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痴話喧嘩なら他所でどうぞ。1


!名前に突然別れを告げられた五条が、七海に無茶ぶりする話です。



「七海さん、任務お疲れ様でした。
 自宅に直行でいいですか?」


 無事に任務を終えた七海は、ピックアップしに来た補助監督である伊地知の車に乗り込む。今回の任務は予想より早く終わった。いつもなら、大きな怪我が無ければ七海は任務後は自宅に直帰する。が、なんの因果であろう。この日に限ってなぜか、七海は高専に立ち寄ることを選んでしまった。


「いえ。少し所用があるので、高専へお願いします」
「高専に行かれるんですか?
 それならお願いしたいことがあるんですが」
「伊地知君が頼み事とは珍しいですね。
 私にできる範囲のことであれば協力します」
「夜蛾学長に五条さんに渡して欲しいと頼まれていた報告書、七海さんから五条さんに渡してもらえませんか。   
 できればすぐ五条さんに渡して欲しいとのことだったんですが、私は生憎、至急別の現場に行かなくてはならなくて」
「…………わかりました。渡しておきます」


 できれば、五条とは任務の時以外あまり関わり合いになりたくないというのが七海の本音ではあった。しかし、日頃から上層部と五条の間で板挟みになりがちな伊地知に何かと苦労が多いことを七海は知っている。故に、そんな伊地知を無下にはできなかった。
 まさか七海に予測できるはずもなかったのだが、この時から既に七海の災難は始まっていた──。



「はあぁぁぁぁぁ」


 これみよがしに目の前で大きなため息をつく五条を前にして、七海の眉間には深く皺が刻まれる。
 伊地知から渡された報告書を片手に、七海は五条のもとへ向かった。すると、平常のおよそ3倍は面倒そうな空気を纏った五条がソファで寝そべっている。いつもの軽薄なノリは今は珍しくなりを潜めており、何かをウジウジと気に病んでいるようだ。力なく横たわる姿はさながら屍のようであり、とても呪術師最強を誇る男とは思えない。
 しかし、確かに気落ちはしているが、妙に芝居がかった溜息をつくあたり、五条が誰かに(この場合は七海に)構って欲しいことは、火を見るより明らかであった。


「五条さん。こちら、夜蛾学長からです。
 先程伊地知君から預かりました」


 だが、七海はそんな五条は無視して、事務的な態度を一貫して取り続けようと試みた。いつもの調子の五条でさえ七海には手に余るというのに、任務帰りの疲弊した状態で、今の五条の相手をする気は七海にはさらさらない。
 七海の呼び掛けに、むくりと上体を起こした五条はそのまま報告書を受け取るかと思われた。しかし──

バシッ


「……何をするんですか」


 七海の試みは虚しくも散った。
 五条に振り払われ、クリップで止めてあっただけの報告書が床にバサバサと散らばる。七海はハァ…と短く溜息を吐くと、散らばった報告書を拾い集める作業に仕方なくとりかかった。


「それはこっちの台詞だよ。
 目の前にこんなにわかりやすく落ち込んでる先輩がいるのにさ、労いの一言も無い訳?」
「すみません。まさか五条さんが落ち込んでいるなんて思いもしなかったので」
「七海ってさー、息をするように僕に平気で嘘つくよね」


 五条は、自らが落とした報告書を黙々とまとめる七海のことは気にもせず、再度ソファにどさっと倒れこむ。そして、七海が報告書を拾っている間にも五条は身勝手に話を続けていく。


「聞いて。
 万が一にもありえない話だけど、僕、もしかしたら、名前に振られた…………かもしれない」
「その話、私に関係ありますか?」
「あるよ。
 だって僕がいなければ、人間の世界終わるよ? 
 僕、名前と元通りになれないと、マジで何もやる気起きない。このまま消えちゃいそー。困るよねぇ、最強の僕がこんなんだと。
 でも、七海が今僕の話を聞けば、問題解決の糸口が見えてくるかもしれない=人間の世界は何とかなるってわけ」
「問題をすり替えるのはやめてください。
 五条さんが名前さんと別れようが別れまいが、心の底からどうでもいいです」
「そんなこと言っていいの?
 その報告書、伊地知に頼まれて渡しに来たんでしょ。
 あーあ。伊地知が可哀想だなぁ」
「……五条さん、やり口が汚いですよ」
「さっすがななみ〜。話が早くて助かるよ。
 なら、やることはわかってんでしょ?」


 不敵に笑う五条に、七海は眉を顰めた。
 ここで五条の思惑通りに自分が動かなければ、あとで夜蛾から叱責を受けるのは伊地知だ。七海だけの問題であれば、五条のことを適当にあしらってこの場から立ち去るという選択肢もある。しかし、伊地知も巻き込まれるとなると話は別だ。ストレスでいつ胃に穴があいてもおかしくない状態の伊地知を犠牲にするなど、リーマン時代にストレス社会を経験してきた七海に出来る訳がない。


「……一体何があったんですか。
 五条さんには珍しく、もう付き合って長くて、確か同棲されてましたよね」
「何も起きてないのに、振られたかもしれなくなってるから困るのさ。
 まずはこれ見て」


 聞く……しかないか。
 観念して、七海が五条の話に耳を傾ける姿勢を見せれば、五条はすかさず自身のスマートフォンを七海に向かって投げる。それに特に動じることもなく七海はスマートフォンをキャッチした。
 画面には、一週間と少し前の日付の二人のメッセージのやり取りが映し出されていた。


【悟くん、私になにか隠してることない?】
【えーっと、この前した時、内緒でえっちなお薬盛ったのわかっちゃった?】
【それは知らなかったけど、他はない?】
【ないよ】
【本当のこと言ってくれない?】
【マジでないんだけど、どうかした?】
【そっか。ありがとう】


 やり取りを確認した後、七海はスマホを五条に投げ返した。そして、五条との会話の最中に拾い終えた報告書をテーブルに置いてから、五条の向かいのソファに自身も腰を降ろす。


「このやり取りを最後、なに送っても既読さえつかないし電話も出ない。
 しかもこの日、僕は急に出張を言い渡されてこの日以来会えてない。
 急いで出張から帰っても、『今までありがとう』って書置きだけ部屋に残して、本人は消えてる」
「……話だけ聞けば、もしかしたらではなく、五条さんは確実に振られていると思いますが」
「いやー、おかしいでしょ。
 だってめちゃくちゃラブラブだったんだよ。なんならこの日だって超寝不足だよ」
「この際、先程からちょくちょく挟まれるセクハラには目を瞑ります。
 ですが、本当に心当たりが無いんですか?」
「マジで全然無いってさっきから言ってんじゃん」
「しかし、このメッセージを見るに、五条さんが何かやらかしたのは明らかな様ですが。
 アナタのことだから、知らず知らずのうちに傷つけてしまっていたんじゃないですか」
「だから無いって。
 あの子のことは僕、すごい大事にしてるし。なんならこれから先もずっとそのつもりだし」
「やらかしたことに気付いていないという可能性も0ではないと思いますが」
「やらかしてないから。
 さっきから、僕が絶対悪い前提なのやめてくんない?」
「……このままだと話が平行線です。
 いいでしょう。仮に五条さんに全く非が無かったと仮定します。
 すると必然的に、名前さんに他に好きな方が出来たという仮説に辿りつくことになりますが」
「それこそありえないでしょ〜」


 関係が良好だと思っていた女性から、突然別れを告げられた場合に考えられる原因は主に2つだ。男の方に問題があるか、そうでなければ女に他に男が出来たか。そのどちらも五条は真向から否定した。今のところ振られた可能性が濃厚だというのに、その自信は一体どこから湧いてくるんだと七海は問いたくなる。


「どうしてそんなにハッキリと言い切れるんですか」
「だって僕以上にGLGで、高収入で、それでいて家事もこなせる超好物件な男なんている?
 まー確かに、うちのめんどい家柄はマイナスポイントかもしれないけどは」
「五条さんは確かに、女性に好かれる容姿かもしれません。特級呪術師なので高収入というのもわかります。
 ですが、家柄以上に問題なのは、五条さん、アナタの性格ですよ」
「僕だって自分の性格が悪いことくらい知ってるさ。
 そもそも名前の前では僕そんなに性格の悪さ出してないけど、でも名前は僕の性格悪いことぐらいわかってるし、わかってる上で僕にべた惚れなんだけど」
「他の面はわかりませんが、性格だけならアナタよりいい男は沢山いると思います。五条さんの性格の悪さは、他に類を見ないですから。
 名前さんが内面がまともな別の男性に心変わりしたとしても不思議はありません」
「う〜〜〜ん、わかった!
 きっと僕に構って欲しくて、ヒス起こしてるだけだね」


 今の会話の流れでどうしたらその結論に辿り着くのか、七海はわからず唖然とした。結局自らの指針でしか物事を判断しないので、五条に何を言っても無駄なのだ。
 しかし七海の言った最後の一言が効いているのかそうでないのか、五条が次にとった行動は、先程五条が導き出した結論とは矛盾するものだった。


「七海、名前の連絡先知ってるよね?」
「以前事務連絡のために名前さんから教えていただきましたが、五条さんから消せと脅されて消したので今は知りません」
「あれ、そうだったっけ。
 じゃあ今から携帯の番号言うから名前に電話かけてくれる?」


 七海は名前と顔見知りだった。知り合ったのは意外にも五条からの紹介だ。元エリート証券マンの七海に、マイクロソフトのいろはを教えてもらいたいと名前から五条に相談したのだ。
 五条の提示した見返りが良かったために、七海は二つ返事で五条からの頼みを引き受けた。名前と会ってみると、名前は素直で気立てがよく、七海から見てもとても愛らしい女性だったので、とにかく驚いたのをよく覚えている。なぜ普通の善人が、五条のような、ネジが数本外れているどころか、はまっているネジを探す方が難しい程のイカレた人間と長く交際を続けていられるのか。七海には到底理解しかねる事態であった。


「どうしてですか」


 電話をかけろと言われた理由は大体目星が付く。だが一応、七海は尋ねた。


「いやー、GPSのおかげで居場所はわかってんだけど、さすがにいきなり会いに行ったら僕が色々疑われるじゃん?
 サイコストーカーとか思われたら嫌だし」
「いえ、そういうことではなく。
 私は何の用件で電話をかけるんですか」
「わかんない?
 名前のこと、テキトーな理由で呼び出してよ。
 オマエの頼みなら素直にきくだろうし、オマエがいれば僕の話くらいは聞いてくれるだろうからさ。
 日程は次の土日のどっちかで」
「ちょっと待ってください。私はこれ以上付き合わされるんですか。
 というか、さっき構って欲しいが故の行動と言っていましたよね。それならすぐ迎えにでも何でも行けばいいんじゃないですか」
「あ〜〜〜〜〜〜。伊地知が可哀想だなぁ」
「……わかりました。
 かければいいんでしょう」
「七海ならそうしてくれるって思ってたよ」


 GPSがどうとかいう若干の問題発言もあったが、五条の発言をいちいち気にしていたら身がもたない。五条が空でいった携帯番号をスマートフォンに打ち込み、七海は名前に電話をかける。「スピーカーにして」と言う五条の言いつけどおり、スピーカーをオンにするのを忘れずに。
 コール音がなり始めると、五条は寝転んでいたソファから向かいの七海のソファへと移動し、七海の隣で名前が電話に出るのを待つ。
 3コールめで、電話口からは高めの声が聞こえてきた。


「もしもし」
「こちら名前さんの携帯ですか。
 お久しぶりです。五条さんの後輩の七海です」
「七海さん! お久しぶりです。
 どうされたんですか? 珍しいですね」
「いえ、少し名前さんにお聞きしたいことがありまして。
 こちらの都合で申し訳ないのですが、次の土日の予定はどうなっていますか」
「どちらも特に予定はありませんが……」
「では、次の土曜、私が指定する場所に来ていただけますか」
「はい! わかりました」
「突然の誘いにも快い対応、ありがとうございます」
「いえいえ、気にしないでください。
 暇してたので、七海さんに誘って頂けて、予定ができて嬉しいですし」
「場所等の詳細は後程メッセージで送らせていただきます。では」


 結局、五条に言われるがままに約束をとりつけてしまった。これでもう引き下がれない。七海は本日何度目かになる溜息をついた。


「よく出来ました七海!
 オマエはやっぱ頼れる後輩だよ」


 最初に見た時の沈み具合はどこへやら。五条はいつの間にかいつもの調子の良さを取り戻していた。「何着てこうかなー」なんて上機嫌で呟いてさえいる。
 疲れた、と七海は思った。この何分かの短時間の疲労度合いは、先程こなしてきた任務で溜まったそれを遥かに凌駕していた。



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