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 私は雨の日も晴れの日も、ケーキ屋さんに寄る時は貸してもらった傘を必ず持っていくようにしていた。返さなくていいとは言われたけれど、また包帯男さんに会えたら必ず返そうと思っていたからだ。
 けれど、彼に傘を貸してもらったあの雨の日以来、再び彼に遭遇することは無かった。
 それとなくおばちゃんに聞いてみても、そういえばおばちゃんも最近とんと見ていないと言っていた。

 もしかすると、包帯男さんは精霊か何かだったのかもしれない。きっと、精霊の力である特殊能力を私に目撃されたことで姿を消してしまったんだ。
 なるほど、人ならざる存在であると言うならば、あの珍しい真っ白な髪や黒装束にも納得がいく。
 彼の存在について、随分突飛な結論を出したという自覚はあった。でも、そうでなければ説明がつかない。世界中の様々な超能力者を紹介しているワイドショーでさえ、重力に従って落ちる雨粒を避けたり、瞬間移動の能力を持っている人を紹介したことがあっただろうか。おそらくないだろう。

 包帯男さんとは、きっともう会うことは無い。そう思っていた。
 だけど私は思いがけず、彼と再会した。


(2018年1月)


 その日も雨が降っていた。
 
 年末年始の休みも終わり、仕事始めをした後、私は少し遠回りをして商業施設の雑貨屋さんへと足を延ばした。新年を迎えて数日経つというのに、デスクで使う卓上カレンダーがまだ2017年のままだったからだ。
 雨の中傘もささずに、道路脇の花壇の淵に俯いて座っている包帯男さんを見つけたのは、その帰り道。

 一瞬見間違いかと思った。
 でも、夕暮れ時の雑踏する街中でも、あの白い髪と黒装束を間違えるわけがない。目元の包帯は、服とおそろいの黒い目隠しに変わっていた。けれど間違いない、包帯男さんだ。
 今の包帯男さんは例の特殊能力を使ってはいないようだった。雨粒が包帯男さんだけを避けて落ちるなんてことは無く、包帯男さんの全身は雨に打たれている。どれだけ包帯男さんがここにいたのかわからないけれど、雨の勢いはあまり強くはないのに、包帯男さんはびしょ濡れだった。その姿は、なんだかとても寂しそうだった。ここには沢山の人がいるのに、まるで彼一人だけがどこか違う世界に置き去りにされてるみたいに。

 これは余計なおせっかいかもしれない。こんなこと、して欲しくないかもしれない。
 私の頭の中では、理性的な私がしきりにやめろと言っている。でも考えるより先に、私の足は動いていた。


「――あれ。君はたしか……」


 気付いたときには、私は包帯男さんの傍に歩み寄って傘をさしかけていた。
 私が傘をさしかけたことで、自分に降る雨が止んだことに気付いたのか、包帯男さんはパッと顔をあげた。


「大丈夫……ですか?」
「ん、なにが?」
「そんなに濡れたら……、風邪ひいちゃいますよ?」
「あー、これくらい大丈夫だよ」
「あなたは覚えてないかもしれないですけど……、以前傘を貸してもらったお礼です。
 この傘、よかったら使ってください」


 私は傘だけを置いてすぐ立ち去ろうとした。それなのに、そんな私の腕を包帯男さんは掴んだ。


「待って待って。
 それじゃ君が濡れちゃうでしょ」
「気にしないでください。
 今日の雨はそんなに強くないし……」
「ダメだよ。女の子が雨に濡れて帰るとか」
「そんなのはいいんです。
 なんとなくですけど、今は私が濡れるより……、あなたの方が雨に濡れちゃダメな気がします」


 なにをいきなり言っているんだ私は。
 自分でもなんでこんなことを言ったのかわからない。でも、確かにそう思ったのだ。
 包帯男さんも私の言動に驚いたようで、一瞬固まっていたように見えた。けれどすぐ、あの日みたいに極軽い調子で、微笑みながら私に提案をした。


「じゃ、こうしよう。
 君の家まで一緒に傘に入れてよ。
 それで君を無事送り届けたら、こないだ僕が貸した傘をもらって帰る。
 そうすれば君も僕も濡れない。
 どう? ナイスアイディアじゃない?」
「わ……、わかりました」
「よし。それじゃ行こうか」


 いくら私が奥手といえど、気になっていた人と相合傘できる機会を拒否するなんてことはしない。包帯男さんの隣に立って、私は歩き出す。

 包帯男さんの方が遥かに身長が高いので、傘は包帯男さんが持ってくれていた。肩と肩が十分触れ合うことのできる距離にいる事実は、私を緊張させるには十分すぎた。
 自宅までの道中、包帯男さんは私に当たり障りのない質問をした。出身は東京なのかとか、兄弟はいるのかとか。包帯男さん自身のことについて私も何か聞きたかったけれど、緊張もあってなぜか何にも聞けなかった。だから、される質問にただ答えていた。

 そんなことをしていたら、私の自宅である1Kのアパートにはあっという間についてしまった。包帯男さんは3階にある自室のドアの前で、私が傘を持ってくるのを待っている。玄関の靴箱に立てかけてあるこの傘を渡してしまったら、彼はきっとすぐに帰ってしまうんだろう。


「あの……、よければうちでお風呂入って行きませんか」


 ドアを開けて、少しの下心と彼の体調を心配する気持ちで私は提案した。
 数秒の沈黙の後、包帯男さんはからかいまじりに言った。


「へぇ、君って意外と大胆なんだ?」
「えっ? あ、そ、その。け、決してそういうことではなく」
「嘘うそ。君かわいい顔してるけど、そういうことし慣れてる感じには見えないもんね。
 僕を心配してくれたんでしょ?
 正直言うと今、めっっっっちゃ寒いんだよね。真冬の雨を舐めてたよ。
 だからお言葉に甘えて、シャワーだけ借りていい?」
「も、もちろんです」


 彼の予想外の切り返しに慌てふためく私に、包帯男さんは柔らかく笑った。

 身長が高い彼がいると、もともとあまり広くない6畳半の部屋がより窮屈に感じられた。自分の部屋に包帯男さんがいるだなんて、とっても不思議な感じがする。
 彼が浴室に行ってから数分。シャワーの水音が確認できると、私は洗面所の引き戸を軽くノックした。


「バスタオル、ここに置いときますね。
 あ、あと、もしよければ、濡れた服脱水かけて、ドライヤーで乾かすくらいしますけど」
「え、いいの? ありがとー」


 包帯男さんがシャワーを浴びている間、洗濯かごの中にぐしゃっと脱ぎ捨てられている服を洗濯機で脱水にかけた後、ドライヤーで乾かした。
 その中には当然下着もあったけど、兄弟がいるので、多少の照れはあれどあまり気にならなかった。それに、脱ぎ捨てられた中には下着以上に気になるものがあったのだ。それは、包帯男さんが付けている目隠し。今まで、包帯男さんの素顔を想像をしたことはあまりなかった。だって、素顔を目にすることができる機会が訪れるとも思っていなかったし。でもこうして、浴室の中で彼が素顔を晒していると思うと、途端に彼の素顔はどんなだろうと気になってきてしまう。もし私が今手にしている目隠しを渡さなかったら……、いつもは隠されている目元が見れたりするのかな。いや、そんな狡い真似をしていい訳がないだろう。詮索なんて絶対ダメだ。


「あ、シャワー浴びたから服貸してー」
「は、はい。
 すいません、全部乾ききってはいないかもしれないですけど……」
「いやー、これくらい乾いてれば上等」


 びっくりした。急に洗面所の引き戸が開いたかと思えば、そこから腕が出てきたもんだから。
 私は努めて洗面所の方を見ないようにしていたけれど、見ようと思えば洗面所の中を見れたかもしれないくらいの引き戸の開き具合だった。包帯男さんって……、あんまり羞恥心とかないタイプなのかな?

 包帯男さんは着替えが終わった後、私が半ば無理やり押し付けたドライヤーで髪を乾かした(着替えが終わった時、彼は目隠しをちゃんとしていた)。そして、サラサラの真っ白な髪が乾いた後は「じゃー僕は帰るよ」と言って、すぐに腰を上げて玄関に向かった。
 最初からそういう約束だったから、彼がそうするのは当然だった。でも私は、もう帰ってしまうんだとそれを少し残念に思った。


「これ僕の傘だよね?
 なんか色々世話になったね。ありがとう」
「いえ。私が無理やり押し付けたようなもんですし。
 あの……、くれぐれも風邪には気を付けて」
「それは君のおかげで大丈夫でしょ。
 でもさ、君って相当変わってるよね。よく言われない?」
「そんなに言われたことはないですけど……。なんでですか?」
「だって普通、目隠しした黒装束の怪しいデカい男に雨の中声掛けたりしないでしょ」

 靴箱にたてかけてあった傘をとり、靴を履きながらあっけらかんと包帯男さんは言う。怪しいっていう自覚……、一応はあったんだ。

「傘を貸してもらったご恩もありますし、いい人かと思って……」
「残念ながら僕はいい人じゃないよ。
 だからひとつ忠告。これからは親切するにも人を選んだ方がいい。
 それじゃーね」
「はい……、さようなら」


 短いさよならの挨拶の後、ひらりと手を振って包帯男さんはスタスタと歩いていった。彼はきっと、そのまま振り向かずに行ってしまうんだろう。だから姿が見えなくなるまで見送ろうと思った。
 だけど、階段を下りる手前、包帯男さんはくるりと振り返った。


「あ、最後に一個だけ。
 なんで僕に、傘さしかけてくれるなんてことしたの?」
「え?」
「君言ってたでしょ。
 僕の方が濡れちゃいけない気がするとかなんとか。なんでかなーって思って」
「自分でもよくわからないんですけど、なんでかあの時は、あなたをほっといちゃだめだって思った……っていうか」
「ふぅん。そりゃまた随分ふんわりした理由だね。
 まぁいーや。バイバイ」


 包帯男さんは私の返事をきいてなぜか面白そうに笑うと、今度こそ行ってしまった。
 あのケーキ屋さんでまた会えるかもしれないと、勇気を出し損ねてしまった。もしかしたらこれが彼に会える最後のチャンスだったかもしれないのに。私のバカ。連絡先は無理でも、なんでせめて、名前くらい聞いとかなかったんだろう。


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