もうちょっと
2013/11/21 00:14

【グスタヴ王朝後半】
・1611年デンマークとのカルマル戦争が始まる。カール9世が死去、グスタヴ2世アードルフが即位。1612年オクセンシャーナが宰相に就任。

「カルマル戦争」
 背景には、三王冠問題、ラップランドの支配権、バルト海はスウェーデンか、デンマークか。そしてクリスチャン4世のカルマル連合再興の動き。
 経過としては、デンマーク側が数カ月でカルマル城を陥落させる、イギリスの調停で講和が成立。1613年クネーレドの講和により戦争終結。軍事的には引き分けとなった。講和の結果、デンマークが優位な感じに。

1617年ロシアとの講和、ストルボヴァ条約でロシアからカレリア地方の一部であるイングリアを獲得。同年、グスタヴ二世アードルフがウプサラで戴冠。

「デンマーク王国クリスチャン4世」
デンマーク・ノルウェー国王。カルマル戦争、三十年戦争、ト・シュテン戦争に北欧の覇権を目指して派兵。
 11歳で王位に就いたが、最初の7年間は貴族により摂政が行われた。その間に、デンマーク語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、神学、宗教、物理などなど、英才教育を受けた。
「三十年戦争」
1618年に始まった宗教戦争。旧教vs新教。のち政治的なものになっていく。

・1625年にクリスチャン4が新教側を代表して参戦するも、負ける。のちにグスタヴ2世がブライトンフェルトの海戦で勝利をおさめる。
・1632年グスタヴ2世アードルフが戦死、娘のクリスティーナが王位を継承。当時6歳。

・1634年、政体法を制定。スウェーデン最初の新聞『アヴィソ』が刊行される。
・1643年、対デンマーク戦争(ト・シュテン戦争)が始まる。

「ト・シュテン戦争」
 背景には、宿敵デンマーク(クリスチャン4世)の弱体化(国力低下)と、オクセンシャーナのデンマーク嫌いがある。
 スウェーデン軍がスコーネ地方、ユトランド全域を支配。海戦でクリスチャン4世はスウェーデンの大砲を受け右目を負傷。(砲撃食らったくせに無事をアピール、すげぇ)

 結果はスウェーデンの勝利。デンマークはゴットランド島、中央ノルウェーの領土を失う。30年間Hallandを割譲、1645年にブレムセブルー条約を結ぶ。
 この戦争によりデンマークは初めて領土を失うこととなった。(デンマーク没落の始まり)

・1648年、ウェストファリア条約をもって30年戦争終結。ヨーロッパ史上最大の国際会議となった。

「クリスティーナ女王」
 スウェーデンの女王、ストックホルム生まれ。父はグスタヴ・アードルフ二世、母は王妃マリア・エレオノーラ。男子として育てられ、服装や素行も男性的であった。教養が高く、ドイツ語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ラテン語、ギリシャ語を習得。
 賢君ではあるが浪費家で財政に疎く、退位してスウェーデンを去る。

「デカルト」
 フランスの哲学者、数学者、物理学者。「我思う、故に我あり」で有名。近代哲学の祖。解析幾何学の創始者。
クリスティーナ女王に招かれストックホルムに赴き、女王のために講義をおこなった。(女王のカトリック改宗に大きな影響を与える)
 しかし寒過ぎる気候で風邪を引き、肺炎で亡くなる。主著は『精神指導の規則』、『方法序説』、『哲学の原理』。


・1649年、クリスティーナ女王の甥のカールが次期王位継承者として認められる。
・1654年、クリスティーナ女王が退位、従兄のカール10世グスタヴが王位を継承。

 1655年にインスブルックの教会でクリスティーナは公式にカトリックに改宗、1689年に彼女は死去。

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テスト範囲は此処まで。なっげぇ。持ち込み可のテストなら楽なんだけどね。授業や先生によって変わるので。

って気付いたらもう日付替わってるじゃないですかヤダー。

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