花は手折らぬ | ナノ

07誘発


[2010年 3月 五条20歳/名前12歳]



「硝子は高専にそのまま残るんだっけ?
 怪我人は24時間いつ運ばれてくるかわかんないもんね」
「五条は4月からタワーマンション暮らしか。
 特級呪術師ともなるとさすがだな」
「まぁ忙しくてあんまり帰れないかもだけどね」

 未だ寒さが残る3月に、五条と硝子は二人だけの卒業式を終えた。
 卒業証書を携えながらこれからのことについて硝子と話していた五条は、こちらに向かって近づいてくる人物が二人いることに気付いた。一人は後輩の七海、一人は名前だ。七海と名前か。近頃はあまり見かけることのなかった組み合わせを五条は珍しく思った。

「五条さん、ご卒業おめでとうございます」
「マジ?
 七海が僕におめでとうって言ってくれるとは思わなかったな」
「一応は、五条さんも先輩ですので」
「ウケる。一応なんだ」
「それにあの子に頼まれては、私も断れません」
「あぁ、なるほどね。
 七海も名前には弱いってわけだ」
「お言葉ですが、五条さんほどじゃありませんよ」
「オマエまでなんなの?
 僕、そんなに名前のこと甘やかしてるつもりないんだけど」

 いつもと変わらない仏頂面で祝辞を述べる七海にも驚いたが、それ以上に五条が驚いたのは七海まで自分が名前に甘いと認識していることだった。今の自分よりよっぽど、灰原がいたころの七海の方が名前に構っていただろうと五条は思う。
 その名前は、ちょうど今硝子と話を終えたようだ。小走りで自分のもとへと駆け寄ってくる名前は、七海のように自分の卒業を祝ってくれるのだろう。

「悟くん、卒業おめ……」
「うん?」
「おめで……」

 五条は名前に答えてやろうと、少し屈んで名前の言葉の続きを待つ。しかし名前はどうしても、“おめでとう”のたった一言を五条に言うことができないようだった。

「あれっ? おかしいな。
 ごめんなさい……っ。
 何回も何回も、笑っておめでとうって言えるように練習したのに」
「えぇ。どうしちゃったのオマエ。
 情緒不安定ちゃんか?」

 何度も“おめでとう”を言い直す内に、最初は笑顔だった名前の大きな瞳には涙がじわりと滲んだ。終いにはその場で泣き出してしまった名前に、五条はギョッとした。
 隣にいた七海が「どうぞ」と、なぜか名前本人ではなく五条に差し出してきたハンカチを五条はしぶしぶ受け取る。七海の表情には有無を言わさぬ凄みがあったのだ。なんで僕?と五条は思ったが、受け取ってしまったものはしょうがない。仕方なく五条はしゃがむと、名前の涙を拭ってやる。

「名前オマエ、そんなに泣き虫だったっけ?」
「どうしても……っ、寂しいんだもん。
 だって、悟くんとはもう会えないんでしょ?」
「……バカだな。
 呪術師は高専を拠点にしてるんだから、全く会えなくなるって訳じゃない。
 結構な頻度で僕も高専に来ることになると思うよ。
 そんなに泣くことないでしょ」
「でも私も中学生になるし……、悟くんが任務から帰ってきた時に高専にいるかわからないもん。
 どうしたって、今までよりは会えなくなっちゃうでしょ?」

 名前が泣き始めた時、五条はその理由に心当たりがないわけではなかった。しかし、泣くほどのことか?と思っていたので、本人が口にするまでは仮説は仮説のままだった。まさか自分と会えなくなるというたったそれだけの理由で、さすがに名前も泣く訳がないだろうというのが五条の考えだった。
 そんなことで?と呆れつつ、寂しいと言って泣く名前に、五条は自分の頬が緩むのがわかった。

「そんなに寂しい?」
「当たり前だよ……っ」
「じゃあ、僕と一緒に住む?」
「……え?」
 
 涙を流す名前を見ているうちに、自らの口から自然に出ていた言葉に五条自身も驚いた。卒業したら名前と暮らそうなんて、今の今まで露ほども考えていなかったのだ。しかし不思議なことに、自らの発言に後悔は無かった。
 損得勘定抜きで五条に関わろうとする人間は多くない。名前はその数少ない人間の一人だ。以前硝子に言われたような感情をこの先名前に向けることはないだろうが、自分が名前の存在に癒されているのを五条もいつからか自覚していた。名前に抱く感情は夏油や硝子に抱くような友愛ではない。もちろん、付き合っている女に抱くような恋愛感情でもない。あえて言うのであれば、年の離れた妹のように思っているというのが一番近いだろうか。この感情にどういう名前をつけるのが一番ふさわしいのか、五条はよくわからなかった。ただ、五条も名前の姿が見れなくなるのはなんとなく寂しいと思った。それだけは確かだった。

「無駄に広いとこにしたから、マンションの部屋余ってるんだよね」
「うそ……。悟くんのいつもの冗談?」
「嘘でも冗談でもないよ。
 僕が冗談でこんなこと言うと思う?」
「いいの……?」
「うん」
「本当に、本当にいいの?」
「うん。いいよ」
「やっぱやめたとか無しだよ?」
「わかってるって」
「ほんとに一緒に住んでくれるの……?」
「何度も言わせるなよ。
 僕がいいって言ってんだからいいんだよ」

 名前は五条の提案をすぐには信じられないようだった。繰り返し本当かと尋ねる名前に、五条は思わず笑ってしまった。

「悟くん」
「ん、なに?」
「ありがとう……っ」
「わかった。
 わかったから抱きつくのはやめろって」
「だいすき」
「はいはい、知ってるよ。
 あ、でも。先生がいいって言わないと僕と一緒には住めないかも」
「そ、そっか。そうだよね……」
「まぁでも大丈夫でしょ。
 先生オマエに激弱だから。
 オマエが一生のお願いって言えばなんとかなると思うよ」
「私、夜蛾さん探してくる!」

 先程泣いていたのが嘘のように、名前は溢れんばかりの笑顔を浮かべた。高らかに宣言して自分から遠ざかっていく名前の背中を見送ると、五条はくるりと硝子に向き直る。先程から硝子の視線を背中に痛いほど感じていたので、絶対に何か言われると思ってのことだった。しかし硝子は依然薄い笑みを浮かべて五条を見るだけで、何も言わない。そんな硝子に先に我慢ならなくなったのは五条の方だった。

「硝子、言いたいことがあるなら言えば?」
「いや、私が考えていたより随分と絆されるのが早かったなと思って」
「しょうがないだろ。
 あんな小動物みたいなきゅるきゅるした目で見つめられてみなよ。
 僕じゃなくたって見捨てられないって」
「大丈夫か?
 五条、子育てって柄じゃないだろ」
「子育て!
 中学生だしもうそんな年じゃないでしょ。
 まぁ問題ないんじゃない? この前保護した禪院家の子供とも、僕結構うまくやれてるし」
「……名前の年頃だと、どんな大人と一緒にいるかってかなり重要じゃないか?」
「そこは僕だってちゃんとするよ。
 名前から青い春を取り上げるなんてしないさ。
 ちゃんと学生生活に集中できるように環境は整えるつもりだよ。
 ほら、僕お金だけはあるから。
 ──なんだよ、その顔は」

 硝子は信じられないものを見るような目つきで五条を見ていた。至極真面目に話をしているつもりでいた五条には硝子の反応は心外で、五条はつい眉をひそめた。

「驚いたな。そのあたりちゃんと考えてるのか」
「あのねぇ。僕のことなんだと思ってんの。
 僕だって一応大人だよ?
 まぁでも、男の僕には話しにくいこともあるだろうからさ。これからもアイツのこと、よろしく頼むよ」
「それは構わないが、先生は泣くな。
 かわいい娘が五条に嫁ぐって知ったら」
「なぁ、いい加減そのネタやめてくれない?
 僕に彼女いるの硝子も知ってるでしょ」

 またそれかと五条はうんざりした。いちいち否定するのも最早億劫だった。――硝子のやつ、完全に面白がってるだろ。付き合ってらんないな。

 硝子との話が終わると五条は自室に引き上げようとしたが、そうはいかなかった。べそをかいた名前を連れた夜蛾が「悟、どういうことだ」と鬼の形相で言いながら、五条の肩に手を置いたからである。
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