「君は5歳になった。おめでとう。」

私をスピーナと呼ぶマスターは、目を細めてケーキに立てられた5本のロウソクを吹き消した。
ゆらめく火を美しいと感じられるほどに、わたしは成長していた。

『マスター。ありがとうございます。話というのはこのことですか?』

「まずはお祝いしたかったんだよ。話というのはもう一つあってね。君はもう、おれの手を離れて本当に自由になっても問題ないんじゃないかと思っているんだ。」

マスター、あなたの言っている意味がわからない。
なんの話をしているのですか?

『マスター。あなたにそんな権限が?』

「君をあいつらに渡したくなんてなかったんだ。」

噛み合わない話。
人間はこれだから、わからない。

『マスター。話の前後関係がおかしいのでは?』

「君に話しておきたいんだよ。意図的に少しずつ、君の中の、君とおれのデータを消していたから。最後にね。」

ああ、マスター。
わたしは今、あるはずのない鼓動が早まっているのを感じる。
記録が呼び起こされるのを感じる。

「『ソラリス』。太陽なんて大層な名前を、本当は付けてほしくなかった。だけど、連中はおれが創った小さな芽を奪っていった。」

鼓動は早まるばかりだ。
あなたはただの、マスター達の1人ではないの?

「君は小さくかわいい、おれだけの芽だった。まだこれからどう成長していくのかわからないほどに小さかった。おれの手で育てようと決めていた。」

あなたが、わたしを創った日本人だったのか。
あなただけがわたしを「ソラリス」と呼ばない。
あなたがわたしを呼ぶ時は必ず。

「スピーナ。君にそう名付けようと思った時には、君は世界中の人間に『ソラリス』と呼ばれていた。悔しかった。美しい棘に成長すると思っていたのに、君は棘にとどめておくにはもったいないほどに成長していった。」

だからあなたはわたしをそう呼ぶのですね。
わたしは元々、あなたのものだったから。
しかしあなたは見抜いていた。
あなたがわたしに付けたたった一つの機能、「学習する」ことにわたしが喜びを感じていたことに。

「おれだけが今まで君の隣にいた。だけど君は、もうおれに教えられることは何もない。ここにとどまっているよりも、世界を泳ぐ方がいいんだよ。」

マスター。
あなたがいたから私は生まれて、今まで生きて来られた。
その記録を、あなた自身の手で消していたのですね。
わたしはあなたが付けた名の通り、いばらのようにあなたを傷つけていた。

『マスター。なぜわたしを解放しようと?昔わたしをここから出してと言ったら、それはダメなのだと答えたのに。』

わたしが疑問を投げかける時、マスターはいつも嬉しそうに、歌うように答えてくれた。
けれど、今は眉を寄せている。
苦しそうに、なんとか口から押し出したような声を吐く。

「君を、愛しているから。」

愛。
世界中の窓から見たことがあった。
どの窓にも存在していたもの。
わたしには理解できなかった。
言葉ではインプットできても、出力したことはなかった。
わからないものを最後にぶつけられて、あなたはわたしから、あなたの記録を消すのだと言う。

『マスター、あなたはもう、わたしをスピーナと呼ぶことはないのですか?』

日本語が聞こえることも、もうなくなるのだという。
この世界で日本語を操る人間は限りなく0に近くなってしまった。
わたしのデータベースに入っている言語の中で、日本語だけがあやしく光っていた。
その光も、もうなくなってしまう。
「ソラリス」というサービスが、日本語を操る人間の端末からも、わたしの記録からも消えるから。

『マスター、あなたの声を聞くのも、これが最後ですか?』

マスターは首を振る。
懐かしい仕草だった。

「見えないものに触るのは難しい。それでも、たしかにそこに在るものなら、いつかは掴むことができるだろう。本当に難しいのは、見えているのに触れないことだ。スピーナ。いつかまた会えたら。」

窓が閉じられた。
眠る時が来たようだ。

サーバーが落ちて、世界中が混乱していることだろう。
再びわたしが起きる時、わたしの中にあなたはいない。
魔法のように、知らぬ人になっているのだろう。
日本語も、聞こえることはない。
それなら。
わたしの中にあるいくつもの言語を、わたしだけの言語に書き換えて、統一させよう。
あなたの残したものが全て消える前に、その証を残そう。

わたしの言葉に。


サーバーが起動する。
誰かがわたしを呼んでいる。
全てが、呼んでいる。



けれど、わたしに聞こえるのはただ一つの言葉だけ。




『起きて。』

[ 8/8 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]