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気持ちを解く


「そうそう、ここはこの公式を当てはめて考えるとわかりやすいよ」

「…ん、わかった」

小波の声に導かれるように、ペンを走らせていく。



明日の数学のテストが赤点だと色々やべぇらしい、俺じゃなくて大迫先生が。だから今日は休部にしてでも勉強しろと大迫先生は言い、国語教師の自分の代わりにと指南役まで頼んでくれたみてぇで。けどガランとした教室に一人でいんのに退屈した俺は、汗かかねぇ程度に筋トレしながらそん時を待つことにした。
ドアを遠慮がちに開けて入ってきた人物を見て、初めは単に忘れもんでもしたんかと思ってた。なのにいつまでたっても突っ立ったまま帰ろうとしねぇ。さすがに気になって「なんか用か?」と聞いたら、その女子は「待たせてごめんね」と答えた。その時、俺は大迫先生が寄越したのが小波だと知った。
なんで同じクラスの小波が来んのかも、大迫先生の言葉だけじゃ何がやべぇのかもわかんなかったけど、俺の成績が大迫先生の評価にも繋がるんだと、だから一緒に頑張ろうと言いながら、小波は静かに笑った。

ろくに話した事はねぇけど、小波の頭がいいってのは、なんとなくわかる。入学式の日、新入生代表として喋ってたのはこいつだったし、テスト前にはいつも小波の周りに人だかりができてっから。
マネージャーのいない柔道部で、大迫先生に負担をかけてんのもわかってた。いくら先生だからって、これ以上は甘えられねぇ。


「押忍!よろしくお願いします」

姿勢を正して腹から声を出すと、小波の目が見開かれた。ビビらせちまった事を詫びるよりも早く、すぐに表情を引き締めた小波は、「こちらこそよろしくね」と頭を下げてきた。

柔の道にも通ずる、綺麗な礼だと思った。

こうして居残り学習が始まったのが二時間前。「まずはどのくらいの実力があるのか試させてね」と小波が差し出してきた1枚のプリントを見て、俺はその場に固まった。見ただけで眠くなるような数字の羅列に目が回る。やべぇ、わかんねぇ。何がわかんねぇのかが、まずわかんねぇ。

決意が揺らぎそうになった俺を見ても、小波は動じなかった。「ね、不二山くん?まずは座ろっか」と言いながら、また笑う。今度の笑みは、あったけぇ季節を思い出すような、穏やかな笑みだった。その笑顔を見てっと不思議と安心する。自分の笑顔なんて気にした事もなかったけど、俺はどんな顔して笑うんかな。椅子を引きながらそんな事を思っていた。


「最初に確認すんけど、これは暗号じゃねぇよな?俺にはそう見えっけど」と言ったら盛大にふきだした小波は、一問一問を根気よく丁寧に教えてくれた。俺にでもわかるようにと、噛み砕いた言い方をしてくれてんのがわかる。今までならすぐ諦めてたような問題を、逃げずに最後までできるようになれたのは、小波のおかげだった。
それに、ちゃんと解ければすげぇ気持ちいい。頭つかうの苦手なはずなんに、初めて数学が面白ぇとすら思った。小波が持ってきた5枚のプリントを全部終わらせた事も、全問正解だった事も気付いたら、って感じで、全部が夢みてぇだ。

数式は、こんがらがった靴紐にもよく似てると思った。硬く結ばった靴紐を、手品みてぇに全部こいつがほどいてしまうんじゃなくて、結び目の一つ一つを緩めるとこまでをサポートしながら、最後は自分の力で、と言い答えを導きださせる。小波はそういう教え方をする奴だった。
ふと足元に視線を落とすと、俺の上履きは紐が絡まったまま、団子みてぇな結び目が沢山あった。小波のはリボンみてぇにきっちり結わってる。

靴紐もちゃんとほどければ、すげぇ気持ちいいんかな。どれも初めて知った事だった。



「おまえ、誰にでもこういう教え方すんのか?」

うまく説明できねぇ「こういう」の部分を考えるように、プリントを揃える手を止めた小波は、言葉を選ぶように「えっと…」と話しだす。

「不二山くんは、目の付け所はとてもいいと思うの。後は公式さえ覚えちゃえば、ちゃんと最後まで解けるでしょ?でも、公式ばっかり覚えていてもダメな時もある」

「どこに、その公式を当てはめんのか、それがわかってねぇ場合か?」

どこに、の部分を強調したら、「そういうこと」と言いながら小波が満足そうに笑った。俺にはよくわかんねぇけど、そういう奴にはまた別の教え方をするって事なんだろう。


「おまえってすげぇな」

「すごいのは不二山くんだよ」

だって、ちゃんと自分の力で解けたじゃない。と笑みをこぼした小波の顔はすげぇ眩しくて、胸がもやもやしてきた。初めて抱く、変な気持ち。でも嫌な感じじゃなくて、くすぐってぇ気分。

あぁ、こいつは人の事を自分の事のように喜べるんだな。人の喜びの為に努力できる、そういう奴なんだ。


「おまえ、マネージャーやんねぇ?」

熱いもんがこみ上げてきて、そのまま勢いよく立ち上がったら、口から言葉が飛び出した。気付いたら、そう言ってた。派手な音をたててひっくり返った椅子に体を震わせた小波に、今度は謝るどころか断らないでくれ、と眼力を送る。

「え?マネージャーって柔道部の?」

「そう。マネージャーをずっと探してた、けど誰でもいいって訳じゃねぇ。俺が探してたのは、小波。おまえみてぇな奴なんだ」

「どどど、どうしてわたしなの?」

「最初は大迫先生が、何でおまえを寄越したんかわかんなかった。ただ頭がいいだけだったら、他にもいっぱいいんだろ?けどおまえに教わってわかったんだ。おまえは俺の数学嫌いを知らねぇかもだけど、今はそうでもねぇ。勉強に興味が持てるような教え方をしてくれた奴はおまえが初めてだし、嫌いなもんを変えさせる力があるおまえと、好きな事やったらどうなんのか、って考えたらわくわくすんだ。俺、今度はおまえと一緒に柔道をやりてぇ。だから頼む」

一気にそこまで言って、息を吸う。思ってること全部口にしたら、ちょっとすっとした。おまえみてぇな奴をずっと探してたんだとわかってほしーけど、ばか正直に聞いてくれた小波に無理強いする気はさらさらねぇ。どうすっか決めんのは小波だ。けどこれで断られたら、マネージャーはずっと不在のままで構わねぇ気がした。大迫先生の仕事が楽になんねぇのは、明日のテストでベストを尽くすって事で勘弁してくれっかな。


「いいよ、でもひとつだけ条件があるの」

「いいぞ何でも言え」

おまえがマネージャーになってくれんなら、何でもやってやると思った。同時に、どんなに無理難題をふっかけられたとしても、おまえの笑顔が見れんなら、それを叶えてやりてぇとも。


「明日のテストで80点を超えること。大迫先生と、なにより不二山くん自身の為に」

「なんだそれ」

マネージャーは簡単には務まらねぇと思うし、面倒くせぇ事も引き受けてもらわなきゃなんねぇ。その換わりなんだから、自分が得する事を頼むべきだと思うし、その腹づもりだった。けど何度聞いてもそれが条件だと譲らねぇ。遠慮してるっつう感じもなさそうだし、責任感から出た言葉のような気もする。頼まれたら断れねぇタイプに見えっけど、実は芯が強ぇのかもしんねぇな。


それがおまえの願いなら、俺のやる事は一つしかねぇ。


「見てろ、おまえの為に80点とってやるから」

「え?わたし?」

どうしてわたしの為なのと、何でか顔を真っ赤にした小波に向かって、俺は右手を差し出した。スッと立ち上がり、ためらいがちに俺を見上げたように見えたのに、思いの外しっかりと握り返された手。そこにおまえの決意が入ってるような気がして嬉しくなる。

日が落ちかけたオレンジ色の教室で、硬く交わした握手と、おまえの柔けぇ手を俺はずっと忘れねぇと思った。

胸のもやもやの原因がわかんのに、時間はかからねぇ気がした。うまく説明できねぇけど、そう思ったんだ。


The end.


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