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そこには誰もいなかった。
というのは冗談で、スヴェンの目線の遥か下に、大きな目で此方を見上げているお団子頭の少女が居た。
突然開いた扉に驚いたのか、彼女は息を呑み、目を見開いている。
『…………』
可愛いじゃねぇか。タイプだ。
ストライクゾーンが広いスヴェンにとっても、彼女の容姿はど真ん中ストライクだった。
『…………あんた誰』
『あ!申し遅れました!!私、3ヶ月前に調査兵団に入団致しました、シャオリー・アシュレイと申します!!』
左手を後ろに、そして右手の裏を心臓の上に当て、彼女はピンと背筋を伸ばして敬礼をする。
敬礼なんて久しくやってねぇな、と思いつつ、スヴェンはシャオを物珍しそうにまじまじと眺めている。
『シャオと呼んでください!』
『…………』
そして、シャオはふんわりと笑った。
その笑顔は徹夜明けの目には眩しすぎて、スヴェンはぱちぱちと瞬きをしたあと、徐に目を擦る。
なんだ今の!
なんだ今の!!
すげぇ破壊力だ!!
と、謎の大ダメージを受けて内心のたうち回っていたが、勿論それを顔に出すような真似はせず、スヴェンは無表情でシャオを見下ろして固まる。
微動だにしないスヴェンに心配そうな眼差しをむける愛すべき部下達。しかしそれに気付く余裕もない程、スヴェンは出会ったばかりのシャオに心を奪われていた。
新兵ってことは、まだ10代か?流石にまだ若すぎるか。純粋無垢なこの子に手を出したら厳重注意じゃ済まなそうだ、と色々思考を巡らせていると、シャオはおずおずとその小さな唇を開く。
『あの……技術班班長の、スヴェンさんですか?』
『んあ?あぁ……そうだ、俺だ。悪ぃな、何の用だっけ?』
『注文の品が今日出来上がってる筈だから受け取ってくるよう、ハンジ分隊長に頼まれて来ました。確か、巨人の痛覚実験で使用する長槍だったと……』
『すまん、それまだ出来てねぇんだ。長槍自体はあるんだが、すこーし強化しねぇとすぐ壊れちまうから。万が一折れたら、あの生き急ぎのクソメガネさんが死んじまうだろ?』
その台詞を聞いて、何を驚いたのかシャオはポカンと口を開けた。スヴェンとしては当たり前のことを言っただけなので、その反応に首を傾げるばかりで、なんか変なこと言ったか俺?と微妙な顔をしていると、次の瞬間、シャオは目を細めて口元をおさえる。
肩を震わせているところを見ると、どうやら笑っているようだ。
???と疑問符を沢山浮かべて困惑していると彼女は、すみません、と謝りつつ笑顔でスヴェンを見上げる。
『ハンジ分隊長とスヴェンさん、似てますね』
『……どこが??』
似ていると言われて嬉しい人物ではないので、スヴェンが頬をひくつかせると、シャオは慌てて両手をブンブンと振る。
『すみません!勝手なことを言いました!!』
『いや、別にいいけど…どこが似てんだよ……』
『……その………なんというか……』
私技術班と相性最悪だから代わりに受け取ってきてーお願い!とハンジに頼まれ、シャオは此処にやって来た。何でも、ハンジは技術班の班長のスヴェンと折り合いが悪く、技術室に行く度に口論となり戻るのが遅くなってしまうというのだ。
アイツは煙草臭いし常にテンション低いしそのくせ女ったらしで、とハンジはスヴェンを散々罵倒した後で、最後にこう付け加えた。
でも腕は超一流!と。
最後ににんまり笑ったハンジを見て、あぁ、分隊長はスヴェンさんを信頼しているんだなとシャオは瞬時に理解した。
そしてさっきのスヴェンの発言だ。
生き急ぎのクソメガネさん、と毒を吐きつつもスヴェンは、巨人が暴れて長槍が壊れ、ハンジが怪我をしたり死んだりする可能性を懸念していた。巨人を生け捕りにして実験体にするとは悪趣味な、と冷ややかな目を向ける人間も多い中、スヴェンはハンジの要望を受け、更にその身を案じてくれたのだ。
二人共、本当は互いの能力を認め合っている。
ただ、それを面と向かって言うのが照れ臭くて、つい反抗的な態度をとってしまうのだろう。
少しの会話で二人の複雑な関係性を見抜いたシャオだったが、本人にどう伝えれば良いのか迷った挙げ句、小声でぼそりと呟いた。
『…………素直じゃないところ……が……。』
『・・・・・・』
『・・・・・・』
『………………す、すみません……』
しーんと静まり返る技術室、その重苦しい空気に、多分失礼にあたることを言ってしまった、とシャオはガクッと肩を落とす。
その拍子に、頭の上のお団子が揺れた。
それまで腕を組み仁王立ちでシャオを見下ろしていたスヴェンだったが、突然片手を伸ばしたかと思うと、次の瞬間、シャオのお団子頭を勢いよくわしゃわしゃと撫で始めた。
『!!ひえー!?』
『素直じゃないだと?大の大人に向かって?こんにゃろ!』
『うああーー!?ごめんなさーーい!!』
かき回された髪の毛はもうごちゃごちゃだ。涙目で、もう言わないです許してくださいと懇願するシャオを、それでもスヴェンは解放しようとしない。
班長が本気で怒ってる!と焦った部下の一人は慌てて立ち上がり、荒ぶる暴君と化したスヴェンを止めようとするが、あと一歩のところで立ち止まる。
物凄く珍しいものを見て。
それはスヴェンのくしゃくしゃの笑顔だ。
彼が愉しそうに笑っている。
普段片方の口角だけを持ち上げてニヒルに笑う班長が、こんな風に笑うのは珍しく、部下は暫くの間、呆然とスヴェンの顔を凝視していた。
(……コイツ……可愛いなぁ)
……護ってやりてぇ。
長い前髪の隙間からシャオを見下ろすスヴェンの翡翠色の瞳は、どこまでも優しかった。
それはちょうど2年前の、
調査兵団本部、技術室での出来事。
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